珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

言葉のストックを増やす試みについての覚書6|聖アウグスティヌス『告白(上)』より~その2~

前回の記事はこちら。

shirokuro-044.hatenablog.jp

軛(くびき)

① 車の轅ながえの先端につけて、車を引く牛馬の頸の後ろにかける横木。 → 牛車ぎつしや

② (比喩的に)自由を束縛するもの。 「国家の-から脱する」

三省堂大辞林 第三版』

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Cgoodwin [CC BY-SA 4.0], ウィキメディア・コモンズ経由で

世界史で登場する重要ワードタタールのくびき」、その「くびき」である。Wikipediaによれば13世紀前半に始まったモンゴルのルーシ侵攻とモンゴル人によるルーシ(現在のロシア・ウクライナベラルーシ)の支配を指す、とある。妙に語感が良いため単語そのものは記憶に残っていたのだが、ロシアとか、モンゴルとか……なんかその辺りはさっぱりなんだ。我々は皆、社会のくびき。とはいえこのくびきが無ければ、きっと宇宙に放り出されたような気分になって、結局また、心地よい拘束具を求めてうろうろしてしまうんだろう。「自分だけが自由」なのは、「自分だけが不自由」なのと大して変わりない。

衷心(ちゅうしん)

心の奥底。まごころ。 「 -より御多幸をお祈り申し上げます」 「 -から哀悼の意を表します」

三省堂大辞林 第三版』

 「和洋折衷」の「衷」。「衷」は訓読みで「うち」「こころ」「まこと」と読む。「和洋折衷」ばかりが有名だが、折衷シリーズは和洋の他に「雅俗折衷」「斟酌折衷」がある。なんかもう作ったもの勝ちな気がするので気が向いたら適当に作ってみよう。

滔々と(とうとうと)

トタル ) [文] 形動タリ  ① 水が勢いよく、また豊かに流れるさま。 「 -と流れる大河」

② よどみなく話すさま。弁舌さわやかなさま。 「 -とまくし立てる」 「 -と雄弁を揮ふるつて/片恋 四迷」

③ 物事がある方向によどみなく流れゆくさま。 「 -たる時代の流れ」

三省堂大辞林 第三版』

「弁舌さわやか」ってめちゃくちゃいい響きですね。 

香柏(こうはく)

植物。ヒノキ科の常緑針葉高木,園芸植物。ヒノキの別称。

日外アソシエーツ『動植物名よみかた辞典 普及版』

 うーん、雅。

訥弁(とつべん)

つかえたりして、なめらかでないへたなしゃべり方。 ⇔ 能弁 「 -だが真情のこもった話」

三省堂大辞林 第三版』

 私のことかな?

台本も無しにスラスラと言いたいことが口から出てくる人の脳って一体どうなっているのだろう。担任教師による長話も学生時代は煩わしいばかりであったが、今考えるとよくもまあ、あのようにスラスラ言葉が出てくるものだと感心する他ない。本当にどうやって言葉を出してるんですか?こちとら1対1の日常会話ですら難儀しているというのに。今だから言えるが、若いうちから人前に立って自分の意見を述べる練習はしておくべきだ。マジで。そういう機会は金を出してでも買うべきだ。対面や肉声を用いないコミュニケーション手段が増えたこの時代だからこそ、人前で弁論する訓練に身を投じる者は、必ずや報われるであろう。

ちなみに私は今のバイトを始めてから、それまでの数倍は言葉がパッパと出るようになったと思う。要件を的確に短文で伝えることも含め。従業員同士の連携が超重要なので、始めた当初は四六時中人にお願いしたりお願いされたりするストレスで禿げそうになったが、慣れてしまえばこちらのものだ。自分でやれるところは相手のためにやる、相手に任せられそうなところは自分のために任せる。信頼とコミュニケーションの必要性に押しつぶされて死にそうになりながら、それでもなんとか生きられている。あとこれは予想外な副産物なのだが、めちゃくちゃ気が強くなった。ズバズバ言うようになった。人間変わるものである。

燦然(さんぜん)

トタル ) [文] 形動タリ  涙を流すさま。 「 -として一掬の涙を紫の袴の上に落した/吾輩は猫である 漱石

三省堂大辞林 第三版』

「さめざめ」を使い潰したら使います。 

 

『告白』上巻は、アウグスティヌスの人生録であると同時に、彼の母モニカの人生録でもある。アウグスティヌスの奔放な若年時代と、やがて彼がキリスト者として目覚めていく過程は、彼の母の逞しい忍耐と格別の慈愛無くして語れぬであろう。あの強き母無くしては、アウグスティヌスが聖人と称されることは無かったであろう。アウグスティヌスの告白、引いてはこの書物、その全ては、母モニカのためにある。上巻のラストは、母への祈りで締めくくられている。

このようにして、わたしの母がいまわのきわに、わたしに願い求めたものが、ただわたし一人の祈りによるよりも、多くの人びとがわたしの告白を読んで祈りをささげることによって、もっと豊かに母のために与えてください。

祈りは聞き入れられた。

 

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文章論――言葉と音についての覚書|耳でブログを書く女の世迷言

想像力が足りない

日記やエッセイもどきであれば比較的サラサラと量産出来るのだが、小説、詩、短歌、俳句、そういったものの創作はてんでお手上げだ。自分の頭のどこを絞れば架空のマチや架空のヒトが生まれてくるのかさっぱり分からない。自分の頭のどこを揺すればあの流れ星のような言葉たちが落ちてくるのかさっぱり分からない。もう無から有をひり出すとかいうレベルじゃない。むつかしい論文を読んでそれに対するお前の意見を何万字で書けとか言われた方がまだ筆が進むと思う。「物書き」という点では共通していても、それぞれの分野で大いに向き不向きがある。とにかく、私の頭は物語や詩歌を書くのに向いてない。

ぐだぐだ

とはいえ、書いてみたいという意欲はあるのだ。意欲だけは。例えば短い物語を書くとして……まず舞台。私は家の中とコンビニとスーパーくらいしか知らないので、このうちのどこかになるだろう。次に登場人物。書くとしたらやっぱり女子高生だよな!女子高生以外なら……女子高生以外に私は何の職業を知っているのだろう。女子高生とフリーターくらいしか知らない。それで肝心のシナリオだが……何かをするのだ……女子高生が……何かを。私は「すること」について何を知っているのだろう。「すること」について知らなさすぎるのではなかろうか。私は彼女に一体何をさせれば良いのか?女子高生は何をするんだ?勉強?私自身は部活に入ってなかったので、勉強。スーパーやコンビニで勉強はしないだろう。じゃあ家の中。女子高生が家の中で勉強する話。なるほど。……なるほど?

創作についての話題はもうやめにします。別の話題にします。

文章を書く上でのポリシーみたいなもの

先日「ブログ論」について少し触れた。それと同じく「文章論」というカテゴリーもまた、自身の経験を基にそこそこ書けてそこそこ形になり、そこそこ需要があってそこそこ集客を見込める安定した分野だと思う。折角なので1度はそれっぽいことを書いておくことにする。

五線譜に音を置くように

私が文章を書く上で1番気にしているのは、音。リズム。テンポ。文章は、耳で視るもの。格式高い言葉とか、美しい表現とか、そういうものは一旦抜きにして、とにかく耳に心地の良い文章を書きたい。私の頭の中には朗読者が住んでいる。文章を書きながら彼(彼女)にリアルタイムで読み上げてもらう。彼(彼女)が「読みづらい」「舌がもつれる」「違和感がある」と言った部分は即座に修正し、OKが出るまで読み上げと修正を繰り返す。彼(彼女)の朗読には絶対の信頼を置いている。

どうしようもないこだわりにどうしようもなくこだわってしまう

では彼(彼女)はどういう文章に難色を示すのか。上の文章丸々、音の悪い文章に変えてみよう。あくまで、私(と朗読者)のドドド主観なので何言ってんだコイツ程度に流し読みして頂きたい。むしろ読まずにすっ飛ばしても構わない。

私が1番文章を書く時に気にしているのは音とリズムとテンポ。文章は、耳で視るもの。格式高い言葉とか、美しい表現とか、そういうのは一旦抜いて、とにかく耳に心地良い文章を書きたい。私の頭の中には朗読者が住んでいる。文章を書きながら彼(彼女)にリアルタイムで読み上げてもらう。彼(彼女)が「読みづらい」「舌がもつれる」「違和感がある」と言った部分は即座に修正し、OKが出るまで読み上げと修正を繰り返してもらう。彼(彼女)の朗読には絶対の信頼を置いている。

●NGポイント1「時に気に」:「に」が続くのが嫌だし、「ときにきに」はスタッカートのように舌が跳ねるので嫌い。

●NGポイント2「1行目の読点前後の音数のバランス」:「私が1番文章を書く時に気にしているのは」と来て、「音とリズムとテンポ。」と続くのが、なんかこう中途半端にころころ落下している感じがする。いっそ「気にしているのは、音。」とガクッと落としてやったほうが切れが良い。

●NGポイント3「そういうのは一旦抜いて」:「そういうの」が幼い印象を受けるのもそうだが、短い文が読点を挟んで3つ続くのはくどいと思う。「そういうの」を「そういうもの」に、「抜いて」を「抜きにして」とすることで音の数を調節。

●NGポイント4「心地良い」:読者が「ここちよい」と読んでくれたら問題ないのだが、「ここちいい」と読まれると少し困ってしまう。「ここちーー」と聞こえるのがヤダ。「心地よい」と書けばいいのだが、「良い」という字が好きなので仕方がないのだ。「心地よい」ってちょっと赤ちゃんみたいで私のブログには可愛いが過ぎる。

●NGポイント5「て」:少し後に続く「OKが出るまで」の「で」と音が被るのがモヤモヤするので要らない。

●NGポイント6「繰り返してもらう」:少し前にも「もらう」があるので、アレさっきも読んだよねというデジャヴの原因になる。

6つのうち1つでも分かって頂ければ僥倖だ。私にとっては大切なこだわりでも、文章全体からすれば大した意味を持たないだろうし、修正しようが修正しまいが文章の質に変わりはないだろう。でもやっぱり……気になるものは気になるのである。音が。

結論:私は耳でブログを書いている

私はどちらかといえば詩よりも短歌や俳句、川柳の方が好きだ。予め耳に心地の良い枠が用意されているから。しかもその枠が神懸り的な美しさで、最早手の加えようが無い程に完成されており、どんなに言葉選びがヘタクソでもセンスが壊滅的でも、枠にさえ収まっていればそれらを補って余りあるほどの高貴さがそこにはある。アンパンマン カレーパンマン しょくぱんまん」。字余り。今あなたがこれをリズミカルに読み上げられたのなら、私の言った内容のほぼ全てをご理解頂けていることだろう。古典の授業で習った漢詩、五言律詩とか七言絶句みたいなアレも、書き下し文の耳当たりの良さが最高なので好き。対句。そう対句が好き。あっ私って対句が好きなのか!当ブログにおいても対句ならぬ対文を多用しているので、他の記事を読む機会があれば探して頂きたい。この記事でも既に、1つ目の段落で使用している。一方で詩の自由すぎる音は時折私を不安にさせる。声に出して読んでいなくとも、舌が回らないのである。

良い文章です

意味の分からないことばかり述べた詫びとしてお勧めの記事を載せておく。

www.ryoanna.com

あ~……好き。文章の書き方について解説したこの記事の文章自体が好き。静かに、淡々と、それでいて強く訴えかけたい文章を書きたい人にお勧め。自分には溌溂とした文章やキャッチーな文体は似合わねえや、と思ったらこちらを読もう。

rootport.hateblo.jp

こちらは技法ではないが、文章を書ける人は何をしているかという記事。書ける人になりたければ、知識を入れよう。知識はだいたいのことを救済してくれる。

 

下心があるのでタイトルに「文章論」と入れました。看板に偽りしかない。

 

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外国語に関する特に中身のない覚書|アイムノットファインセンキュー

大人には突然学びたくなる時がある

趣味7割実益3割程度で、気負わずに毎日チョコチョコやれるような勉強を探している。実益全振りの資格を取るのも悪くはないが今更なあという気もするし、なにより試験だなんだとこれ以上自分を疲れさせるようなことはしたくない。真っ先に思いついたのは、英語。1日15分程度でも単語なり文法なり便利フレーズなり多少覚えられるし、いつか役に立つ時が来るかもしれないし。「毎日10個ずつ単語を覚えていけば1年後には相当の単語力が身についている。だから毎日コツコツやりましょう」なんて、似た様なことを誰もが1度は言われたことあるのではなかろうか。今日の単語を1つ頭に入れたら昨日の単語が1つ鼻からはみ出るような人間だっているんですよ。英語以外にも法律やIT分野の用語集だけ買ってちんぷんかんぷん言いながら毎日1つずつ覚えていくのも悪くはない。あとはコーヒー関連とか。

格好良い肩書きを1つくらい持っていたい

コーヒーについて学びたいという意欲(だけ)はある。

aboutcoffee.jp

記事を埋め込んだらなんかタグ丸出しになってしまったがちゃんと閲覧出来るので安心して欲しい。コーヒーソムリエは独学前提なので講座費用がかからず受験料も安価、その上在宅受験可能でかなり取りやすい資格だと思う。自分にあったテキストを本屋で1冊見繕えばそれで十分合格出来るようだ。分かりやすく解説したブログがあったので紹介させて頂く。

7newfaces.com

100均のドリッパーに100均のフィルター乗せてマックスバリュの1番安いコーヒーを入れて年季の入ったタイガーの電気ケトル「わく子」で沸かしたお湯を勢いよくジョババー!!するのもいい加減に卒業したいものだなあ。

気付けば横文字だらけの世界で

実は学生時代にTOEICを受験したことがある。最高は800点。結局1度も活用することなく期限が切れてしまい勿体ない限りであった。

これまでに齧ったことのある外国語は、英語、中国語、イタリア語、フランス語、ラテン語。英語以外は本当に触りも触りなのでノーカン同然だ。中国語は大学の第二外国語、イタリア語はジョジョ5部にハマっていた時に、フランス語は某ソシャゲ最推しのキャラがフランス馴染みだから、ラテン語は興味本位で講義を取って2ヶ月程で挫折。

色々な外国語をやっていると、店の名前とか、商品の名前とか、「これって××語だったのか」と思うことが多々あって非常におもしろい。毎日ベッドに寝っ転がって単語帳を10分眺めておくだけで、次の日いつもの街が少し変わって見えたりする。我々は日本語のみによって生きるのではない。時には英語によって生きたり、中国語によって生きたり、イタリア語によって生きたり、フランス語によって生きたり、ラテン語によって生きたりするのである。ごく簡単な例を挙げれば「レストラン」はフランス語だし、その「レストラン」というフランス語は更にラテン語に由来する。身の回りにあるよくわかんないカタカナの言葉にも、だいたいわかるカタカナの言葉にも、よくわかんない漢字の言葉にも、だいたいわかる漢字の言葉にも、歴史というものが確かにあって、それに気づかせてくれるのも外国語学習の面白いところ。 

ハブアグッドデイ症候群

話題は変わって、これは単に好みの問題なのだが、私は英単語が散りばめられていたり全体或いは一部に英文がつらつら書いてあるようなアイテムがどうにも苦手で、店頭で気になる商品を見つけて手に取りぐるっと回して反対側に「Have a good day!」とか書いてあるのを見るとそっと棚に戻してしまう。庶民的な雑貨屋に売ってるモノには隙あらばハブアグッドデイと書いてある。皿を見てもハブアグッドデイ。コップを見てもハブアグッドデイ。手帳を見てもハブアグッドデイ。ポーチを見てもハブアグッドデイ。限界フリーターに向かって何だそのハブアグッドデイは。そのハブアグッドデイハブアグッドデイいうのをやめなさい。たまにはグッドじゃないデイも悪くないんだぞ。泣いたり、怒ったり、悩んだり、もがいたり、人間らしい、いや人間臭いことが出来るのは、グッドじゃないデイのお陰なのだ。いつもいつもグッドじゃないデイなのは困りものだが、グッドじゃないデイのお陰で我々は人らしくいられるのだ。ハブアグッドじゃないデイ!

 

読者の皆様におかれましては、ハブアグッドデイ。

 

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凡人の凡人による凡人のための覚書|才能って重たそう

アレな人はもしかしたらアレな人かもしれない

アレな客に出くわした際には、「ウーン、もしかしたら天才の人なのかも」と思うことでその場をやり過ごしている。天才と奇人変人は紙一重と云う。目の前にいるアレな客は実は天才芸術家かもしれないし、天才音楽家かもしれないし、天才小説家かもしれない。IQに差が有りすぎると会話が成立しないとか意思疎通が難しいという話もよく聞く。もしかしたら相手は物凄く頭のいい人なのかもしれない。「アレな感じの天才がそう身近にいてたまるか」と思ったら、大学時代の教授で1番アレな人を思い出して欲しい。そういうことである。

「天才」の類義語について調べてみた

とはいうものの、限りなく害の無い天才と、危険表示テープでぐるぐる巻きにしておきたいタイプの天才を一緒くたに「天才」と呼んでしまうのは些か気が引ける。何か適当な言葉は無いだろうか。こんな時のweblio類語辞典以下引用部は全て三省堂大辞林 第三版』より。

きさい【奇才】

世に珍しいすぐれた才気、才能。また、その才能をもつ人。 「天下の-」

それらしいのだが、もう少し危険な香りが欲しい。

きさい【鬼才】

人間のものとは思われぬほどのすぐれた才能。また、その才能をもつ人。 〔同音語の「奇才」は世にも珍しいすぐれた才能のことであるが、それに対して「鬼才」は人間とは思われないほどのすぐれた才能をいう〕

鬼っていうよりもぬりかべとか一反木綿みたいな感じを求めてるんですよね

にゅうしん【入神】

技能が上達し、人間わざと思えないような、すぐれた域に達すること。 「 -の技ぎ」 「術は屈せざる練磨に由りて上達-す/欺かざるの記 独歩」

 神になった。

これは人に対してというより技能に対しての評価なので私の欲する所とは少し違うかも。

アインシュタイン【Albert Einstein】

(1879~1955) ドイツ生まれの理論物理学者。1905年、特殊相対性理論・光量子論ブラウン運動の分子運動理論を発表。いずれもその後の物理学に大きな影響を与えた。16年、一般相対性理論を完成、それに基づく重力理論・宇宙論を展開。20年以降、重力と電磁気力との統一場理論の建設に努力。量子力学形成の過程においても、光量子論のほか、固体の比熱理論、量子統計法などの業績を残した。33年、ナチスの迫害を逃れてアメリカに亡命。熱烈な平和主義者としても知られる。

……個人名ですよね?

以下、weblio類語辞典で「天才」の類語を調べると本当に「アルバート・アインシュタイン」が出てくるという証拠のスクショ。

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これはむしろ「変人」の類語で検索した方がいい気がしてきた。私がここで言っている人物とはつまり、「天才であることに間違いはないのだがそれ以上に素行や言動がアレすぎて第一印象も第二第三の印象にも『ウワッ!ヤベエ奴だ!』以外の感想が思い浮かばないようなデンジャラスパーソン」……危才(きさい)とかでいいですかね。

上には上の上の上の上の上の上がいる

話は変わるが、インターネットは「自分が普通ではないこと」を他人に知らしめるのに最適な場所であり、また同時に「自分が普通でしかないこと」を自覚させられ打ちのめされるのに最適な場所である。その他大勢とは違う異質な存在でありたいと願うことは何一つ異質なことではない。ごくごく健康的な欲求である。身ひとつ勝負の現実とは違って、自分の最も面白い部分だけ切り取ってリングに上がればよいのだから、勝算は現実よりあるかもしれない。最大の問題は、対戦相手もまた自分の最も面白い部分を切り取って登壇してくるということである。自分の最も面白い部分が最も面白い人が勝利である。自分の最も面白い部分の敗北は、自分全体の敗北以上の敗北を意味する。惨い話だ。

人はみな全体であり、一部である

自分は「天才」にこそ遠く及ばないが、も、もしかしたら、こう、「非凡」な人間といっても、か、過言ではなかったりして?誰しも1度くらいは、このような気持ちを抱いたことがあるのではなかろうか。

試しに街中に出て人の往来を眺めてみよう。なんとまあ……なんとまあ平凡な群衆であることか。平凡が服を着て靴を履いてバッグを持って歩いている。平凡が喋っている。平凡が動いたり止まったりしている。全員同じ服に見える。全員同じ顔に見える。全員同じ声に聞こえる。すごい。今なら全員に勝てそう。大勢の平凡を前にして、自分という特別が内側から殻を破って彼らに飛びかかろうとしている。ステイ。このような街中で騒ぎを起こすわけにはいかない。あなたは黙っている。黙って平凡の往来を見ている。黙って平凡な群衆に紛れている。特別なあなたは平凡な群衆の1人である。

「自分」という意識だけが日に日に尖っていく

時々、周囲の人間がありふれた日常を過ごしている中でただ自分だけが鋭敏な感覚を持って生きているような、そんな錯覚に陥る。自分だけが特殊な受容器官を持っているのではないか。イライラもムカムカもピリピリもドキドキも全て自分だけの特殊な感覚なのではないか。人付き合いが嫌いなのも恋愛が出来ないのもタピオカミルクティーに興味が持てないのも自分だけの異常な感覚なのではないか。自分は人間の内面というものを知っているこの世でただ1人の人間ではないか。自分は哲学の答えに手が届くこの世でただ1人の人間ではないか。自分は世界の裏側に到達しうるこの世でただ1人の人間ではないか。もちろん、錯覚である。

わたしは天才ではない。わたしがこの世で生きているうちにわたし1人が哲学の真理にたどり着いたり世界の裏側に到達するようなことはまず無いと思っていい。天才ではないわたしがこの世で掴めることといえばせいぜい、わたしがこの世でただ1人の人間であるということくらい。これはもちろん、錯覚ではない。

 

 

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「あと1時間」についての覚書|こうしている間にも人生はどんどん減っていく

稼ぐに追い抜く貧乏神

「時間はあれども金はない」と揶揄されるのがフリーターだと覚悟していたけれど、「時間もないし金もない」フリーターになるとは思わなんだ。忙しい、とか時間がない、と口に出して言うのは好きではないけれど、これらはなんと便利なものだろう。「忙しい」「時間がない」という蜘蛛の巣を辺り一体に撒き散らしておけば、これから述べる言い訳の聞き手をとっ捕まえて磔にしておけるのだ。哀れにも巣に引っかかった善良なる蝶に向かって、「ああ忙しい、だから~」「ああ時間がない、そのため~」というもっともらしい言い訳をまくし立てる行為が、今日も捗るのである。ところで風呂場に蜘蛛の幼虫みたいなのが10匹くらい居たんですけど誰か助けてくれませんか?

追記:トイレにクソデカ蜘蛛がいました。

 あと1時間だけ

時間が欲しい。自分でバイトを詰めておいてこんなことを言うのもなんだが、時間が欲しい。よくよく考えたら、定時の8時で上がったとして、すぐに支度して帰れば9時頃には家に帰り着くし、そこから1時間家事をしたとて10時で、そこから2時間ブログを書いたり本を読んだりしても12時で、寝る時間だって十分にあるはずなのに、気づいたら既に16時とか17時を回っていて、そりゃ寝坊もする。おかしい。退勤後の時間の流れがおかしい。やってもやっても洗濯が終わらないし、やってもやっても掃除が終わらないし、やってもやっても片付けが終わらないし、しかもそれが毎日毎日続く……なんで?あと1時間欲しい。正確には、「やるべきことを全て終わらせたあとでじっくり腰を据えてやりたいことをやる時間」があと1時間欲しい。

 仕方がないので「やるべきことを全て~」を1時間増やす方法について考えてみる次第である。

 

1日を1時間増やすための方法その1:ブログをやめる

はい、これが1番手っ取り早いですね。今までご愛読ありがとうございました。

 

 

 

……これは私の中で毎日渦巻いているものが出口を失って詰まりを起こして死んでしまうのでやめよう。ブログという排泄口を閉鎖してしまったら内側から破裂してしまう。それに比べれば1時間程度の余暇ごとき何になろうか。なのでやめることをやめよう。食後のデザートとして目の前のシュークリームを速やかに消費することと、もよおした時に我慢せず速やかに排泄することと、どちらが身体にとって大切かという話である。きたねえ例えだ。どうでもいいけどシュークリームに齧り付くとクリームがおしりから出ますよね。いや私のじゃなくて、シュークリームのおしりからです。

1日を1時間増やすための方法その2:家事をやるのにタイマーを使う

帰宅後の家事というのは特に何時までにやらなきゃならないという決まりもないためダラダラ引き延ばされがちで、帰宅後故に体が重くなかなか捗らず、一旦ベッドに腰掛けたが最後そのまま気絶するなどという醜態を晒し……とにかく(私が)クソ。帰宅後即30分後の時刻にタイマーなりアラームなりをセットしそれまでに全部終わらせるようにすれば、それだけで30分は時間が増えると思う。問題は、家事を高速で終わらせたその疲労で気絶しないようにすることである。

1日を1時間増やすための方法その3:コーヒーの量を増やす

行動能率が上がるけれどもブログのタイトルが変わってしまう。

1日を1時間増やすための方法その4:寝ない

寿命も縮んで一石二鳥!

1日を1時間増やすための方法その5:時間が増えたことにする

わーい(思考放棄)

 

時間は全てを解決するか?

そういえば目的?理由?を決めていなかった。1日にあと1時間あったら、「やるべきことを全て終わらせたあとでじっくり腰を据えてやりたいことをやる時間」があと1時間あったら、それで私はなにをしたいのだろうか。何かを始めることだろうか。何かを続けることだろうか。何かを終わらせることだろうか。何かを提起することだろうか。何かを解決することだろうか。まァなんにせよ、ひとまず時間さえあれば、何かがどうにかなるはず、なあそうだろう時間……と時間に対して一方的に期待しているうちは、何かがどうにかなることはない。時間は万能であるが、全能ではない。万と全の間には無限の差が広がっている。

時間はありとあらゆるもの、地球さえも、宇宙さえも、自身のレールに乗せて遥か彼方へ運ぶことが出来る。一度乗ったら死ぬまで(下手すれば死んでも)引き返せない最も大きなレールの上に、更に分岐となるレールがあって、我々は日頃そこに乗ったり降りたりしているわけだ。仮に手持ちが1時間増えたとしても、向かうべき駅を持たない私は、子供の電車ごっこに混ざるようなもので、しゅっぽしゅっぽ、その辺をぐるぐるぐるぐる運行して、それでおしまい。それでは困る。進みたい。1時間で。どこへ?

芸能人ばりのスケジュールをこなすゆるキャラ

誰か私のことも分単位で管理してくれないだろうか。芸能人みたいに。そういえば何年も昔、熊本城へ観光に行ったとき、ちょうどくまモンに出くわした。くまモンはそこにいた子供たちからもみくちゃにされていた。するとくまモンのマネージャー(?)と思しき女性が、「はいくまモン次の現場行きます!!ほら次行くよ!!時間ないよ!!」と大声でくまモンを呼びつけていた。くまモンは子供たちとの別れを惜しみつつもあのプリプリしたケツを揺らしながら走り去っていった。一瞬の出来事で記念撮影すらままならなかったけれど、いいものを見れたと思う。

 

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