珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

赤の他人に突然議論を持ちかけることについての覚書|FF外から失礼するな

赤の他人に対してやってもよいことはあんまりない

道行く赤の他人に突然やってはいけないこと。あやとりを披露する。なぞなぞを出す。議論を持ちかける。絵本の読み聞かせを依頼する。持っている鞄の値段を問い詰める。ジュースを1口貰おうとする。先月の電気代を聞く。来週水曜日のロンドンの降水確率を尋ねる。明日の草野球大会に誘う。豆大福をおねだりする。決闘(デュエル)を申し込む。ラップバトルを仕掛ける。スタンド攻撃を行う。世の中の大抵のことは、道行く赤の他人に突然やってはいけない。狂人だと思われる。下手すれば通報される。それ以前に、相手に多大な迷惑がかかる。もし相手がそれを喜んで受け入れたのなら、相手の方が一枚上手の狂人である。

議論を向けるな!

導入と本編のうまい繋ぎが思いつかないので、今回の記事は結論から書くことにする。この記事で言いたいことは、ええと、「議論を望んでいない赤の他人の発言に対し突然議論を吹っ掛けてはいけない」。それは何故か。相手が「議論を望んでいない」上に「赤の他人」だからである。それ以上の理由は無い。女子高生が「学校だる。なくなっちゃえばいいのに」とツイートしたとすれば、その理由は大抵「学校だる。なくなっちゃえばいいのに」と思ったからであって、高等学校の必要性について各種資料を用いながら真面目に議論したく、そのきっかけを表明した訳ではなかろう。万が一そのつぶやきを見て辛抱堪らなくなり、「もし現代日本から高等学校がなくなってしまえば云々~、その事について貴女はどうお考えか?」などというメッセージを送った人がいたとすれば、まあ、狂人認定されるのも致し方なかろう。どうしても相手と議論に持ち込みたいのであれば、「こんにちは。あなたが先程表明なさったこちらの意見に関し、議論を持ちかけてもよろしいでしょうか」「こんにちは。申し訳ありませんが、私はこの度の文章及び話題についての議論をお受けするつもりはございません」「左様ですか、失礼致しました。また機会がありましたらよろしくお願いします」。これくらいのやり取りが欲しいものである。

ゆらゆら漂う笹舟目がけて戦艦から大砲をぶち込むような事

 2人の人間が対面でそこに居るならば、相手が自分の意見を皮切りに議論へと持っていこうとするのを口頭で無理やり遮ればいい。わー!わー!と声を張り上げながら耳をふさいだり、両手をぶんぶんと動かせばいい。ところがブログやTwitterでは、それが出来ない。出来ないから、まず被弾する。直撃である。やっとの思いで絞り出した言葉たち、生まれたばかりの柔らかい部分目がけて、射程外から「それらしい正論」や「頓珍漢な暴論」が容赦なく飛んでくる。ライフで受ける。診察の結果は、えー、顔面複雑骨折ですね。以上です。家に帰ったら包帯とか巻いてください。うちで治療はやっておりませんので。お大事にどうぞ。

天才ソフィストの転生

議論したがりというか、自分の意見を言いたがりというか、そういう人が四方八方にぶっぱなしているのを見るとグエーッとなる。大きなブログのコメント欄がこわい。他人のツイートにぶら下がってるリプライがこわい。誰かの発言が全て議題の提示に見えるのなら、その人はアンテナを張りすぎである。違約金を支払ってでも何社か解約するか、力尽くでへし折ったほうがいい。生まれるのがあと2400年程早ければ、古代ギリシアで名のあるソフィスト(※)になれたであろう。もしかすると既に転生者かもしれない。『古代ギリシアの天才弁論家が現代に転生して21世紀のインターネット世界で凡人共を片っ端から論破しまくってる件』。くぅ~。

 「他者の意見を伺いたく議題を提示している人」と「なんとなく頭に浮かんだことをポロリと呟いてみた人」とを見分けられない天才弁論家様には、当分の間アゴラに篭っていて頂きたいものだなあ、などと思っている次第である。

 

(※

 

 

 

 

 

 

詭弁家!)

 

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