珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

出来たてのマカロンを噛み砕いたりすり潰したりする覚書|ベッドで疲労回復の点滴打ちつつ歯科衛生士のお姉さんに歯磨きしてもらう傍らで眼科の先生に診察してもらえる頭痛専門外来ってありませんか?

いつもの

「脱税しながら老後の資産形成をはじめよう!」ってなかなか大胆な売り文句だなあ。今の世の中、ちょっと(ちょっととは言ってない)くらい悪いことしないと老後が来るまで生き残れないっていういい例ですね。しかしまあ脱税も視野に入れなきゃならんほど税を納めなきゃいけない人たちは大変だな。あの手この手で自分のお金を1円でも多く自分の手元に置いておく手段を考えなければならないんだから。世知辛い世の中で生きていくには、知恵を絞らなければならんのだ。で、その絞った知恵の中でいちばん頭が悪そうなものが、ここにあるんだな。まあ実際は「節税しながら老後の資産形成をはじめよう!」の見間違いだったわけですが。なんかこの導入既視感がありますね。

shirokuro-044.hatenablog.jp

 

間違っても「そのお花要る?」なんて軽率に言えないんだよなあ

健康で文化的な最低限度の生活は大事だけどまあそれはそれとして(!)税金は納めなきゃね。私は社会に関して全く疎いので、ときどき純粋に、本当に子どものように純粋に、「ウーン、道端の植え込みを整備したり通りにお花を植えたりするお金で一体何人の人の命が救えるのだろう」と考えることがあるのだが、世の中そう単純にはいかないんでしょう。お金を払って綺麗なお花を植える代わりに、今日飢え死にしそうな人にごはんを与えようとか、口で言うのはカンタンだしリッパだけど、そういうわけにはいかないんでしょう。そもそもお花を育てる人やお花を植える人、土を作っている人や肥料を作っている人やレンガブロックを作っている人だって、お給料を貰って生活しているわけですからね。世の中って複雑で難解だ。全ての人命を守るために人命以外その他全てのあらゆるものを犠牲にすることは、まだ人類にとって難しいのだ。

 

これもまあ全ての人命が理性的にパーフェクト超人だったら何ひとつ問題ないよねって話なんですけど全ての人命は理性的にパーフェクト超人ではないのでプラトンも今頃天国で壁を殴ってる

人命以外その他全てのあらゆるものに着手するのはひとまず全ての人命を守り終えてからにしよう、などと悠長に考えていたら、その時はきっと地球が滅びるまでやって来ないんだろう。まず「人命が守られる」という言葉の定義から始めなくてはならないけど。とりあえず命がそこにありさえすればOK?それとも最低限度の生活は保証されているべき?それとも全ての人命が平穏に与るところまで行かなきゃダメ?ウーン。そもそも人命を犠牲にせずして人命を守ることが我々人命共に可能なのでしょうか?あんまり悲しいこと言わないでよ。仮に人命総出で全ての人命を守り終えるという大仕事を成し遂げたとしても、改めて世の中を見てみれば社会はボロボロ、経済はボロボロ、街はボロボロ、道もボロボロ、家もボロボロ、その一方で全ての人命がただそこにあるというだけであって、間もなく人命は人命同士、人命以上のものを得るために戦い始めるだろう。人命は次の段階への欲を際限なく持つ生命だから。仕方ない。

 

カロン落雁を戦わせたら硬いぶん落雁が勝つだろうな でも私の歯は落雁も噛み砕けるしすり潰せるから私の勝ち

人間のことを人命って呼ぶの、ちょっと気に入りました。フフ。人命って呼ぶだけで、なんかこう、ごく丁重に扱わなきゃイカンもののように思えますね。シャボン玉ほど脆くもないし、マシュマロほど柔軟ではないが、ウーン、出来たてのマカロンくらいには繊細で壊れやすいです。きっと。イヤ知らんけど。ウッカリ手を滑らせて人命壊したりしたことがないので分かりません。したことがあったら私は今頃悠長に自宅でブログなんか書いてませんよ。まあそもそも出来立てのマカロンに接したことがないんですけど。ふふ。出来たてのマカロン、可愛くて、おいしそうですね。前歯で噛み砕いて、奥歯ですり潰してあげましょうねえ。

 

 

叫ぶ権利と叫ぶ勇気についての覚書|ひとりぽつり

きたない!!!!!!!!!!

コンビニの店先で「ジュルルルル!!!……んっ……ン゛ハァ゛!!!!!」って文字に書き起こすとたいへんアレな感じのきたない声出しながら煙草吸ってるおじさんが真横にいてめちゃくちゃしんどかった。なんだったんだあの拷問。そもそも何をどう吸ったらそういう音が出るんだよ。あのねおじさん、煙草はねえ、スーッと吸って、フーッと吐くの。間違っても「ジュルルルル!!!」なんて音は出さないの。わかる?口に唾液が溜まってるなら先に飲み込んでから吸いなさいな。あと、「ン゛ハァ゛!!!!!」は自分の心の中にとどめておいて、声に出さないの。煙を吐くときに音を乗せちゃだめなの。おじさんひそひそ話とか苦手でしょ。ひそひそ喋ってるつもりでも息にガッツリ音が乗っちゃうタイプでしょ。あのおじさん、いつもあんな音立てて吸ってるんだろうか。歩く18禁って呼ばれてそう。

 

エライ!!!!!!!!!!

仮にあのおじさんをついつい息に音が乗っちゃうタイプだとしたら、私は逆に息ばっかりで喋っちゃうタイプだな。買い物に行ってレジ袋要りますかって訊かれて「いえ結構です」って言っても8割くらいの確率で聞き返されるから、最近では首を左右にぶんぶん振ったり手で「いいえ」ってジェスチャーをしながら返事をするようにしてる。あんまり意識しすぎてデカい声出ちゃってもアレだし。いやむしろ自分ではデカすぎるくらいの声で話した方がいいのかな?でもバイト中に客から聞き返されることってほとんど無いんだよな。なんでだろう。バイト中は無意識にハキハキ喋るようにしてるのかな?私さんエライね。

 

ほんと!!!!!!!!!!

デカい声を出す機会が無いとマジでデカい声が出なくなる。これはガチ。最近デカい声を出したのは、ウーン、あっ、こないだ客が私の目の前で倒れて顔面から床に突っ込んだって書いたじゃないですか、その場で「ア゛ァ゛ア゛!!゛?みたいな汚い悲鳴をあげたときかなあ。悲鳴というか断末魔みたいな声が出たね。ただ、その声も反射的に喉を絞ってたから声量はそんなでもなかったと思う。声がただただ汚かっただけで。おじさんのことあんまり言えねえな。で、そのひとつ前となると、ウーン、客が買ったものをレジに置きっぱなしにして店を出そうになったのを「お客様ーーー!!!!!って引き止めたときくらいかなあ。コンビニ店員あるあるだと思うんですけど、金だけ払って商品忘れてその場を去ろうとする客ってわりといるからやらかした方はそんなに気にしなくていいと思います。5回の出勤で1人くらいは必ずいます。どうせみんな考え事しながら買い物してたんでしょ。そういうこともあるよ。

 

すごい!!!!!!!!!!

なんかねー、喉、絞っちゃうんですよね。喋る時に。喉を絞って、口の中だけで喋ってるみたいな。だから声が小さいってよく言われるんでしょうけど。きっと、失言しても誤魔化しが利くように喉を絞ってるんでしょうね。しらんけど。話は変わりますが、学生の頃は、HRとか学年集会とかで先生が台本もなしで15分くらいずっと喋ってたりするじゃないですか。アレ本当にすごいなって思う。言いたいことがどれだけ自分の中に山積してたとしても、台本なしであの量は絶対喋れないもん。私が長く喋るときは、喋りたいことをその都度頭の中に文章の形で出力して、頭の中に出力した文章を頭の目で追いながら喋ってる感じになるから、初めの方はよくても中盤あたりを過ぎると「当日台本を自宅に忘れて頭が真っ白になったけど昨晩練習したときの記憶を手繰り寄せて文章の断片をツギハギしながらどうにかこうにか喋ってる人」になるんですよね。やたら長い「あー」とか「えー」は、喋りたいことを頭の中に文章の形で出力している間の待機音なんです。マウスカーソルに砂時計が出ている状態なんです。今まさにコピー機から印刷結果が出てきている状態なんです。印刷が完了するまで少々お待ちください。

 

ボイトレ行こう!!!!!!!!!!

これは最悪の事態の想定なんですけど、このままでは有事の際にもデカい声が出せなくてその結果タスカラナカッタ……ってことになるかもしれません。誰かに助けを求めようとしたまさにその瞬間、「はて、今ここで私なんぞが大声張り上げて名も知らぬ誰かに助けを求めてしまっていいのだろうか?」などと余計なことを考え躊躇している間に後ろから袈裟斬りされるかもしれません。助けを求めて叫ぶ権利くらいはあってほしい。たとえ助からなかったとしても。誰もいなかったとしても。誰も来なかったとしても。誰も助けてくれなかったとしても。叫ぶ権利くらいは、誰にでもあってほしい。いや、誰にでもなければならない。助かるかどうかは別として、その権利だけは保証されていなくてはならない。そしてそれは、いついかなる場合でも、24時間365日保証されていなくてはならない。大事か些事かは問題ではない。助けを求めて叫ぶこと然るべきか然るべからざるかなどということは頗るどうでもよい。いつ!いかなる!場合でも!助けを求めて叫ぶ権利!……と、叫ぶ権利。ぽつり。

 

 

静止画のくせしてどこを取っても文句のつけようがないくらいうるさくて好き

バイト哀史についての覚書|ア・トラジック・ストーリー・オブ・ディスポーサブル・ワーカーズ

ゴールデンウィーク中に読んだ本

女工哀史

 

ナナミンの金と労働に対するスタンスはめちゃくちゃ共感できる

なぜ私はGWの読み物としてこの本をチョイスしたのだろう。特に理由はなかったと思う。ヘーゲルの『哲学入門』2回目を読み終わったから次はなに読もうかなーと考えて、ブックオフのセールで新しい本も手に入れたことだし前に買っていた積ん読本を消化しようと思って、次はこれでいいかーくらいの気持ちでなんとなく手に取って、読み始めて、ものの10分くらいでヴォエッ……ってなった。その日のつらい労働からやっとこさ解放されて家に帰りついたというのに、どうして私はまたつらい労働の本なんか読んでいるんだろう。もう1日中つらい労働まみれや。あまりにもつらい労働まみれになったので、LINEの背景画像を『呪術廻戦』における七海健人の名言「労働はクソということです」に変更した。

これですね

 

求人情報から7割の魅力を引いたものが現実

その実態はさておき、各方面の制度自体はおっかないくらいしっかり整備されてるなと思った。契約書類とか、給与関係とか、福利厚生一覧とか、新人教育計画とか、労災発生時の手当とか、そういう文面上のモロモロは極めて周到に細かーーーいところまで完備されてて、なーんにも知らない人が目を通したら「色々な制度がめっちゃ整ってるすげー会社やんけ!」ってなると思う。まあ腐っても大工場だなと。実態はさておきですよ?実態はさておきね。冷静に考えたら、「色々な制度がめっちゃ整ってる」って一文、あまりにもふわふわしているし。でも無知な労働者は「色々な制度がめっちゃ整ってる」って言うしかないんですよ。よくわかんねーから。なんかすげーってことしかわからない。なんかすげーってことならわかる。じゃあすげーんじゃん!これはホワイト企業やな!しかも、「色々な制度がめっちゃ整ってる」ことに人間はめっぽう弱いでしょう。「色々な制度がめっちゃ整ってる」というそれだけで、不思議と安心感を覚えてしまうでしょう。無知な人間を飼いならすには、なんかすげー感じのヴェールで覆われたアイマイな秩序がひとつあれば事足りるのだ。

 

「仕事内容が気に入っているから時給の安さはこの際気にしない」スタイルでバイトを始めても結局1年後には時給の安さばっかり気にしながら労働するハメになるぞ(2敗)

秩序というゆりかごの中で眠れるのであれば、多少作りが甘くたって、寝心地が悪くたって、シーツがカビ臭くったって、音がギシギシ鳴ったって、まあ、別に。極上のふかふかキングベッドを所望して駄々を捏ねた末に真冬の山中にうち捨てられるよりは、よっぽど。こういう人間がまだそれなりにいるという点だけを見れば、人間ちゃんはもうちょっと強欲になってもいいと思うね。その点だけを見ればね。でもここ10年くらいを見ると、少なくともアルバイトの時給に限ってだけど、ずいぶんよくなったなあと思う。私が大学生の頃と比較して、今のバイトは300円近く時給が高い。深夜手当を含めるとなんと500円近い値上げ(?)だ。労働力は商品なので値上げと表現しても差し支えないですよね。今年から時給が50円上がったのも、「これくらいじゃないと誰も応募してこないから」という理由で店長が頑張ってくれたからだ。ありがとう店長。ここ10年、私はなんにもしてないけど、世の誰かの頑張りによって時給は格段に上がった。今この瞬間もどこかで誰かが頑張ってるんだろうなあ。私はなんにもしてないけど。

 

100年後、200年後も人間が労働してる前提で考えるのちょっと辛いな

まず誰かの犠牲があって、次に誰かの頑張りがあって、環境が改善される。そこにはいつも「誰か」の存在がある。不特定多数の、名前すら知られていない、でも確かにそこにいたしそこにいる誰かがの存在がある。我々の代だって、いつかは犠牲とされなければならないときが来るだろうし、ひょっとしたら今がそうなのかもしれないし、将来「令和の人たちってこんな安い時給でバイトしてたんだ……今は高校生でも2000円は貰えるし交通費を出さないところは法律で罰せられるし半年も働いたらバイトにも何万かボーナスくれる会社がほとんどなのに……」って思われる時代が来るのかもしれないし、でもそれが人間社会の歩みってことなんだろうし、将来そうなったとしても我々が将来の人々を妬んだり憎んだりする理由にはならないし、決して妬んだり憎んだりしてはいけないのだ。100年後、200年後の労働者は、我々よりずっと恵まれた労働環境の中、我々よりずっと恵まれた給料で働いていなければならない!100年後、200年後の労働者に幸あれ!

 

 

ひとり問答する覚書|そこに答えはありましたか?

※頭からっぽにして読んでください

以下要検討

・不可能への対応

・緊急事態への対応

・理不尽と葛藤への対応

・錯覚された自己犠牲精神への対応

・なに言ってんだコイツ new!

・なに言ってんだコイツへの対応 new!

 

new!じゃないんだよnew!じゃ

ウーン。色々考えるべきかもしれないしそうでもないかもしれないことが色々浮上してきて困った。それを大雑把に列挙すれば、こんな感じかな。当初は上の4つだけだったのですが、気づいたら6つになっていました。不思議ですね。考えるべきかもしれないしそうでもないかもしれないことを余計に2つも付け足した人は誰ですか?私さんですか?私さんがこんな面倒なものを余計に2つも付け足したんですか?4つでもお腹いっぱいになって吐き戻しそうになるような代物を余計に2つも?私さんは本当に私の足を引っ張ることが得意ですね?

 

人間には身体が1つしかないことを理解していない人が多いのかもしれない

不可能に対しては、「不真面目」で対応するべきだ。対応というか、対抗だな。ウン。不可能なことはどう頑張っても不可能なのだから、それを可能にすることは神にでもならない限り不可能である。そこで人間にできることといえば、「不真面目」になることである。本来100%やらねばならぬことが状況上どう頑張っても不可能なら、80%とか60%とか或いは0.01%とかで妥協して、それでいて何も気にしていないような、澄ました顔をわざとらしく作ってみせるのが健康によい。例えば、ぶ厚い算数ドリルを30秒で仕上がろという課題が出たとする。ただページをめくっているだけで30秒が終わるようなとんでもない量である。これに対して、大真面目に、どう考えても不可能ですだの、もう一度考え直してくださいだの、あなた自身やれと言われたら出来るんですかだのなんだの訴えて、どこにもない温情を勝ち取ろうと躍起になるから、健康を損なうのである。ここでやるべきことは、適当なページにうんこを3つくらい書いておいて、それで「ハイ、やりましたけど」という顔をしておくことが、健康に最もよい。一昔前なら、こんなことをやろうものならその場で断頭台に連れて行かれただろう。現代であれば、まあ、大丈夫なんじゃないかな。別の意味で首が飛ぶかもしれないけど。

 

掻いた恥は取り返せるけど失った命は取り戻せないんだゾ

緊急事態に対しては、「無慈悲」で対応するべきだ。これについてはちょっと軽くかなり深刻にショックを受けた出来事があって、あー、先日、目の前で客がぶっ倒れて顔から血流して白目剥いて痙攣したって書いたじゃないですか。それ自体もまあショックだったんですけど、それ以上に、119番した先の電話越しのお姉さんも、バイトくんも、通りかかった客も、手を貸してくれたお客様も、みんなびっくりするくらい冷静で、そこは別にいいし見習うべきだとも思うんですが、客の中には笑ってる人もいるし、バイトくんにも「いやぁ真面目に救急対応しててエラいなーって思いましたw」って笑われるし、私ひとりがバカみたいに手厚く心配して、本当にバカみたいって思ったので、私も119番なんかしないで、一緒に笑った方がよかったのかな?って思いました。多分そんなことはなくて、私が正しかったんだと思いたいんですが、やっぱり笑った方がよかったのかな?私自身としてはつとめて冷静な態度で心配してたつもりだったんですけど、ひょっとして傍から見れば酔っ払って通路で寝てる客相手にひとりで慌てふためいてデカい声だしてる滑稽な店員くらいにしか見えなかったのかな?私も次から笑うことにします。

 

ソロキャンプへの熱い風評被害

理不尽と葛藤に対しては、ウーン、これがいちばんむつかしいんですが、ウーン、どう頑張っても健康によくあるように対応できる気がしないんですよね。強引に自分を納得させてねじ伏せられたり時間が全てを解決してくれる程度の理不尽と葛藤ならそもそも健康を害することなんてないんですよ。もう世を捨てるしかないじゃん。ハァー。やっぱり将来は山に庵結んで静かに過ごそう。ここの対応は「ソロキャンプ」にしておこうかな。

 

ェ~

錯覚された自己犠牲精神ってのは、えーっと、最近忘れっぽいので自分がなぜ冒頭でこんな文言を打ち込んだのか忘れてしまいました。それも、自覚された自己犠牲精神ではなく、錯覚された自己犠牲精神なんですよね。当人は自己犠牲のつもりでその実それは自己犠牲じゃないナニカってこと?思い込みの自己犠牲ってことでしょうか。そうだとするなら、それに対しては、ウーン、自分は元々屠られる定めの子羊だと思うくらいしか対応が思いつかないな。「子羊」ってことで、ここはひとつ。

 

なに言ってんだコイツ

なに言ってんだコイツってセルフツッコミを入れておけばなんでも言っていいと思っている節がありませんか白黒さん?

 

( ´◔‿ゝ◔`)

なに言ってんだコイツへの対応ですが、これは別に対応しなくてもいいかなって思います。対応する必要もないかなって思います。対応のしようがないと思います。何故なら私のことをいちばん分かってないのは私だからです。対応のしようがないってのは要するに不可能ってことですから、これには「不真面目」で返せばいいわけですね。「わかりませーん」と、こう返せばそれで事足りるのです。