言葉のストックを増やす試みについての覚書3|西田幾太郎『善の研究』より~その1~
?????????、?????????????。?????????????、???、???????????????。????????! ????????、????????。????????????。この本を50ページくらいまで読んだ感想。海外の哲学者の書いた書物は、翻訳者という第三者の理解を一度通過しているのでまだ分かりやすいのだということを痛感した1冊であった。意識が飛びそうになる。隅から隅まで深遠なることで満たされており、水面に顔を出して呼吸する暇もない。とにかく、めげずに最後まで読んでみることにする。励ましのお便りください。
※先日の記事(↓)は、当記事を書いたあとに作成したもの。
純粋経験(じゅんすいけいけん)
〘哲〙 反省・思惟などに意識される以前の直接的な経験。主客の対立以前の未分・連続態にあるとされる。ジェームズ・ベルグソンのほか、多くの東洋思想にみられるが、西田幾多郎も参禅体験に基づいて「善の研究」で主張している。
本書のメインテーマである。例えば、1つの石が視界に入った時に、「石(a stone)だ」と思う以前の、「全体は灰色だ」「一部は黒だ」「固そうだ」「重そうだ」「ゴツゴツしている」「傷がついている」「砂がついている」といった無意識的かつ自動的に連想されるあらゆる判断、のさらに以前の段階の経験……ということでよろしいか。石を見て「固そうだ」と思う或いは感じること自体、過去の経験と反省に基づくものであって、ほんのつい数分前に生まれたばかりの赤子が石を見て(見えてる?)「固そうだ」とは(きっと)思わないように、我々の認識は常に過去の何かから引っ張り出されているものである。
想像して欲しい。あなたの目の前に「石」がある。それは全体が灰色で、一部は黒で、固そうで、重そうで、ゴツゴツしていて、傷や砂がついている。
ではもう一度想像してほしい。あなたの目の前に「 」がある。それは「 」で、「 」で、「 」で、「 」で、「 」、「 」。
それではくどいようだがもう一度想像してほしい。あなたの 。
普通の人間は、こんな認識の方法は出来ない。そういうことで、いいのかな。
毫も(ごうも)
( 副 ) (下に打ち消しの語を伴って)打ち消しを強調する気持ちを表す。わずかも。少しも。 「 -反省の色がない」 「干渉云々に-不平はあるべからず/福翁百話 諭吉」
そういえばジャスミンティーのパッケージに 銀毫(ぎんごう)使用ってよく書いてある。
いろいろなお茶を見ていると金毫、銀毫、白毫といろいろな呼び名がついているものがあります。 これは一体何のことなのでしょうか? そもそも毫とは何かというと、その文字から推察できるよう、毛のことです。そしてお茶で毫というのは葉に生えている細かい産毛のことです。 これは元々白茶の概念だったのですが、1980年代頃からプーアル茶でも白毫を謳った製品が作られるようになりました。 産毛がはえていると何がいいのかというと、それだけ若い茶葉を使用しているということになります。そして茶葉は基本的に若いほどお茶成分をたくさん含み良いものとされるので、若さの印=毫をもつ茶葉はその分よい物と見なされます。
めちゃくちゃ脱線したけれど、勉強になった。こういう些細な気づき、思い出しから知識を広げている瞬間は楽しい。「毫も」という言葉自体には”毫も”触れずに終わってしまったけれど、まあいいだろう。
縁暈(えんうん)
へり。
……えっそれだけ?
体系(たいけい)
① 個々のものを秩序づけて統一した組織の全体。矛盾のないようにまとめられたものごとの全体。
② 〘哲〙 一定の原理に基づいて構成され、内的整合性をもっている科学的あるいは哲学的命題の集合。システム。系。 〔 (1) 「改訂増補哲学字彙」(1884年)に英語 system の訳語の一つとして載る。 (2) 同音語の「大系」はある方面の著作・論文を広く集めまとめられた一群の書物のことであるが、それに対して「体系」は個々のものが秩序づけられて系統的にまとまっている全体のことをいう〕
哲学的命題なんて1つあるだけでも大変なのに、集合されたらたまったものじゃない。
表象(ひょうしょう)
(1) 外界に刺激が存在せずに引起された事物,事象に対応する心的活動ないし意識内容のことで,以前の経験を想起することにより生じる記憶表象,想像の働きにより生じる想像表象などが区別される。刺激が現前せずに生じる意識内容という点で,夢,幻覚なども表象の一つとされる。また場合により具体物に対する関係の程度に応じて心像,観念とほぼ同義に用いられる。ただし刺激が現前した場合に生じる知覚像をも表象に含ませ,知覚表象の語が用いられることもある。
(2) 現在では特に思考作用にみられるように,種々の記号,象徴を用いて経験を再現し,代表させる心的機能をさす。この場合は代表機能の語が用いられることが多い。
ブリタニカ・ジャパン『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』
外界に刺激が存在せずに引き起こされるって、そんなことって出来るんだろうか。人の想像活動とは外界からの刺激無しに出来るものなのだろうか。何を「外界」と見なすかによって大きく変わってくるところだと思う。私が今どこからともなくやってきた「何かを想像しろ」という命令に基づき、お茶碗によそわれたホカホカのごはんを想像したとして、お茶碗によそわれたホカホカのごはんを想像するに至った経緯はなんだろう。鉄板の上でジュージューと焼かれるカルビでも良かったのに、どうしてお茶碗によそわれたホカホカのごはんを想像したのだろう。これは表象とは関係ないな。「何かを想像しろ」という命令を出された時に、何かが脳内に浮かぶまで、頭の中で一体何が起こっているんだろう。「何かを想像しろ」という命令を出したのは誰なんだろう。「何かを想像しろ」という命令を出した本人は「何か」を「何」と思っているんだろう。あたまこわれる。
心像(しんぞう)
(1) 一般的には,外界の刺激対象なしに,つまり感覚器官に刺激作用が与えられることなしに再現された感覚的体験ないしは映像のこと。この意味では表象とほぼ同義。種々の感覚様相に応じて視覚心像,聴覚心像,触覚心像がある。一般に,現前した刺激対象に基づいて生じる知覚体験より具体性に欠けて不鮮明かつ不安定であるが,幻覚の場合のように知覚像と区別しえないこともある。
(2) より抽象的には,思考作用の過程で再現された,ないしはその過程を支持している具体的意識内容を意味し,象徴機能の一つの側面を示す。観念とほぼ同義。
(3) 事物,事象に対して人のもつ包括的な概念,判断,嗜好,態度などの印象の全体をさす。この場合特にイメージという用語が多く用いられる。
ブリタニカ・ジャパン『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』
最大のそれは走馬灯かな。
思惟(しい)
[名](スル) 1 考えること。思考。「思惟の方法」「心中思惟」 「貧乏を根治するの策は、一に貧民の所得を増加するにあるがごとく―す」〈河上肇・貧乏物語〉
2 哲学で、感覚・知覚と異なる知的精神作用。→思考
3 ⇒しゆい(思惟)
Aという事物を説明するときに、「Bではないもの」と述べるのは本当に勘弁願いたい。この場合だと「感覚とはなんぞや」「知覚とはなんぞや」という新たな疑問にたどり着いてしまう。ざっくりいって「考えること(感じることではない)」といったところか。感覚、知覚、直感、直覚……こと哲学書における「『感』を表す言葉」はてんで分からぬでな。
その2へ(きっと)続く。