珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

蓄積と刺激と排出についての覚書|上手く使ってこその蓄え

まず結論――日々の積み重ねはいつか来るその日のために

数日前、遅刻しそうになった件についての記事と、遅刻した件についての記事を立て続けに執筆した時のことを思い出しながらキーボードを叩いている。結局、アウトプットするためにはその都度きっかけとなる外部刺激が必要なのだと。その刺激によって引き出されるものが日頃からの蓄えであって、我々が普段何かを見たり聞いたり本を読んだりして知見を蓄えるのは、いつか突然外部からやってくる刺激に備えるためであると。

「きっかけ」と気軽に言うけれど

あまり胸を張って言う事ではないが、先の2件の記事は、驚くほど筆が乗った。いやキーボードが乗った。書きたいことがポンポンポンポン浮かんできて、それを整えるのに多少時間を食ったが、かなりスムーズな生みの作業であった。文章を書き連ねているうちに、頭のどこかからしょうもない(本当にしょうもない)小ネタがポン、と出てくるのを拾い上げて、「これはウケる!*1」と思いながらそれらを挿入している間は実に楽しいものだ。

プラスのことであれマイナスのことであれ、何かが起こった日は、ブログ執筆が捗る。何を当たり前なことをと言われそうだが、ただ単にその「起こった何か」そのものについて記すことだけが楽しいのではない。「起こった何か」と連動して頭の中の蓄えがスムーズに排出される過程が心地良いのである。ある日「起こった何か」を起点として、アウトプットが始まっていく。「知見を仕入れた瞬間」からではなく。

 今回の「寝坊して」「更に遅刻した」という出来事――刺激がきっかけで、それまで自分の頭の中に無意識に蓄積されていた「睡眠」に関する言葉、イメージ、感覚、具体的な何かから抽象的な何かまで、あらゆるものが脳内でブワッと一気に巻き上がって、ぐるぐるぐるぐる竜巻のように天を貫き、一本の大きな柱となった。更にその周囲には「遅刻しない方法」「遅刻する心理」「遅刻の言い訳」「快眠アプリ」「アロマ」「枕」「布団」「レム睡眠」「ショートスリーパー」「自律神経」といった小さな柱が無数に並び立っていて、それらも同様に、私の脳内空間を貫いて勢いよく回転していた。私は意識して「睡眠」に関する何かを収集したことはないが、それでも呆れ返るほどの柱の大群であった。私の中には案外、睡眠に関連する言葉たちが眠っており、記事を書いている途中でそれらは連想ゲームのように次々と目を覚ましていった。そこから幾つかを拾い上げて、あのクソ うんこ 記事が完成したのである。

歩こう歩こう私は   。

だからやっぱり、家に篭って思索に耽っているだけでは駄目だ。インプットした後は、それをスムーズに排出するために、些細な事柄でも外からの刺激が必要なのだ。腹いっぱい食べたあとで無意識に腹をさする、あの動きのように。刺激刺激と言ってきたが、それは「刺激的な出来事」という意味ではなく、「何らかのアクション」程度の意味合いで取って頂きたい。遅刻なんてスリリングなことはやらなくていい!最も手軽なものは散歩だろう。人間、歩いている時に閃きを得ることがよくある。かのフリードリヒ・ニーチェトーマス・マン「優れた思想は歩いている時に生まれる」と言っていた……らしい。原文は探しきれなかったが、まあ、そういうことを偉人の誰かが言っててもおかしくはないだろう。言っていたということにしよう。

読書家にこそ、書から離れる時間が必要なのかもしれない

2週間だったか3週間だったか、多分それくらい前に、「寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』という本のタイトルをもじった記事、に言及した記事」を読んだ。こちらで紹介したかったのだが、はてなトップからそれらしい検索をかけてもなかなか引っかからないので、一期一会と思って諦めることにする。私はこの大元の著書を読んだことがないので(墓穴を掘らないために)深く言及することは避けるが、「書を捨てて町へ出る」ことは、どんな読書家の人生においても必要だと思う。 仕入れた知見を自分の頭の中の鍋でひたすらコトコトコトコト煮込んでいても、いつかは文字通り煮え固まってしまう。書を読んだら、一旦は書を捨てなければならない。真に糧としたいのであれば。

「それっきり」が増えていく

これらと関連して、1点。私が常々ボケたくねえなあ、と思うのは、生活に支障が出るからとか惨めになるからとかそういう理由もあるが、仕入れた知見がその場限りのものになってしまうのが悲しいからである。今までは何らかの外部刺激がきっかけで「あっそういえば」と思い出されていた人生の蓄えの大半が、もう過去のある時点それっきりの出来事になって、思い出されなくなる。これから起こる出来事も、その時点それっきりの出来事になって、それ以降顧みられなくなる。だからある程度衰えが進むと、もう自分の中で物事が積み重ならなくなるのだ。それまで積み重ねてきたものもガラガラと崩れていくのだ。哀しいなあ。

 

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*1:ウケない