少ないエネルギーで生きることについての覚書|決断を断捨離する
あの時タイムラインをぼんやり眺めていなかったら、あの人をフォローしていなかったら、こんなこと/ものは一生知り得なかっただろう。そういう知識や言葉や作品に出会えた時、ツイッターやってて良かったなあと思う。
先日なんとなくツイッターを覗いたら、「決断の回数を少なくする」という言葉が流れていた。今求めているものに、ピッタリとはまる表現だ。「決断」。なんて活力に満ちた言葉だろう。決断力とか、ここ一番の決断とか、人生を左右する決断とか。勇気、度胸、覚悟、そういったものを連想させる言葉。
しかしながら決断には膨大なエネルギーが要る。その決断に消費するエネルギーと、決断が上手いこといった際に得られる利益が釣り合えばいいのだが、時として「どうしてこんなしょうもないことに対してエイヤと腹を括らねばならぬのか」という場面がある。私の前に立ちはだかる決断は大体そんな感じ。しょうもない。くだらない。でも歯を食いしばって決めねばならぬ。精神的エネルギーがガリガリ減っていく。
例えば、こう。身体はくたくただが買い物に行かなければならない。やっぱり今日は行かなくていいかな。でも買わなければならないものがあるし、疲れているからこそ買いたいものもある。栄養ドリンクとか買いたいな。ああめんどうくさい。行きたくない。行きたい。今日買いに行かなきゃいけないのに。明日でもいいかな。でも明日はセール日だから客多そうで嫌だな。レジ混むんだよな。今日行ったら絶対ラクなのに。足だるいな。栄養ドリンク飲んだら元気になるかも。じゃあ行った方がいいよ。でも今から着替えてボサボサの髪の毛整えて、って面倒じゃない?立ち上がる気力ある?ない。近くのコンビニで妥協する?いやコンビニに行くなら結局外出するんだから最初からスーパー行けよ。ああもうわかったよ、エイ、ヤア、ほら立ち上がってやったぞコノヤロウ、……よし決めた!スーパーに行くぞ!決断をした!私はぼろぼろの身体に鞭打ってスーパーに行くという決断をした!…………。
こういう具合に本当に些末な物事について自分の中で何十分も思考を巡らせるためのエネルギー、めちゃくちゃ無駄だと思う。そのエネルギーで本が読めたかもしれないし、洗い物が出来たかもしれないし、別にごろごろ寝てもよかった。もしこういう時「行くか行かないか」ではなく「行くという選択肢しかない」状態ならば、行く。行って、最初から決められたものだけ(重要)をさっさと(重要)買って、15分くらいで帰ってくる。時間も精神的エネルギーもまだ余っている。こんな生活をしたい。遥か理想の話。
管理されたい。寮生活のようにある程度管理されたい。一定レベルまで自分の暮らしを管理して、決断の回数を減らしたい。最初辛いかもしれないが、やがてあれも、これも、「習慣が体に染み付いていて気づいたら終わらせてた」という状態になり、余計な時間の消費もなく、エネルギーの消費もなく、それらを思考に耽ることに使える。誰か管理してくれないかなあ。誰か。私しかいない。そうか自分で自分を管理すればいいのか。そうか。しかし自分で自分を管理するのは大変そうだ。誰かを雇うしかない。毎日細かいことで悩んだりうだうだ時間を浪費しなくて済むように、自分の中に厳しい寮母さんを住まわせて、彼女に管理して頂こう。まずは些細なことから。
●生活で消費する決断エネルギーを節約するための箇条書き
・睡眠時間(起床時間、就寝時間)
・食事メニュー 固定→節約、ダイエット
・買い物に行く日
・洗い物(食器、洗濯)のタイミング
・ブログを書くタイミング
・本を読む時間
・掃除をする日
・何も意味を成さない本当に無駄な時間(これはいらない)
・だらだらネットサーフィンをする時間(これはいる)