珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

お金という精神安定剤についての覚書|安心を買う

お金で買えない価値が有る。ふーんそう。お金で買えないものに価値を見い出せる程の視野の広さと心の余裕が有るのね。世の中のものは大体お金で買える。空を自由に飛びたいな。はい、金。将来の夢という作文を書かせるなら夢を叶えるためのお金の稼ぎ方も教えて欲しい。お金の稼ぎ方と、確定申告の仕方、各種届出の仕方、困った時に受け取れる手当の種類、など。お恥ずかしい話だが、この歳になってもまだこれら殆ど理解していない。その辺に関しては本当に雰囲気だけで生きてきた。いざとなればネットで調べれば何とでもなる。便利な世の中だなあ。

私がシフト詰め込んで必死になって夜勤してるのも無論お金のためだ。しかしモノが欲しいわけでは無い。(悲しいことに)夢があるわけでも無い。かといってどこかへ返すべきお金があるわけでも無い。安心を手に入れたいだけだ。何と交換するわけでもなく、ただただ増えていく預金残高を見て、安心したいのだ。そしていつかその数字を抱えて眠りにつきたい。

安心。健康。平和。これさえあればだいたい幸せだと思う。良いモノとか、夢とか、そういう刺激性のものを追い求めることに疲れてしまった。モノは手に入れれば入れるほどもっと欲しくなる。砂糖や薬物と同じじゃないか。こわ。早くモノの存在しない精神世界に旅立たなきゃ。あっでもお金だってそうだ。やだこわい。その話は後程。

ただ、お金という安心を少しでも早く多く手に入れるために、体力(=健康)と、精神の平穏(=平和)を犠牲にしているのは自分でもどうかと思う。犠牲、と言うと大袈裟かもしれない。しかしながら以前に格安時給のスーパーで月に半分くらいしか働いてなかったときよりも健康で平和なのだ。ある時期はお金を貯めようという発想すらなくて、非消耗品を朝買って夜捨ててまた翌朝買うような無茶苦茶なことをしていた。家賃が払えなくて来月ホームレスになって野垂れ死んでもいいと思っていた。全財産が家賃光熱費その他諸々の支払額を下回っていた月もたまにあって、親との関係が良好でなかったら実際そうなっていた。一方である時期はお金が欲しくて欲しくて狂いそうだった。しかしどんなに頑張ってもその時の月収じゃ毎月5千円とか1万円貯金するのがやっとで、客が食料品を一度に数千円分買い物していくのを見るだけでもしんどかった。その雀の涙ほどの貯金もちょっとのストレスですぐに消えた。なけなしの金をドブに捨てた翌日に固く固く節約を誓って、また翌日金をドブに捨てていた。そんな暮らしで精神が荒れないわけがなかった。今は貯金に回せるお金がある分、肉体がしんどくても気持ちは落ち着いていると思う。

しかし私は一体貯金がいくらになれば安心できるのだろう?いくらになっても安心出来る気がしない。先程少し言ったが、それならば手に入れても手に入れても満たされないモノ群と何が違うのだろう?金持ちが更にお金を手に入れようとして法に触れるようなことやらかして最終的に身を滅ぼすニュースなんかは別に珍しいものではない。何千万とか、何億とか持ってても、まだ欲しくなるものなんだなあ。それなら私は人生何回繰り返したらいいんだろうか。ああ。手に入れても手に入れても満たされないのなら、何のために必要以上の労働をしているのだろう。

とはいえ一応は目標額がある。200万。国立大を中退したので、4年間分の大体の学費。まあ200万貯めたからといって私が大学を卒業したことにはならないし、親の金を無駄にした事実が消えることはない。ただの自己満足だが、それでも少しだけ安心出来ると思う。それに親に200万ポンと渡してすみませんでしたと頭を下げても受け取ってくれるとは到底思えないので、もし今後両親がどこかに行きたいとか何かが欲しいとか言った時に、笑って「それくらい出すよ」って言うためのお金。このペースで働いて貯金出来たら、すぐにとは言わないまでも、そこまで掛からないと思う。

フリーターで貯金を増やすのはしんどいな。自分に価値があれば、もう少し楽だったかも。

 

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