珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

楽チン族と苦チン族のやさしいせかいについての覚書|今この瞬間しかないせかい

我々は一体何と戦っているんだ

「世の中、勝ち組だけが勝ち組とは限らない」。ンッン~名言だなこれは。皆様ご存知の通り、世の中には負けてる勝ち組もいれば勝ってる負け組もいる。ほらよく言うじゃあないか、勝負に勝って試合にナントカ……試合に勝って試合にも負け……とにかく、勝ったが負けとか負けるが勝ちとか、戦術的敗北Cとか戦術的勝利Bとか、そういうどうにもこうにもややこしい勝ち方負け方が存在するのが人間界なのだ。それに、元も子もない言い方をすれば、本人が勝ったと言い張っているならおおよそ勝ちで、負けたと言い張っているのならおおよそ負けで構わない。おれの勝ちはおれのもの、お前の勝ちも……それはお前のものでいいんじゃあないか。おれの負けはお前のものだけどな。ガハハ。ところで一体、我々は何に対して勝ったり負けたりしているのかね?

 

らく(๑╹ω╹๑)ㄘん

人生を判定する基準なんて大きいものから小さいもの、希少なものからありふれたもの、物質的なものから非物質的なものまでそれこそ腐るほどあるが、ざっくり「楽」という一字で片付けさせてもらおう。「楽チン」の「楽」である。毎月カツカツで生活している人よりも、経済的にゆとりがある人の方がそりゃあ「楽」だろう。同じ額の給料を受け取っているのなら、1日にやるべき仕事が少なく、また消費する体力や精神力が少ない仕事に就いている方がそりゃあ「楽」だろう。「楽」ってのはそういうものだし。敢えて覇道を求めたり修羅の道を歩まずにはいられない人だって、覇道を求めたり修羅の道を征くことの方が当人にとっては「楽チン」なのだろうよ。その場合、安寧や平穏は彼らにとって「くる チン」でしかないのだ。人には「楽チン」を追い求める権利がある。かの「世界平和」だって、結局のところ「世界中みんな楽チン」の謂いなのだ。そりゃ難しいわけだよ

 

楽か、楽以外か

 「楽チン」とは、それ自体「一」であらねばならぬものである。経済的には「楽チン」とか、肉体的には「楽チン」とか、そうやって細かくしていくから、細かくしていった分だけ余計な勝ち負けが生じるのだ。何言ってんだ?人間は、楽チン族と苦チン族の2種類あればそれで良いではないか。まあ、楽チン族しかいないに越したことはないのだが。そこに「経済的には」という余計な一言が加わるだけで、経済的に楽チンだから楽チン族と、経済的に苦チンだけど楽チン族と、経済的に楽チンだけど苦チン族と、経済的に苦チンだから苦チン族という4民族に分割されてしまう。また、「経済的には」と一言で言ってもそれが生活費なのか趣味のお稽古ごとにかける費用なのかによっても全然違ってくるし、「生活費は楽チンだけどお稽古代は苦チンだから経済的に苦チンだけど楽チン族」みたいなあまりにもややこしすぎる民族が生まれてしまうわけだね。民族紛争、ダメ絶対。

 

ちんちん族になっちゃうので合併はないです

最も単純なところの楽チン族と苦チン族は決して対立し合っている民族ではなく、むしろ非常に協力的かつ流動的で、昨日は楽チン族であったところの者が今日は苦チン族になるなど、かなり適当なところがある。長いこと楽チン族のカリスマとして君臨していた人物だって、その日たまたまお腹が痛かったら苦チン族の下っ端にまで転がり落ちる。生まれがどうとか、昨日までの地位がどうだったとか、そんなことは一切関係ない。「今この瞬間」苦しかったら苦チン族なのである。それで、「今この瞬間」楽をしている楽チン族から薬を受け取って、翌日にはまた楽チン族に出戻りし、「あの瞬間」余裕の態度で薬を寄越してきた楽チン族の彼は、今日タンスの角に小指をぶつけて苦チン族に転がり落ちる。いやあ、人間がこれくらい単純でおバカで可愛い生き物だったらよかったのにねえ。

 

億万長者も貧乏人もタンスの角に小指をぶつけたら等しく痛い

そういえば勝ちとか負けとかの話をしていたんだった。楽チン族と苦チン族の間に勝ち負けは無い。塩と砂糖、山と海、白と黒の間に勝ち負けが無いように。彼らにとっては「今この瞬間」しかないからである。我々は億の財を築いた人に対して、あたかも生涯その地位が確約されているかのような物言いで「勝ち組」と呼ぶであろうが、彼らにとっては億万長者とて「『今この瞬間』億の財を持っている人」に過ぎないのであって、億万長者がお腹を壊したり小指をぶつけたまさにそのときに、億の財を持っている喜びよりもお腹や小指の痛みという苦しみの方を多く感じているのであれば、かの億万長者も一端の苦チン族、ただの村人である。やーいそこの金持ち苦チン族。よく効くお薬、1億円で売ってやろうかい。

 

 

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幸せのコストパフォーマンスについての覚書|”安い”んじゃないよ費用対効果がいいんだよ

突然ですが問題です

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現在我が家のベッドの上でころころしているこいつら合わせておいくらでしょう

 

デデン

正解は660円(税込)。もう一度言おう。660円(税込)だ。1羽660円ではなく、なんと3羽で660円(税込)だ!すごい!安い!大事なことなのであと一回いくぞ!

 

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ペンギン吸い健康法

私の撮影スキルが至らぬせいでイマイチ可愛く見えないのが痛恨の極みだが、実物はクッソ可愛いので安心して欲しい。それで、今もベッドの上でころころしている。ちなみに1羽は定価の330円で去年買ったもの、あとの2羽は先日半額で投げ売りされていたところをワゴンから救出したものだ。早々に手持ちのエコバッグがこいつらに占領されてしまったためにその後の買い物が満足に出来なかった辺り本当にアホだと思う。しかしこれだけは間違いなく断言できる。ペンギンは健康に良い。ところでこの写真の上に乗ってる子、長州小力に似てませんか?

 

660円時間無制限快楽物質出し放題

私はなにも、可愛いペンギンのぬいぐるみを格安で手に入れたことを読者諸兄に自慢したくてキーボードを叩いているわけでは、少しはあるが、そんなにない。ある日私は考えた。疲れて帰ってきて、着替えもせずにベッドに横になって、ペンギンのぬいぐるみをじっと眺めたり、また3羽同時にぎゅっとする。するとどうだろう、可愛いし、もちもちだし、あったかいし、なんかこう、たまらなくなって、ドーパミン的なのがドバドバ出るのを感じる。 ドーパミン的なのがドバドバ出ると、当然それを抑制するセロトニン的なのもドバドバ出る。言うなればソーハピって感じになるわけだ。で、それがたったの660円(税込)ぽっきりで、しかも何度だって使える。幸せのコストパフォーマンスが高すぎる。してこの場合、コスパがいいのはペンギンの方なのか?それとも私の方なのか?人は値段の割に長く使えるもの、或いは値段以上のパフォーマンスを発揮してくれるものなどに対して「コスパがいい」と言う。ならば、ペンギンも安い価格でホルモンドバドバさせてくれる点において「コスパがいい」のだろう。一方、例えば少食で食費が安く済む人を指して比喩的に「コスパがいい」などと言うこともある(あるのかな?)。まあつまり、少ない代償を払ってそれに見合った少ない対価を得る、それで十分満足出来る人のことだ。ならば、私も「コスパがいい」のだろう。何万も払って高級品を買ったり特別な体験をしなくとも、660円(税込)というささやかな代償を払ってペンギンをぎゅっとするというささやかな対価を得て、それで十分満足出来ているのだから。コスパがいいペンギン、コスパがいい私、この上なく最高の組み合わせだ。

 

コスパの極め方は人とモノとで大きく異なるから注意が必要だぞ

 もしもペンギンや私がこれから二人三脚で「コスパがいい」をとことん追求するならば、ペンギンは恐らくに近しい存在になるだろう。ペンギンはどこまでも安く、限りなく安くなろうとし、それでいて発揮できる権能を強く、限りなく強くしようとする。神様にお祈りするのにお金はいらない。神様は決してお祈り料を取らない。お祈り料を取っているのはいつも人間だ。罰当たりな言い方をすれば、神様はタダなのである。それでいてその権能は何よりも強い。タダでお祈りさせてもらえて、しかもお祈りされる本人(人?)はこの世最強って、ちょっと神様コスパよすぎませんかね。で、その傍ら、もし私がコスパのよさを徹底的に追い求めるなら、私は恐らくに近しい存在になるだろう。少ない対価(利益)を敢えてより少なくし、それに伴って支払う代償もより少なくなる一方で、得る満足はより大きくしようと努める。ここを極めた暁には、無から最大級の満足を得られる人間になるだろう。これは虚無ではなくこの世で最も有益な無である。神(の子)と仏の平和的コラボレーション、おっとこんな作品をどこかで見たことあるぞ。

 

ぬいぐるみが自分で歩いてくれるなら連れて行くんだけど

私はぬいぐるみを外に連れて行ったりはしないけど、昔から「ぬいぐるみを外に連れて行く夢」を定期的に見る。大体は「連れて来るつもりはなかったのにうっかり持ってきてしまって周囲から笑われて恥をかく」という内容に終着するんだけど。本当は外に連れて行きたいのかな。それともぬいぐるみの方が、外に連れ出してほしいのかな。

 

 

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この先生きのこる秘訣についての覚書|還元分のポイントが付与されるまで死ねなくなった

我が家の日用品ストック状況(2021年2月9日現在)

シャンプー:2

ボディソープ:2

風邪薬:1

塗り薬:1

絆創膏:3

サージカルテープ:2

保湿ジェル:1

 

うーん

 

ドンキは早く各社バーコード決済対応して

ドラッグストア対象の還元キャンペーン、ファミペイ払い50%還元に続いてau PAY払い20%還元が来てる。2月いっぱいはローソンATMからau PAYにチャージすればチャージ金額の5%が還元されるので実質25%還元だ。ファミペイは上限1000ポイントなので還元対象は2000円以内の買い物に限られたのだが、au PAYの上限は3000ポイント、つまり約15000円分の買い物が還元対象となる。「約」とあるのは厳密に言うと税込200円につき40ポイント還元なので、900円買っても180ポイント還元されるわけではなく160ポイントしか還元されないため。あとは1回の買い物あたりの還元上限が500ポイント(=約2500円分の買い物)に設定されているとか色々注意すべき点はあるのだが、まあそんな細かいことは放っといて、乗るしかないこのビッグウェーブに。先日少々乗ってきた結果、冒頭に至る。

 

城之内が死にそうな導入

とはいうものの、よくよく考えたらこれまでの人生で日用品の買い溜めなんかしたことない。シャンプー5つくらい買っといてもヘーキ?腐ったりしない?ちなみに日用品には全く頓着しないので1番安いのを買う。なんなら牛乳石鹸で頭から爪先まで洗ってもいいと思っている。これはストックが捗りますねえ。紙類はいくらあっても腐らないだろうが、車を持っていないから面倒だ。それに置き場がない。洗剤。常備薬。歯磨き粉。ウーン?最近のドラッグストアはなんでも置いてるからあわよくばコーヒー粉扱ってないだろうかと見に行ったがドリップバッグしかなかった。コーヒー粉の残りが150gくらいしかなくて震える。15000円分の日用品のストックを考えるのは案外難しい。15000円分の日用品と一緒に生活しているビジョンが全く見えない。わたし、白黒れむ!ごく普通の限界フリーター!ひょんなことから15000円分の日用品とひとつ屋根の下で暮らすことに!閉まらない戸棚!はみ出る引き出し!至る所から溢れ出す有象無象の消耗品ども!賑やか(物理)だけどちょっぴり窮屈(物理)!波乱万丈な共同生活、これから一体どうなっちゃうの~!?

 

先物取引

日用品に限らず、食料品でもなんでも何かをストックしておくということは、さしあたってこのくらいまでは生きる用意が出来ている、といった風の趣で大変よろしいと思う。私はあまり好きじゃないけれども。人生において、私を殺しに来るような危険分子――重い病気、大きな怪我、悲観や絶望といった類のもの、あとは単純に私のことが憎い連中など――が少なければ少ないほど嬉しいが、私を生かしに来るような安全分子――数ヶ月分に及ぶ日用品のストック、3年で1冊の日記帳、「来年も会おうね」といった類のことば――もまた同様に私を惑わすものであるからして、これらが少なければ少ないだけ、心穏やかに生きられるというのもある種の事実なのである。

 

人はモノを縄で縛り、モノは人を存在で縛る

私自身と運命のいたずら以外のものによって、私の未来の時間が勝手に確約されるのは少々困りものだ。例えばストックされた数ヶ月分の日用品が、「マァわたくしを見ていただければすぐにお分かり頂けるかと思いますけども、白黒れむさんはこの通りこの先数ヶ月くらいは生きる用意が出来ておるとのことですので、しばらくは飯に誘うなり決闘を挑むなり好きになさったらエエと思いますよ、この先数ヶ月は間違いなく生きとるでしょうから」とかなんとか言って、私のこの先数ヶ月を勝手に保証してしまうのは考えものである。15000円分の日用品を買った次の日に車に轢かれてもうお星様になってるかもしれないだろ!また、私に向かっても「白黒れむさん、あなたはわたくしを買うのに15000円も払いなすったんだから、まさか明日ポックリ死ぬなんてことはありませんよねェ」なんて言って圧を掛けてくる。イヤイヤそれは保証しかねるね。明日は隕石に当たってお陀仏してるかもしれないし、自分の意志で崖からダイブしているかもしれないんだから。

 

最近のポイ活

1.LINEポイントを貯める

2.貯めたLINEポイントローソンお買い物券と交換する

3.ローソンお買い物券Pontaポイントのボーナスがつく商品を買う

4.付与されたPontaポイントau PAYにチャージする

というタダで商品が貰えてマネー残高も増えるポイントロンダリング

 

追記:au PAYの還元上限は月ごとだそうで2月・3月合わせて最大6000ポイント受け取り可能とのことでした 30000円分か~養命酒でも買うかな~

 

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はたらくどうぶつについての覚書|可愛い動物さんが辛い労働しなくて済むように人間があらゆる労働を背負っているのよ

働かざるもの人たるべからず?

一人の人間である前に一個の労働する生き物であるような在り方なんてあんまりだ。労働する生き物という人ではなく、人という労働する生き物。人が大カテゴリー、労働する生き物が小カテゴリーなのではなく、労働する生き物こそが大カテゴリーで、人とはその中に収まる小カテゴリーなのだ。我々はたまたま人の形を取っているだけであって、同等の労働力を供給することさえ出来るのなら、見てくれがゴリラだろうがチンパンジーだろうがオランウータンだろうが何だって構わないのだろう。第二次世界大戦においては、ポーランド陸軍伍長の地位を与えられたクマが弾薬輸送という重要任務において大活躍している。ヴォイテクかわいいんじゃあ。ヴォイテクは生い立ちや境遇、また戦時中という状況が余りにも特殊なので別としても、もし私よりもうまく仕事が出来るクマがいたら、クマに受付させたっていいのさ。たまたま人であるところの労働者。いや、 労働力・・・ 。我々はまず 労働力・・・ であって、それに「人」という、偶然付随した、特に重要でもなんでもない要素が加わって初めて労働者と呼ばれる。

gigazine.net

 かわいい

 

幸せがさき 労働はあと

……などと考え始めてしまうのが捻くれ労働者の悪いところだな。たった今生まれたばかりの赤んぼも未来の労働者なんだって考えると涙が出そうになるよ。ピカピカの1年生も16年後には労働者なんだ。あわよくば彼らが、我々よりもずっとずっと幸せな環境で労働出来ますように。「まず労働力として、次に人として、次に幸せな生き物として」なんてクソみたいな序列をぶっ壊してやろう。「まず幸せな生き物として、次に人として、最後に労働力として」だ!決して間違えるな!

 

いらっしゃいまウオオオオオ(全ギレ)

そこで最も大事な疑問なのが、我々は人という労働する生き物に生まれて幸福なのか?ということである。もし我々がクマという労働する生き物だったら。もし我々がゴリラという労働する生き物だったら。クマやゴリラという生き物が労働に対してどのような気持ちで臨むのか、労働の苦痛にどの程度まで耐えられるか、彼らが堪忍袋の尾をどの程度で切らすのか。我々よりも気楽であるか気重であるか。それは頭の中で想像するしかない。例えば我々は、店に入ってきた1人の客に向かって「イラッシャイマセー」と言うくらいなら比較的誰でも耐えられるだろう。けれども、クマやゴリラは?機械的な「イラッシャイマセー」にも耐えられず一言目でブチ切れて大暴れするだろうか?それとも我々よりもよっぽど上手に「イラッシャイマセー」を繰り返すことが出来るだろうか?滅茶苦茶なことを言っている自覚はある。そもそもクマやゴリラに「イラッシャイマセー」など言えるものか。けれども大切なことなのだ。我々人間が1日の労働で10の苦痛を感じるのに対し、クマやゴリラが全く同量の労働で5の苦痛しか感じないとしたら、労働という面に限れば我々はクマやゴリラと比較して不幸である。それならば私は労働するクマや労働するゴリラに生まれたい。本が読めなくたって酒が飲めなくたっていい。幸福や快楽の多さではなく、不幸や苦痛の少なさという点で生まれる生き物を選びたかった。現実においては、労働する生き物はごく一部の例外(警察犬とか)を除けば基本的に人間しかいないから、人間の個体同士で比較するしかないわけだけど。

 

お疲れクマ、もう労働は懲りゴリラよ

労働するクマや労働するゴリラが存在したならば、彼らは労働のどんな点に、或いはどんな場面においてストレスを感じるんだろう。彼らの沸点や融点を知りたい。始業からかれこれ30分 経過しているのにまだ報酬のリンゴが与えられないとか、そういう時かな。定時にリンゴが与えられさえすれば、どんなクソ客相手にもニコニコしていられるのかな。流石にリンゴ程度じゃ満足しないかな。私ならば1時間おきに1000円ずつ与えられたからといって、クソ客相手にニコニコしていられる自信はない。人が労働でイライラする場面なんて「無茶」「無知」「無駄」「無限」「(有耶)無耶」のいずれか、もしくはいずれかの組み合わせと相場が決まっているんだ。「無」という奈落に1000円投げ込んだところで、何の慰めになるだろうか。1000円札1枚投げ込まれて尚イライラしている人間と、100円のリンゴ1個投げ込まれてニコニコしていられるクマやゴリラだったら、圧倒的に後者のほうが幸せな存在ではないかね。まあ、クマやゴリラがニコニコしていられるとは限らないけども。クマやゴリラにとってはムカついた客をその場で引き裂いたりぶっ飛ばしたりすることなんて朝飯前だが、そしたら解雇されちゃうからね。我慢しなくちゃいけないよね。そういう意味では労働する動物も大変だね。

 

 

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(つよそう)

「2020」の食レポについての覚書|「2020」は製造設備の老朽化により生産終了しました

もーういーくつねーるーと(^▽^)

確定申告

 

2020年の中に1年間もいたという実感がない

税務署から令和2年分確定申告のお知らせが届いていた。いやですね税務署さん確定申告書なら昨日食べたでしょ……と思いながら、PCに残っていた前回の確定申告書のデータを一応開いたら更新日が2020年3月11日だった。なんだろうな、2020年3月11日という日付の「これからやって来る感」が個人的にすごい。2020年の3月って、もっともっと先の日付じゃないんですか?まだまだ他人事でいられるくらいずっと後の未来じゃないんですか?2020年っていったら、車が空を飛んでいたり、ロボットが街中を闊歩していたり、ソリッドビジョンシステムが実用化されてそこらじゅうで決闘者がデュエルディスク片手に決闘しているといった、我々が「いつかは実現するかもしれないけど、まだまだ当分先だよね」と考えてきたまさにその光景が広がっているような、そんな未来ではなかったんですか?気が遠くなるほどの未来ではないけれど、油断すると一瞬意識を持って行かれそうになる程度の未来。少なくとも私にはなんの関わりもないはずの未来。それが2020年だと思っていた。ウーン、私は一体何年生まれなんだ。

 

生き残った私から死んでしまった2020年へ

バイトの休憩時間に読んでいる岩波文庫版『空想より科学へ』の表紙には「エンゲルス(1820-95)」とあるし、自宅で読んでいる同版『哲学入門』には「ヘーゲル(1770-1831)」とある。ウーン落ち着く。かの2020年は私にとってあまりにも先を行き過ぎていたというか、私が一方的に置いてけぼりを食らっていたというか。視覚的にはこのくらいの年代がちょうどいい。古すぎず、新しすぎず、きっと彼らは私の訪問を快く受け入れてくれるに違いない。その一方で、これから正の方向に向かってどんどん進んでいくような数字の鬼気迫る姿は実に恐ろしい。2020年はついこの間までまさに正の方向へ進んでいた数字なのだし。2020年当時の「2020年」には、その気になれば何十年でも突っ走って行けるような気迫があった。あたかも2020年は「2020年」のままで、この先10年も20年も進んでいくような。あの気迫に圧倒されて、私は2020年から目を逸らし、極力小さくなってやり過ごした。その結果、私は2020年という必修科目を履修し損ねた留年生のような有様になっている。まあヤツは既に老衰で死んで、私は生きているわけだけども。ヤツは1を加えられただけで死ぬし、なんなら0.00001を足されただけでも死ぬのだ。

 

2020その他の数字を試食してみた感想ですが

ところでうまく説明出来ないのだが、世に存在する数字の中には「なんとなく自分に馴染む数字」というのがあって、「2020」という数字は私にとってのそれとあまりにもかけ離れているものだから、2020はあなたが去年1年間通ってきた数字ですよと言われても、全く実感が湧かないのだ。2020という数字は、丸っこくてぐにゃぐにゃしていて、持ってみると柔らかくてブヨブヨしている、そこそこずっしりしていてすぐ下に垂れる、色は多分水色、試しに端っこを囓ってみると味も食感もひもQのソーダそのもので、口の中でうねうねする。私はこんな数字に怯えていたのか?ちなみに2021はどうかというと、こちらはなんとなくオレンジ色、というかみかん色だ。味も柑橘系の甘酸っぱさがして、すっぱいパウダーがついているみかん味のグミという感じだ。2019はアレだね、辛いチキンだね。色も味も辛いチキンそのものだ。2018は焦げ茶色、ホクホクの天津甘栗かな。甘い香りがする。

 

はてなブログくんちょっと堅すぎんよ

文字や音に色を感じたりする現象を共感覚というらしい。数学は青、理科は緑とか、そういうアレだ。私の場合、2が空色、7が黄色、8が焦げ茶色、9が赤というくらいで、他はよく分からない。4は深緑色に見えなくもない。私は食い意地が張っているので音でも文字でも大体囓ってみる。ちなみにはてなブログは、イメージカラーのせいもあるだろうが、モバイルバッテリーを囓ったような味や食感がする。私はモバイルバッテリーを囓ったことはないが、私がそう言ってるのだからそうなのだと思う。スマホに比べて分厚く、異様に冷たい。全然噛めないし実質ただの金属だ。前歯がキーンとする。色は表が黒、裏がシルバーという点でも一層モバイルバッテリーっぽい。将来食べ物に困ったときは、音や文字を食って凌いでいこうと思う。

 

 

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