珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

年を取ってから何かを始めることについての覚書|とあるネイリストおじさんの話

お……おじさん!

間寛平似の常連のおじさんの職業がネイリストだった。わりと最近になって資格を取ったようだ。おじさんの年齢は52、3歳くらい。見た目の印象を素直に言わせてもらうと、工事現場とか、交通整理とか、大工とか、とにかく外で汗を流している方が似合いそうな、小柄でおしゃべりでどこにでもいる田舎のおじさんという印象だ。最近髪を切って角刈りになった。その角刈りのおじさんの職業が、ネイリストだった。といっても皆が思い浮かべるような女性向けのキラキラした店ではなく、メンズネイル店という名目で、男性向けの簡単なネイルケアやハンドケアが中心の店舗に勤務しているそうだ。名刺を貰って、ネイリスト資格の証書の写真まで見せてもらった。バッグから専用の道具をいくつか取り出して説明してくれた。今度イベントもやるらしい。「人は見た目に依らない」という言葉に手足が生えたとしたら、きっとあのおじさんになるのだろう。

人に対して「意外」という言葉をあまり使わないようにしている

ネイリストおじさんの衝撃は、その日の私をずっとふわふわさせた。その後の勤務時間はずっとおじさんのことを考えていた。おじさんから職業を明かされたとき、私は喉元まで出かかった「ええ~!!意外です~!!」という言葉をすんでのところで飲み込んだ。そんな失礼な感想があるか。かといって代わりになるようなうまい言葉も見つからないので、「へえ~!!そうなんdrrrすrrrぇ~!!」と盛大に噛みながらも無難なリアクションを取った。あまりにも噛みすぎたので伝わらなかったかもしれない。ネイリストってやっぱりこう、オシャレな女性ばかりというイメージが強かったから。それにおじさんが来店するときは決まって、自宅の庭の草むしりをしてそのまま来ましたと言わんばかりのラフな格好だったから。へえ~……そっか……ネイリストか……いいなあ。

世間様が人生100年時代とか言ってるし

現状ではただの綺麗事にしかならないかもしれないが、どんな人であっても本来は、年齢とか性別とかそういうの関係なしに、やりたいことをやればいいのだ。けれども我々は社会に生きる生き物だから、どうしてもある程度の枠組みに収まっておかないと却って居心地が悪くなる。しかしこうしてあのネイリストおじさんのことをぼんやり考えていると、やっぱりそういうのはどうでもいいんじゃないかと思えてきた。私だって、やりたいことをやってもいいのかもしれない。そうだ、やりたいことを。やりたいこと。やりたいこと……。

やりたいことは、あんまりない。

理由を知りたかった

人生を揺さぶるような出会いというものがあるとしたら、あのネイリストおじさんは間違いなく食い込んでくるだろう。年齢に付きまとうイメージとか、性別に付きまとうイメージとか、そういう世間のステレオタイプから距離を置くことは、時に不思議な「味」を生み出す。実に「味」のあるおじさんであった。 そんなおじさんとの奇跡の出会いを果たしたというのに、私ときたら、やりたいことが……やりたいことがなくて、途方に暮れている。おじさんはどういう過程を経て、おじさんと呼ばれる年齢になってから「ネイリストを目指そう」と思ったのだろうか。そこまで聞いてくるべきだった。常連なのでまた近いうちに会えるだろうけれども、物事には鮮度というものがある。日付が変わってから改めて尋ねるのは、何かが違う気がする。タイミングを逃してしまった。

将来は「ちょっとミョーなおばさん」という選択肢も悪くないかも

なんだか色々ぐるぐる考えることはあるのだが、1つ確かなものがある。私が45歳とか50歳くらいの立派な「おばさん」になってから、ある日突然「そうだ陶芸家になろう」と思い立ち師匠に弟子入りすべく山奥に踏み入っても、それはそれでいいのだ。おばさんを受け入れてくれる師匠がいるのかとか、生活の糧はどうするんだとか、そういうことはさておいて。私が60歳になってから、ある日突然「そうだ若者向けのゴッツいシルバーアクセサリーを作って売ろう」と思い立って、スカルや十字架や蝙蝠のシルバーアクセサリーを作り、露店を構えて、ド派手なサウンドを鳴らしながら暮らすメタルババアとして生きてもいいのだ。実際作れるかどうかとか、店が成り立つかどうかはさておいて。

年を取っても、道は案外広いのかもしれない。

 

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接客という業についての覚書|接客業はいつも雨のち晴れのち雨

スマイル101兆4564億円(2019年度)

接客労働者には、愛想手当が必要なのではないだろうか。壊れたレコードのように繰り返す「いらっしゃいませ」、心にもない「ありがとうございました」「またお越しくださいませ」、歯を食いしばって絞り出す「申し訳ございません」。どう足掻いても日本人(クソデカ主語)がこれらの呪縛から抜け出せないというのなら、いっそのこと手当を用意するべきだ。ひと昔……いやふた昔かさん昔くらいに流行った「スマイル0円」というフレーズ。当時悪ノリして店員にスマイルを注文しまくった若者たちも大人になり、社会人になり、血を吐くような気持ちで顧客にスマイルを振りまきながら、かつての愚行を懺悔していることだろう。な~にがスマイル0円じゃ!

愛想は大切だけれども(結局何もかもごく一部のクソ客のせい)

先日、「XXという店員の愛想が悪かった」という名指しクレームが店に入った。個人的に最も貰って困るクレームが「愛想がない」。誤解を招かぬよう前もって言っておくと、曲がりなりにも接客業で、目の前の人間から代金を頂戴してそれが我々の賃金になっているのだから、どんなに虫の居所が悪かろうと客に対する最低限の愛想は繕うべきだ。けれども時給800円とか900円そこらで働く学生に一流ホテルマン並みのサービスを求めて喚き散らすような客が現実に(マジで)存在する以上、「愛想がない」というクレームが発生した際に、その客がクソなのか本当に店員がクソだったのかは、現場を見てみない限り判断しかねるのである。そういったクレームを貰った従業員サイドのやることといえば、みんなで顔を合わせて苦笑いして、もにゃもにゃと二、三言意見を交わして、「一応気を付けていきましょう」という無難な結論を出して、解散。社員主体の店舗ではそうはいかぬだろうが、学生アルバイトと20代フリーターが全従業員の9割を占める職場にとって、「愛想がない」というクレームは、どうにも持て余すのである。

あれだけコンビニがあるのだから客にコンビニバイト経験者がいても何らおかしくない

 ある程度接客業をやっていると、目の前の客が接客業を経験した人間か否か、すぐに見抜けるようになる。これはよく言われる話である。物腰が違う。こちらがいらっしゃいませと言うと、なんだか申し訳なさそうな顔で商品を差し出してくる。こちらまで申し訳なくなる。たまにバーコードをこっちに向けてくれたりする。会計後に無言でポイントカードを出したり、レジ計算後に「待って2円あったわ」とか言いながら小銭を投げたりなんてことはしてこない。全員が全員そうというわけではないが、こう、優しい。みんなありがとう。

今日も呪いを抱えて買い物へ

接客業を経験すると優しくなれる。これはある程度真理だろう。ところがこの「接客業経験者」というものにも厄介な部分があると思う。それは例えば「まー無愛想な店員、うちの店ならクビになってるわ」とか、「店に入ったのに挨拶ナシとか、自分が似たような店で働いてたときにはとても考えられないね」のような、経験者の目線による無意識の店員ジャッジである。これは接客業経験者を苦しめる一種の呪いのようなものだと思う。何もジャッジしたいわけではない。でも、ジャッジしてしまう。この店員はいいねとか、この店員はちょっとよくないねとか、本心ではそういう……そういう目線で店員を見たくないのに、どうしてもそういう目線で見てしまうのだ。これは本当に苦しい。本来ならば商品さえ売ってくれればそれでいいのに。アルバイトをしていなかった頃は、店員の態度なんて意識したことも無かった。ウウッ苦しい。いわゆる「気にしい」の人間ほど、苦しいのではなかろうか。私はめちゃくちゃ気にしいなので、めちゃくちゃ苦しい。この呪いが死ぬまで付きまとうと思うと……ゾッとする。不意にモンスタークレーマー予備軍という言葉が脳裏を掠める。目眩がしてきた。呪いになんて、絶対負けないんだから。

みんないつもありがとう

コンビニに入って、108円の食パン1つ抱えた私のために品出し中の店員がレジに駆け寄って来るのを見ると、心がキュッとする。「食パン1つで会計呼ぶなや」とか「お前にだけは売りたくないんだけど」とか「視界に入るなブス」とか言わないでくれることに感謝しかない。愛想って本来は超高級品だと思うのだが、いつからこんなに安くなったのだろう。人間めちゃくちゃ腹が痛い時もあれば、鼻水が止まらない時もあれば、頭が割れそうに痛い時もあれば、よく分からんがとにかくむしゃくしゃして仕方がない時もある。何年も何十年もの間、1週間のうち5日がずっと好調な人間などいるものか。たまたま入ったコンビニの店員の体調や精神が万全とは限らない。万全じゃないとも限らないけれど。あなたの体調が良いか悪いか私には分からないけれども、私が食パンの袋を持っておずおずとレジに近づいたとき、すぐに気づいてくれてありがとう。駆け寄ってきてくれて、どうもありがとう。

 

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承認する人々についての覚書|救うゾンビに救われるゾンビ

「承認欲求」のゲシュタルト崩壊

センチメンタルネットサーファーに問いたい。ネットの海を彷徨っていて、1日でも「承認欲求」という言葉を見かけない日があるだろうか。タイムラインを眺めていても、ブログを読んでいても、適当なサイトを転々としていても、あちこちから聞こえてくるは「承認欲求」。どこに行っても必ず誰かが承認欲求について考えていて、承認欲求について議論していて、時に承認欲求を殴ったり蹴ったりしたかと思えば、次の瞬間には承認欲求を抱きしめてわんわん泣いたりしてる。つまるところ……みんな承認欲求というものが気がかりで仕方ないのだろう。旅行当日の天気のことくらい、承認欲求のことを気にしているように見える。カレンダーを1枚めくって初めて今年のバレンタインデーが休日だと気づいた時の女子高生くらい、沈痛な面持ちが画面越しに透けて見える。

相手がいなくちゃ承認は成り立たない

ここで私はふと気づいた。みんな「承認を受ける側」のことばかり考えている。「人間ならば承認欲求を持っている・・・・・・・・・・ のは当たり前」「認められたい・・・・・・ と思うのはおかしいことではない」「目立ちたがりは承認を得たい・・・・・・ という欲が強く……」「承認欲求の強い人・・・・・・・・ はその裏で寂しさを抱えており……」云々。承認を受ける側の人間がいるならば、承認を与える側の人間がいるのは当然だ。承認は、一体誰が与えているのか?インターネット世界の発達で誰でも気軽に承認を得られる時代になったわけだけれど、彼らの承認欲求を満たしてあげているのは一体誰なのか?お客様の中に承認者の方はいらっしゃいませんか。

ささやかだけれど確かな承認

大仰に問いを投げたが、答えは簡単である。我々だ。呼称については「私たち」でもいいし、「僕ら」でもいいけれど、とにかく我々だ。認められたい我々こそが日々誰かを認めているのだ。ウイットに富んだツイートが目に入ったからとりあえずお気に入りに入れておく。記事を読ませて頂いた駄賃代わりにスターを置いていく。1枚の絵に自分の推しと推しが描いてあったから、反射的にいいね!を押す。掲示板で面白い書き込みがあったから思わず「ワロタ」とレスをする。承認した本人さえもしかすると明日には忘れているかもしれない、それくらいのほんのささやかな承認が、日々世界を飛び交って、誰かを癒しているのである。もちろん、現実世界でも。

陰気なゾンビが地球を回す

他人を承認する――平たく言えば「褒める」行為は、頭でイメージしている以上に、精神が健やかでなければなかなか出来ないものだと思う。精神が健やかでない時は、他人のちょっとした成功や買い物や外出の報告にさえなんだか無性に腹立たしさを感じたり、或いは今の自分の状況と比較して無性に悲しさや虚しさを感じたり、健やかでない精神に比例するように健やかでない反応ばかり出てくる場合がある。そんな状態で無理くり他人を承認しようとすると、平時の何倍もエネルギーを消費する。自分の気分が落ち込んでいる時に見る「他人のいいもの」はよくぶっ刺さる。もちろん一概にそうとは言わない。気分が良くないからこそ、他人のいいものを見て、他人のいいものに縋って、他人のいいものからエネルギーを得ようとする場合もあるだろう。文でも、絵でも、写真でも、音楽でも、何か……何かいいものはないか。今すぐ何かいいものを摂取しなければ死んでしまう……という具合に。とはいえやっぱり、他人を承認するにはエネルギーが要る。他人を承認する言葉――褒め言葉(でない場合もあるけれど)をひり出すのも、楽ではない。だからこそネットの各サービスにおける「ふぁぼ(お気に入り)」とか「スター」とか「いいね」のような、たとえエネルギーが枯渇してゾンビみたいな状態でも、ぽち、と押しさえすれば他人を承認できるシステムは素晴らしいと思う。今日もどこかのゾンビの1ふぁぼが、どこかの誰かを救ったのだ。ゾンビにだって、救済は出来る。

みんなすごーい!

何が言いたいかというと、承認を与える側もすごーい!ということだ。承認を受ける側というものは、何かいいことをしたから、いいものを手に入れたから、いいものを世に発信したから承認されるのであって、すごーいのは当然だが、承認を与える側もそれに負けず劣らずすごーい。承認するって本当にエネルギーが必要だから。自分のエネルギーを削って、他人に承認を与えて、他人を救済している。これをすごーいと言わずに何と言おうか。ある日、疲れて帰ってきたあなたはベッドに寝っ転がり、スマホでぼんやりとブログの記事を読んだ。始めたばかりのブログにしてはそこそこうまく出来ている記事だが、目を見張るほどの含蓄はなかった。そのまま何もせず戻るボタンを押すことも出来る。でもまあそれじゃアレなので、スターを1個だけ投げて帰るか。ぽい。その瞬間、あなたはすごーい。誰かを救ったのである。

 

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白黒さんちの今日のごはんについての覚書|略してはぐめし

人はパンのみによって生きたりもする。

       ―わたしによる福音書4章4節「菓子パン売り場での誘惑」

食パンがいると心強い

バッグにいつも入っているもの。スマホ。イヤホン。充電器。財布。ハンカチ。アルコールティッシュ。手ピカジェル。のどぬーるスプレー。薬ポーチ。携帯用裁縫セット。文庫本。ヘアゴムとヘアピン。鏡。口紅。色付きリップ。食パン一斤。よし、何一つおかしなものは入っていないな。今日も1日頑張るぞい。

焼かなくてもうまい

安くて、洗い物が出なくて、ゴミも少なくて、まあまあ持ち運びやすくて、寝っ転がってでも摂れる理想の食事。それが食パン以前から食パンの耳は好きでよくおやつ代わりに齧っていたのだが、どうも中身が……あの白いところのモサモサした食感が苦手で、無残に耳だけ齧られた食パンはいつの間にか行方知れずになるのが恒例であった。はて一体何処へ行ったんじゃろな。ところが最近になって、レンジでチンした食パンがめちゃめちゃ美味いことに気づいた。500Wで1分チンしたあとのあのむんにょりとした食感が堪らない。1分もチンするとピンと立っていた耳はへにょへにょになり、全体的になんだか湿っぽくなる。たった1分でそんなに落ち込まなくても。おそらくターンテーブル上でくるくるくるくる回されたことで食パンの自律神経がおかしくなったのだろう。

食器はこわい

他人様のブログで一汁三菜の豪華な食卓の写真を見ると、「おいしそう」とか「毎日これだけ用意できるのすごい」とかの前に、「ウッ洗い物が……」となるレベルで洗い物アレルギーである。少し前は節約とダイエットを兼ねて豆腐と味噌汁をメインに食していたが、豆腐を入れる小さな皿と味噌汁椀、それとお箸を洗うというたったそれだけの手間に耐えかねて食パンにシフトした。食パンはキッチンペーパーに乗せて、チン。分かる人には分かると思うのだけど、シンクに残っている食器というものは、想像以上にこちらの精神を磨り減らしてくる。皿1枚箸1本転がっているだけで、ウウッ、もうダメになる。流し台の前を通るたびに精神がやられていく。洗えばいいのだ。けれども洗えないのだ。不思議と。そこにあるたった1枚の皿を洗うことが出来なくて、3日、5日、10日と過ぎていく。不思議。

コンビニのカップ麺は高い

こんなんだからまず他人様と一緒に暮らすことが絶望的。以前も吐き散らかした通り私は立派な恋愛アレルギーなので、恋人なんぞを作るつもりは一切無いのだが、それでも街の往来やカップル客を見ているうちにぼんやりと考え始め(て不機嫌になっ)たりすることがある。出会うのならば、「君が3食食パンを食べていても僕は気にしないよ」という人ではなく、「奇遇ですね、僕も3食食パンなんですよ」という人と出会いたいものである。いや、出会いたい訳ではないけれど。3食カップ麺の人ならいるかもしれない。しかし3食カップ麺の人は私からすれば上流階級なので気が合わないと思う。コンビニでカップ麺を買うような人なら尚更。私に言われたくないだろうが、体にはお気をつけください。脂質とか、塩分とか。

シンプルがいい

とはいえ流石に完全に3食食パンというわけではなく、時々菓子パンも食うし、惣菜パンも食うし、おやつも買うし、塩気が欲しくてコンビニでゆで卵を買ったりハッシュポテトを買ったりする。肉や魚や野菜は全く買わないかもしれない。嫌いなわけではないけれど、肉を買うくらいならそのお金で芋や豆を買いたい。一時期じゃがいもに凝っていた際は、袋でじゃがいもを買って、せっせと剥いて、レンジでチンして、塩をかけてハフハフと食べていた。塩だけで味付けしたじゃがいものなんと美味しいことか。何も塗っていない食パン。塩だけ振ったじゃがいも。思うに、私はそういうのが好きなんだろう。醤油を少し垂らした豆腐。白米も、塩だけ振って食べるのが好き。味噌を添えるのもいい。お勧めの市販食パンありましたら教えてください。

貧相なのも悪くはない

今日は本当にただの日記です。食べることについての。人によっては、私が食に執着しないヤツに見えるかも知れないし、逆に執着しているヤツに見えるかもしれない。世の中これだけ食品メーカーがあって、食品取扱店があって、飲食店があって、デパートの地下は今日も賑わっているし、コンビニで需要があるのは大体食べ物だし、駅や空港のお土産店に並んでいるのも大体食べ物だ。みんな色々なものを食べているのだなあ。私は……あんまり贅沢なものを食べると体の中の貧乏神がびっくりなさるので、今日もシンプルに白いものを、ターンテーブルでくるくるくるくる回して、いただきます。

 

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