珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

休日下手な人間についての覚書|誤魔化しで塗り固められた日

ハリー・ポッターとウキウキのおばさん

USJへ遊びに行っていた母(60歳)と叔母(56歳)から、ホグワーツ城を背景にしたウキウキの自撮り写真がLINEで送られてきた。笑った時の目尻がそっくりなアラカン女性2人のウキウキ自撮り写真を見て、私は考えた。「休日とは、斯く有るべきなのか?」――写真の中のウキウキおばさん2人は何も答えてくれない。遥か昔に観たハリー・ポッターの世界では、写真の中の人間も確かに動いていたはずなのに。

こうして世界(私)の平和(休日)は守られた

来たる休日に備え、「休日特有の強烈な憂鬱」を討ち滅ぼす策を黙々と考えていた。つい先日も記事にしたばかりだが、休日は例外なく気分が最悪になる。特にこの日はあまりにも調子が悪くて「こんなに憂鬱になるならもう休みの日なんかいらない!今出してる休み希望全部取り下げる!365日働いてやる!ウワーッ!」となっていた。それはなんとか思いとどまったので、私の休日はなんとか生きてる。

shirokuro-044.hatenablog.jp

 ただ本日、貧乏フリーターにとってはとんでもねえ額の税金の振込用紙の束が届いて、もはや憂鬱がどうとか以前に、休日を取り下げる必要性が出てきた。人がせっかく自己憐憫に浸っていたというのにこんなのあんまりだ。1ヶ月にあと2万円欲しい。

あなたは休日に何かするタイプか、何もしないタイプか

休日に疲弊するタイプの人間には2通りある。「本当は何もしたくないくせに休日には何かをしなければならないと思い込んでいるタイプ」と、「本当は何かをしたいくせに休日には何もしないことが大正義だと思い込んでいるタイプ」だ。

前者は「休日には何かをするもの」と思い込んでいるから、「休日には休日にしか出来ないことをやらなきゃならない」と思い込んでいるし、「平日に出来なかったやるべきことを消化するのが休日」と思い込んでいる。平日の自分が抱えた借金を休日の自分が返済すればそれでうまく生活が回ると思い込んでいる。借金にはもれなく利息がつくことをお忘れなく。金曜日になると週末にはあれを片付けてこれをどうにかして……という理想の予定ばかり巡らせているが、本当は何もしたくないので実際に週末が来ると全く予定が進まない。それで「自分はなんてダメな人間なんだろう」という利息を抱えたまま、再び平日の世界へ舞い戻るのである。

後者は「自分には体力がない」「自分には社交性がない」「自分は怠惰な人間だ」「自分は堕落に娯楽を見出す人間だ」などと最初から思い込んでいる場合が多い。もしかしたらそれらは事実かもしれないけれど、大抵の場合事実よりも何割か悲観的に見積もられている。休日に喜んで出かけて行くような(後者の人間からすれば物好きな)人々はきっとどこか無理をしていると思い込んでいる。平日の自分が頑張っているのはひとえに休日の怠惰を貪るためであり、平日の自分が作った貯金を休日の自分がキレイに使い切ればそれでうまく生活が回ると思い込んでいる。貯金を無理に使い切る必要はないし、別に休日に貯金したって良い。

非常に厄介なのは、この両タイプ複合型の人間である。

何かをやりつつ何もしたくない―矛盾する欲求

複合型であった場合どうなるか。例えるなら、1日中風船の空気を抜いたり入れたりを繰り返しているようなものだ。何もやりたくないけれど、やるべきことが山程あって、やりたいことがあるけれど、気づかぬふりでやり過ごす。やるべきことには覆いをかけて、やりたいことには蓋をする。そうすることで「なんにもすることがない」「なんにもしない」私の完成だ!ある意味これは、昨日の記事の延長でもある。当然のことながら普段の私は本当に真の意味で「なんにもすることがない」わけではない。洗うべきコップが1つあれば、拾うべき髪の毛が1筋あれば、それだけで「なんにもすることがない」状態にはならない。二重の実行欲求と二重の回避欲求に挟まれてすり潰された結果、「なんにもしない」という結論を出して自分の身を守っていただけなのだ。思考停止。

忙しくしていた方がラクなことだってある

やるべきことをやり、やりたいことをやり、「なんにもしない」もやる。こんな欲張りハッピーセットな休日、今の自分には到底出来そうにもない。全部やろうとして頭がこんがらがって、結局「今回の休日も何1つ出来なかった……」に終着する。そしてその何も出来なかった事実を認めたくなくて、「休日はなーんにもしないことこそが最高!なーんにも考えずにゴロゴロしながらお菓子でもつまんでいる時間こそが至福!私はクズなのでやるべきこともやらなかった!やりたいことなんかなかった!」と本当は心にもないことで無理矢理自分を誤魔化し、自滅している。ここらでぼんやりと自己分析した結果、私は休日に「なんにもしない」状態が好きなのではなく、休日の「誰にも気を遣わなくていい」状態が好きなのであって、つまるところ「ひとりで忙しくしていたい」性分なのだということに気づいた。全然上手くやれないけれど。その辺りを勘違いしていると、「なんにもしないぞ!ゴロゴロするぞ!ひとりしあわせ!ヒャッホーウ!」とウキウキしているつもりでも、心の底では虚しさが渦巻いていて、ある日ちょっとしたきっかけで突然その淀みが浮かび上がってきて「なんにもしないことはしあわせだったはずなのにしんどい」という状態に襲われたりするのだろう。

次の休日こそは、うまく生きたいものだなあ。

 

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