2年振りに服(クソT)を買ったらパニックになった件についての覚書|残るモノはやっぱり怖い
(昨日書いた記事があまりにも支離滅裂だったので翌日に手を加えた)
事の始まりは1枚のTシャツ
服を買った。2年振りに。服を。服だけじゃないんですけど。色々。あちこち巡って買ってきたモノたちがベッドの上に我が物顔で鎮座している。それをぼんやり眺めている。親戚の家で子猫がたくさん生まれたと聞いてなんとなく覗きに行ったら帰りの車に子猫が乗っていて、家に着いたら子猫がいて、家の中を走り回る子猫を他人事のように見ている。そういう感覚に近い。
買った服がこれ。
いい歳した大人の女が2年振りに買った洋服がこちら。サンキューマートで390円(税抜)。馬鹿じゃないのと言われそうなので言われる前にはっきり言わせてもらうが、逆にこんなん見かけて買わずにいられるほうがおかしいと思う。買うに決まってる。自己紹介にも書いているが、私はモノトーンが好きで、猫が好き。そして最近随分と暑くなってきたので、部屋着の半袖Tシャツが欲しいなと考えていたところだった。買わないという選択肢が無い。そして実際に買った。ウオオ最高だ。下の猫の脚が最高にキモい。この写真の状態のままずっと飾っている。このままインテリアにしても良いんじゃないかと思ってきた。写真では見切れているが部屋の長辺の壁に丁度ハンガーを引っ掛けられるような部分があって、そこにクソTをズラズラっと並べたらインテリアとして最高なんじゃないか。
世間では紙切れやコインと引き換えに可愛いモノが手に入るらしい
本来給料日は25日なのだが、25日が土曜なので、24日が給料日だった。振り込まれていた額がいつもより随分多くて腰を抜かした。これちゃんと社会保険料引かれてるんだろうか。労働日数は既にこれ以上増やしようが無かったわけで、こんなに差が出る筈は無いと思うのだが。まあいいか。元々ドラッグストアや100均で買い物して帰ろうとは思っていたけれど、普段より多い給与額を見て、少し気が大きくなって、久しぶりに色々な店を回ろうと思った。そこであのクソTと出会った。
それで、5000円。
最終的に私の財布から旅立っていった可愛いお金たち。そのうち1000円はAmazonで買ったUSBハブの支払い。
ダイソーと、Seriaと、サンキューマートと、あとドラッグストアとか、スーパーとか。一般的に考えてそこそこの大人の女が給料日に金を握り締めて出掛けるには、あまりにも……あんまりだと思う。しかし本人が楽しければよかろうなのだ。
安ーい食器やインテリア雑貨をたくさんと、生活用品と、パンを買った。Seriaのモノトーン食器があまりにもストライクで色々な種類を8枚も買ってしまった。料理なんか1ミリもやらないくせに。Seriaはアンティーク路線とシンプル可愛い路線を行くものだと勝手に思っていたのだが、こういう北欧モダンみたいな路線もイケるのか。最高だな!同型の食器がブラック、ホワイト、グレーで展開されているシリーズ、お勧め。実は買ってきたモノを整理する時間がなくてまだ新聞紙に包まったまま放置されているのだが、いつか紹介しようと思う。料理?ウーン。一応Amazonで卓上IHコンロは注文してある。
モノに埋もれて息ができない
……おや。物欲が瀕死に陥ってから今日まで、「可愛い」という感情を抱くだけでセーブ出来ていた筈が、「欲しい」という感情にまで膨張して、私を「買う」という行為にまで至らしめた、ソレは何だろう。手元にお金が有った、ただそれだけの理由だったのだろうか。本当に随分と長い間、物欲がカラカラに枯れ果てていて、服とか、靴とか、鞄とか、化粧品とか、雑貨とか、そういうものに対する「欲しい」という気持ちが完全に無くなっていて、せいぜい「不便だから」「壊れたから」小型家電を買うとかその程度で、最近ようやく「本が欲しい」という気持ちになって本を集め始めていたけれど、相変わらずモノに対する所有欲がオカモトスキンくらいの薄さしかなくて、それにお金もなかったしスーパーで300円以上買い物をすると手が震えていた、そんなところに、突然5000円分もの燃料を投下するに至った原動力は何だ?5000円という金額は大したことではないだろうが、如何せん品数が凄い。100円ショップとサンキューマートだから。モノが一気に増えた。安物買いのなんとやらではないので(私も読者も)安心されたし。安くて、イイモノを買ったつもり。あっぷあっぷ。モノの海で溺れそうだ。何から開封すればいいのか分からない。新聞紙が巻いてある。タグが付いている。シールも付いている。どうすればいいんだろうこれ。下に沈みまーす。ゴボボ。
効用という幻想、物欲アレルギー
うまく開封作業が出来ないので、買い物からの帰り際のことをぼんやり思い返してみる。
夜勤明けてそのまま買い物に向かったので元々荷物が多かった上に、Seriaで食器類をかなり買ったのでめちゃくちゃ重かった。重かった筈なのだが、そんなに沢山の新しいモノを抱えること自体あまりにも久しぶりで、その重さが信じられなくて、それだけの重さを抱えて歩いていることに、その重さのほとんどがモノで出来ていることを信じられなくて、まるで重さを感じないような早足でバス停に行って、太陽がギラギラ照りつけるベンチにどっかりと座った。袋の隙間からモノが見えて、家に帰ったらそれらをどこに直そうか考えてみるけれどうまくいかなくて、目玉がすいすい泳いだ。一度泳ぎ始めるともうだめだった。目玉だけ上を向いたり右を向いたり下を向いたり左を向いたりしていた。頭はぐるぐる、完全にパニックで、一応静かに座ってはいたけれど、なんかもう、とにかくダメだった。家に帰り着いたとして、私はこの荷物をどうすればいいのだろう?分からない。頭がぐちゃぐちゃする。それもこれもあのクソT(税抜き390円)のせいなんだ。
私の中から追い出した筈の物欲が、いい趣味を従えて突然帰ってきた。数年前も同様にモノトーンが好きだったが、それは専ら洋服の趣味で、家具や雑貨はアンティーク系の方が好きだった。奴は「部屋もモノトーンにしたらええよ」と呑気に言いながら何食わぬ顔で帰ってきた。私はそのアドバイスにバカ正直に従って、モノトーンの小物を1日で沢山揃えた。もう長いこと、モノは減るばかりだった部屋に、新入りが大勢やってきて、私の頭はパンクした。刺激!刺激!刺激!良いモノは精神を良くする薬であるはずなのに、一気に摂取しすぎて、トんでしまった。自分の尻に座薬と間違えてミサイルをぶち込んで勝手に死んだ。
そも、私は欲とか執着から開放されて、欲しいものがどうこうとか、お金がどうこうとか、そういうのを捨て去って、楽になろうとしていたのではなかったのか?形として残るモノを殆ど買っていなかった頃は、妙な虚無感こそ有ったものの、欲しい欲しくないお金が有る無いで悩まされることが無かったので非常にラクだったと思う。それなのに、ほんの気まぐれから、リセットボタンを押してしまったのだ。
例えるならそう、修業中の若いお坊さんが、近頃煩悩を手放すことの何たるかが分かってきた気がして、少しずつ少しずつ執着から離れる道を歩み始めたその矢先、突然豪華なご馳走が目の前にどっさり現れたような。ご馳走は悪くない。ご馳走を見て、欲求を我慢できない自分が悪い。でもご馳走さえ、ご馳走さえ無かったら自分はこんなに苦しむことはなかったのに。今日、たくさんのモノを買ったことをきっかけに物欲が復活して、再び欲求不満に苦しめられる恐怖。お金が貯まらなくなったり、減ったりする恐怖。欲しいという気持ちさえ、欲しいという気持ちさえ無かったら自分はこんなに苦しむことはなかったのに。これまでみたいに虚しさを大切に温めて生きていたら、こんなに苦しむことはなかったのに。物欲なんて無い方がいい。無い方がいいのに、モノを選ぶときは、あんなに愉しい。
ブログはいいぞ
そもそも何故急に食器やインテリア用の雑貨を買おうという気分になったのか。その原因の9割くらいはブログを始め(てツイッターをほぼやめ)たことにあると思う。ブログを始めて自分の言いたいことを丁寧に丁寧に放出していったら、毎日心が少しずつ穏やかになって、それに見てくれる人もいて、なんだか余裕が出てきたからという、決して悪くない背景が一応ある。やろうと考えていること(多分後日記事にする)のため、という打算的な部分もあるけれど。気持ちにゆとりが生まれて、暮らしをいっちょどうにかしてみるかという、長いこと死んでいた気持ちが息を吹き返した。目下最大の問題は、いっちょどうにかするための時間が無いことである。
ところで今日買ってきたモノたち、どこに片付けようか。君たちが住むところは2年前に取り壊してしまったのに。またゼロから君たちの居住区を作ってあげられる自信は、正直、あんまり無い。