言葉のストックを増やす試みについての覚書1|キェルケゴール『死に至る病』より~その1~
途中からキェルケゴール御大が何言ってるかさっぱり分からないので自分用のメモ。眠くて普通の記事が書けそうにないので 辞書引用でラクラク記事が作れるので 部屋の片付けで忙しいので 積ん読本を消化したいので 面白い実況動画を見たいので 書物の理解を深めつつ語彙力を増やしたいので。どうしても辞書引用が多くなるので引用の主従ルール的な部分が気がかりではありますが。みんなもこの記事を読んで難しい言葉について分かった気になろう!
(※以下、特に断りが無ければ三省堂「大辞林 第三版」より引用)
- 措定(そてい)
- 逆説的(ぎゃくせつてき)
- 弁証法(べんしょうほう)
- 止揚(しよう)
- 固陋(ころう)
- 彫琢(ちょうたく)
- 悟性(ごせい)
- 蓋然的(がいぜんてき)
- 陥穽(かんせい)
- 癲狂院(てんきょういん)
- 感性(かんせい)
措定(そてい)
( 名 ) スル 〔ドイツ Setzung; These〕 〘哲〙 ① 「 S は P である」「 A が存在する」というように、ある命題を端的に主張する働き。事物の存在を肯定したり、その内容を明瞭に示すこと。定立。 ② 推論の前提として、とりあえず肯定された、いまだ証明されていない命題。定立。
さ……そてい。一般的な用語だと思っていたら哲学用語だった。②に関しては、「AはBである、しらんけど」みたいな感じだろうか。
逆説的(ぎゃくせつてき)
( 形動 ) 普通とは逆の方向から考えを進めていくさま。また、通常とは逆の言い回しで物事を説明するさま。
日常でもよく目にする言葉だが、それ故に、哲学書なんかに出てくると逆に意味を考えすぎてゲシュタルト崩壊を起こす。私たちのような捻くれセンチメンタルブロガーはよく逆説的な言い回しを好む。希望は毒で絶望は薬。生は苦しみで死は救い。天国は地獄で地獄は天国。ぐるぐるぐる。そのうちウロボロスになる。
弁証法(べんしょうほう)
① 古代ギリシャで、対話などを通して事物の真の認識とイデアに到達する、ソクラテス・プラトンにみられる仮説演繹的方法(問答法)をいう。アリストテレスでは、確からしいが真理とはいえない命題を前提とする推理をさし、真なる学問的論証と区別される。 ② カントでは、経験による裏付けのない不確実な推理を意味し、それを純粋理性の誤用に基づく仮象の論理学ととらえる。 ③ 矛盾を含む否定性に積極的意味を見いだすヘーゲルでは、有限なものが自己自身のうちに自己との対立・矛盾を生み出し、それを止揚することで高次なものへ発展する思考および存在を貫く運動の論理をさす。それは思考と存在との根源的な同一性であるイデーの自己展開ととらえられる。ヘーゲル弁証法。 ④ マルクス・エンゲルスでは、イデーを展開の主体とするヘーゲル弁証法の観念論を批判し、自然・社会および思惟の一般的運動法則についての科学とした。
実は先日プラトンの『ソクラテスの弁明/クリトン』も読んだ。ナントカと天才は紙一重、というのが嘘か真かは知らないが、狂人と天才は紙一重どころかまるで同一だ。俗っぽいというかアホ丸出しの感想で申し訳ないのだが、深夜にやってきて意味不明なこと喚き散らして帰る狂人のお客様共みたいなこと言ってて笑った。賢人?ご冗談を!そう考えると狂人のお客様共の中にも、誰か1人くらいは現代のソクラテスが混ざってたりして。ところで弁証法って何?
止揚(しよう)
( 名 ) スル ヘーゲル弁証法の根本概念。あるものをそのものとしては否定するが、契機として保存し、より高い段階で生かすこと。矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること。揚棄。アウフヘーベン。 〔ドイツ語 Aufheben の訳語。「岩波哲学辞典増訂版」(1922年)が早い例〕
私も契機として保存されてより高い段階で生かされたいなあ。
固陋(ころう)
( 名 ・形動 ) [文] ナリ 古いものに執着し、新しいものを受け入れようとしない・こと(さま)。かたくな。 「頑迷-」 「我が儘な-な、人間なんでせう/羹 潤一郎」 [派生] -さ ( 名 )
読めないよ!
ただ、一応は一般語句のため意味は易しい。古いものに執着。ああ。情報ばかりアップデートしていてはいけない。自分の中の基準や価値観もアップデートしなければならない。ここ最近windowsが毎日更新を促してくる。この前「更新してシャットダウン」を選択して仕事に行ったのに帰ってきても更新されてなかった。腹が立ったので更新なんか絶対してやらねえみたいな気持ちで毎日先延ばしをしている。くそくらえ。
彫琢(ちょうたく)
( 名 ) スル ① 宝石などをきざみみがくこと。 「美しく-された指輪」 ② 詩や文章を推敲し、立派なものにすること。 「入念に-された文章」 ③ 美しく磨きあげる。 「小説は自然を-する/虞美人草 漱石」
磨きあげられるようなものが手元にない。虚無を荒目のヤスリでガシガシ削っている。虚無は虚だし、そもそも無なので、いくら削っても無くならないから削り放題だ。やった!無限プチプチみたいな感じ。自室でプチプチマットを一心不乱にプチプチしていたら隣のマンションのベランダから突然凄腕のスナイパーに打ち抜かれて死んだ、みたいな安らかな最期を迎えたいものだ。②を見るに、文章を書く人間への褒め言葉にいい感じの言葉。
悟性(ごせい)
〘哲〙 ① 広義には、論理的な思考を行う能力・知力を指していう語。知性。 ② カント・ヘーゲルでは、さらに理性とも区別される。 ㋐ カントでは、理念の能力である理性と異なって、感性に受容された感覚内容に基づいて対象を構成する概念の能力、判断の能力をいう。 ㋑ ヘーゲルでは、具体的普遍の認識に至る理性に対して、物を個別的・固定的にのみ見て統合しえない思考の能力、非弁証法的な反省的・抽象的認識能力をいう。 〔もともと仏語として「悟り得る素質」の意で用いられる。「哲学字彙」(1881年)に英語 understanding (ドイツ語 Verstand)の訳語の一つとして載る〕
実は以前「めっちゃわかりやすい哲学史」的な本を買って読んでいた。もう手放してしまったけれど。その中でも悟性という言葉は(当然のことながら)頻繁に出てきて、分かったような、分かってないようなつもりになっていた。売らなきゃよかった。うーん、無造作に転がっている傘を見て「 (傘) 」となるのが感性、「傘がある」となるのが悟性、「傘が落ちている」となるのが理性?的外れだったらごめんなさい。傘が「落ちている」と表現するのか「置いてある」と表現するのかには結構な判断力が必要だと思う。頭が疲れてきた。普段使わない部分を使ったせいで視覚から認識機能までが薄くスライスされてハムみたいになってる。
こちらでもどうぞ。 カント|村のホームページ
蓋然的(がいぜんてき)
( 形動 ) ある程度確実であるさま。そうであろうと思われるさま。 ⇔ 必然的
偶然的とはまた違った意味で必然的と対立する言葉!必然的⇔偶然的が「確実」⇔「非確実(確実に非ず)」なのに対し、必然⇔蓋然が「完全な確実」⇔「不完全な確実」なのが面白い。形容動詞にも三角関係がある。
陥穽(かんせい)
( 名 ) スル ① おとしあな。わな。 「人もわれも尤も忌み嫌へる死は、遂に忘る可べからざる永劫の-なる事を知る/虞美人草 漱石」 ② 人をおとしいれること。また、そのための計略。 「 -に陥る」 「僕を-する好機会/社会百面相 魯庵」
「穽」はこれ1つで「おとしあな」と読むらしい。ほえー。
関係あるようで関係のない「読みが長い漢字」をまとめているサイトを見つけた。かの有名な「砉(ほねとかわとがはなれるおと)」のような類の漢字が山程紹介されていて面白い。「譚(ものがたり)」とか「霸(つきのくらいぶぶん)」とか、何かのタイトルに使えそう。「狷(こころがせまい)」。ウケる。
癲狂院(てんきょういん)
「癲狂」は漢方医学で精神疾患の総称であり、日本でも養老律令(ようろうりつりょう)(718)以来公的用語としても使用されてきた。学説の変遷もあるが、「癲」はてんかんにほぼ相当し、「狂」は行動異常や妄想を主症状とする精神病をさしてきた。「癲狂院」は「医制」(1874)中にも各種病院の一つにあげられており、明治時代前半において精神科病院の呼称であった。類語として、癲院、瘋癲(ふうてん)病院、癲狂病院、狂疾院もあったが、癲狂院の呼称がもっとも広く使用された。
日本大百科全書のほうが詳しかったので。明治元年からまだ150年程度しか経過していない事実。狂っているのは人か社会か。はたまたこれらを作り給うた神様か。けもののおう。がるるー。
感性(かんせい)
① 〘哲〙 〔英 sensibility; ドイツ Sinnlichkeit〕 ㋐ 認識の上では、外界の刺激に応じて、知覚・感覚を生ずる感覚器官の感受能力をいう。ここで得られたものが、悟性の素材となり認識が成立する。 ㋑ 実践的には、人間の身体的感覚に基づく自然な欲求をいう。理性より下位のものとされ、意志の力によって克服されるべきものとされることが多い。 → 理性 ・悟性 ② 物事に感じる能力。感受性。感覚。 「豊かな-を育てる」 〔「心に深く感じること」の意で江戸期の浮世草子に既に載っている語。「哲学字彙」(1881年)で英語 sensibility の訳語として広まる〕
はい。
酔いが回ってきたので 洗濯物があるので 銀行に電話しなきゃいけないので ブックオフの割引券が今日までなので クソ眠たいので 今回はここまで。