ブックオフのウルトラセールに行ってきた件についての覚書Ⅱ|人生色々ブックオフも色々
(※一昨日くらいに書いた記事)
先日の記事で言っていた通り、遠くのブックオフまで電車に乗って行ってきた。
夜勤明けだし、睡眠不足だし、頭はガンガン痛むし、熱っぽくて焦点がうろうろするし、喉はめちゃくちゃ腫れているし、人は多いし、クソ暑いし、今夜も仕事なのに、こんな中スマホで開いたGoogleマップ片手に見知らぬ土地をテクテク歩いている私はアホなのかと何度も思ったけど、実際アホなのでそれ以上考えないことにした。日頃は風邪を何よりも恐れてマスクとうがい薬とのどぬーるスプレーとアルコール消毒液を手放せない私だが、もう既に風邪を引いているので電車の人混みも恐れなかった。
1番の目当ては岩波文庫。文庫本コーナーに向かう。岩波文庫の棚を探す。
ん?
んん?
何だこの棚。角川、ちくま、PHP、文春、知的生き方、レーベルがぐっちゃぐちゃに並んでいてめちゃくちゃ見栄えが悪い。背の色はバラバラ、帯の色もバラバラ。うわっ気持ち悪い。雑然。混沌。それ以上の言葉が見つからない。
TSUTAYAなんかに行けば分かると思うが、文庫本や新書は大抵レーベル(出版社)別に綺麗に陳列されてある。文庫本や新書が好きな人は背のデザインを見れば一発でどのレーベルか分かる。勿論、同じレーベルは背のデザインも同じなので、レーベル別に陳列された棚はあたかも軍隊の如き統一性で私たちを厳かに迎え入れる。あの神経質に陳列された棚の前に立つときは、決まって背筋の伸びる感じがする。これから過去の偉大な賢人たちの智慧や、或いは偉大な文豪たちの物語や、或いは偉大な研究者たちの努力の結晶を、ビュッフェのように選んで、少しずつアレコレと皿に乗せ、おかわりをしながら、時間の許す限りたらふく食わせて頂けるのだと思うと、いい世の中だなと思う。勿論、周囲に他の客がいる場合はあまり一点に張り付きすぎないように気を配る。彼らも皿を持ってごちそうを取るために待っているのだから。
というわけで、この潔い雑然っぷりを見て、そういや昔テレビで見たAmazonの倉庫がこんな感じだったなあ、とぼんやり思い出し、しばらく唖然としていた。察しのいい方ならお気づきだろうが、つまりそう、そこのブックオフでは、文庫本がレーベル毎ではなくジャンル毎に並べられていたのである。文学とか、政治とか、哲学とか、芸術とか、そういう。
なので例えば健康に関する文庫本が欲しいと思ったら、健康や医学のコーナーを見て、欲しいモノが無ければ無い。そこに無ければ無いですね。おわり。わざわざ全く関係ない経済や宗教やペットのコーナーを見る必要はない。時間は有限なのだから、さっさと諦めて帰るかほかの本屋にでも行けばいい。
これは持論なのだが、文庫本や新書はレーベル毎に陳列されているが故に、初めから特定の本を買いに来ている場合を除いて、こう、「いやーまさかこんな本を買って帰ることになるとは思わなんだ」っていう体験が出来ることがサイコーだと思っている。なので、レーベル毎に並べられた棚の潔癖な美しさを捨てて、目がチカチカするくらい乱暴な並べ方をしてまで、ジャンル毎にする必要はなく、いささかナンセンスだと思う。しかもジャンルの中でレーベル別に並べられているというわけでもなく、ジャンルの中でもぐちゃぐちゃなんだから。並べ直したくてうずうずした。
言うまでもないが、ジャンルで陳列するメリットは当然ある。本探しの簡単さはジャンル別の方が圧倒的。あと特定の分野の本を比較のために連続して読み、そこから選びたい場合。1冊取ってパラパラ見て、しっくり来なかったので隣の本、また隣の本、とスムーズに読み比べが出来る。あと急いでいる人や目当ての分野の本を探す手間を煩わしく感じる人には、いいと思う。ただそんな人は恐らくわざわざブックオフに来ない。急いでいるならそもそも在庫が有るかどうか分からない古本屋なんか行かずにAmazonで検索してお急ぎ便で買えばいい。本探しが面倒な人は……うーん。私は本探しが好きな人間なので、頭を強打するか別人にならない限りその人の気持ちになりきることが出来ない。読書は好きだが本探しは面倒だ、誰かが見繕ってくれるならそれに越したことはない、というタイプか……うーん。やはりAmazonのランキングでも見たら良いんじゃないかな。
ここまで書いておいてアレだが、ちょっと大袈裟に言いすぎたかもしれない。よく行くブックオフと全然違ったから、その分余計に違和感を覚えただけの話かもしれない。むしろよく行くブックオフの方がイレギュラーなのかもしれない。もう何年もそこ以外のブックオフに行ってないので比較出来なくて申し訳ない。
ま、店にも色々あるよねって話。