珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

死んだ自分とその遺品についての覚書|昨日死んで今日死んで明日も死ぬ私

「低い位置でめちゃくちゃ動いているグラフ」とのことです

メモ帳アプリにこんなものが残っていた。

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ウーンちょっとよく分からないですね。この一文を書いた記憶は薄ぼんやりとあるのだが、一体何を思って残したメモなのかさっぱり思い出せない。少なくとも、実際にそういうグラフを見て書き残したものではない。何かがその時降ってきたのである。このメモ帳アプリに書くことといえば「本屋で見つけたいい感じの本のタイトル」「よく買う生活用品の底値と店名」「ブログのネタ」くらいのものなので、きっとブログのネタにしようと思って書いたのだろう。うん……やっぱりよく分からないですね。

「私」はすぐ死ぬ

「低い位置でめちゃくちゃ動いているグラフ」というメモを書き残した私と、「低い位置でめちゃくちゃ動いているグラフ」というメモを読んでなんやねんコイツと思っている私は、断絶してしまった。「低い位置でめちゃくちゃ動いているグラフ」というメモを書き残した私は死んだ。もしかすると、何日も頭を抱えてウンウン唸れば生き返るかもしれない。でも、奴は確かに一度死んだ。奴の脳内には確かにあった筈の「低い位置でめちゃくちゃ動いているグラフ」も死んだ。

 数年前のツイート履歴を見ていると、テンションが全然違っていて気持ち悪い。他人のアカウントを眺めているようだ。知らない私が私の知っていることを呟いている。ウワッ。当時の私は死んだ。今こうやってブログを書いている私も、下手すれば明日にだって死んでしまうのだろう。ハッと振り返れば、私の死体が山積みになっている。埋葬してやれよ。私の死体を踏み固めても道にはならない。毎日毎日死んでばかりで、死ぬのが仕事みたいになっている。ただでさえWワークだというのに。

屍を集めてグロし三途川

 死んだ自分を高く高く積み重ねて踏んづけてそれで上に登った気になっている人と、たまに死ぬ自分をその都度ちゃんとした墓に埋葬しつつ整備された階段をきちんと登っている人では、「積み重ね」の意味合いが全然違う。自分の死体を積み重ねてどうするんだ!過去の私とそのまた過去の私がピッタリ噛み合って強固な足場になるなんてことはなく、ただブヨブヨした肉の塊がどこかしらで引っかかってかろうじてくっついているだけである。こんな肉の塊なんて毒にも薬にも……いや毒にしかならない。まあ上手いこと天日干ししてミイラにしてしまえば薬になったかもね。

葬儀屋大繁盛

 毎日きちんと、ちゃんとしたものを積み重ねて生きようと思ったら、これまで見て見ぬふりをしてきた自分の死体を全部埋葬してやるところから始めなければならないのだろう。それだけで日が暮れるどころか本当の意味で死んでしまいそうだ。ここ最近ドブ川のようになっていた風呂場のドアのレール、シンクの隙間、その他モロモロ、少しずつ掃除をし始めた。そんな具合に自分の死体の処理も毎日コツコツやっていこう。死んだ自分の遺品整理も大変だ。あの「低い位置でめちゃくちゃ動いているグラフ」というメモだって立派な遺品である。その時の自分が持っていたアイデア、夢、希望。持っていけそうなものなんかほとんど無いだろうけれど、形を保っているものは一応取っておいて、残りの全ては焼却処分。立ち上る煙からは懐かしい匂いがする。

今日の私が考えたことも、明日には燃やされているかもしれない。今日の自分は、明日には死んでいるかもしれない。そうすると今この瞬間の自分がどうにも可愛く思えてくるものだ。キーボードを叩いている左手、右手。どちらも明日にはいない。瞬きをしてる目、あくびをしている口、文章を考えている頭。どれも明日にはいない。それならば今この瞬間の左手、右手、目、口、頭に私は何をしてやれるだろうか?少なくとも、頭はこう要求してくるだろう。――「眠いんだからさっさと寝ろ!」

文系なんだよなあ

ところでこれを書き残した当時の私には悪いが、その平面(象限)中にグラフが1つしか存在しないなら、「低い位置で」もクソも無かろう。それはy軸の数値の取り方が下手なだけである。ビットコインもかくやという高騰でもする予定なのだろうか。低い位置でめちゃくちゃ動いているグラフ、上昇するスペースはたっぷりあるのになかなか上昇しきれない意気地なしだし、全体的に見るとほとんど成長してないくせに小刻みにブルブル変動して不安定で面倒くさくて気持ち悪い。私じゃあるまいし。

 

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