珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

子供っぽい憎悪についての覚書|アイデアロール成功!

世にも珍しい経験をしたので、一応記事としてしたためておく次第である。

気が狂っていたら何だって出来る気がするし

「今のバイトに加えて週1で朝の短時間だけ働きたいけれど、現在の労働状況を鑑みるに気でも狂わない限り始めるのは無理だろうな」と思っていたが、先日無事に気が狂ったので前向きに探していこうと思う。その日のバイト中、本当に何の前触れもなくブチンと切れて、受付の机の上を散らかして床に座り込んで引き出しに頭を打ちつけてそのまま全ての仕事を放棄して業務連絡も一切無視して客席に制服のまま座って鼻水垂らしながら泣いて息が苦しくなって作業場に引っ込んで色々喚きながら布巾を消毒していた塩素剤入りの水を頭にぶちまけた。それでようやく頭が冷えて、「なんか廊下にゲロ落ちてたんで掃除してきます」と低い声で数時間ぶりに無線連絡を入れ、廊下に落ちていたゲロの掃除をした。

 憎い!

親には申し訳ないが、私は前職で生身の人間に対する憎しみポイントが満了したので、この先血の繋がっていない特定個人を好ましく感じることは決して無いし、ましてや特定個人と番うような事は一生無いだろう。老も若も男も女も美も醜も貴も賎も分け隔てなく憎い。生身の人間であれば、まず憎い。すれ違う人間が憎い。すれ違わない人間も憎い。私の視界に堂々と映ってくる人間が憎い。視界に映ってこない人間も憎い。客が憎い。客じゃない連中も憎い。優しい人間が憎い。優しくない人間も憎い。息が苦しくなってきた。憎いという感情の先には何もないし、憎いという感情のあとにも何もない――いや、憎いという感情のあとには憎いという感情があるのである。

インターネットというフィルターを通して加工された顔の見えない人間は好きだ。面白かったり、面白いものを提供してくれたりするので。それ以上に特別な理由はない。もしかしたら顔の見えない相手は人間ではないかもしれないし。かしこい犬かもしれないし。

人間のことをそんなに憎んでない人間がいるらしい

んで、年下の先輩が号泣している私の支離滅裂な話を親身に聞いてくれて、随分楽になった。けれども彼の言葉の中で唯一「自分はそういう気持ちになったことがないのでうまく言えないんですけど」と言われたことだけが心に引っかかった。そういう気持ちになったことがない!?生身の人間を無条件で憎んだりしないんですか!?と大声出してびっくり仰天したい気持ちをその場ではなんとか抑え込んだ。今、記事を書いていたらふと思い出したのでその件でキーボードを叩いてみた次第だが、思い出し仰天して後ろにひっくり返った。と同時に、自身の未熟に気づいて恥じ入った。そういうのを我慢出来るのが大人なのだ。私はなんて子供っぽいんだろう。思い出したら頭が興奮したのか熱っぽくなって頭がガンガン痛んで鼻水まで垂れてきた。今夜も仕事なので、金のパブロンを飲む。早めのパブロン

悪くないサル(私も)

世の中の殆どの人間は私にとって悪い人ではない(かといって良い人でもない)。けれども私にとって悪い人ではないことが、憎くないことにはならない。悪い人ではないことが、その人は私から見て普遍的な理性を持ちうる真っ当な人間であると認めることにはならない。理性は旅好きだと繰り返し言ってきた。みんな悪くないサル。悪いサルの方がもっと扱いやすい!私もきっと悪くないサルだ。外面だけはそこそこ良くしているので、悪くはないと思う。でもサルだ。私についてはこの取り扱い説明書を読んでください。人間に普遍的な理性を認めること、情動を乗り越えること、怒りを抑えること、全部むつかしい。ストア派の扉を叩くどころか扉に触れた瞬間爆発四散しそうだ。ギエー!違うな。ウキー!

そんなわけで今日も限界フリーターとして生きていく

こんな事件は最初で最後ということで、ここはひとつ。あ、またあとで記事更新します。

 

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