白黒さんちの今日のごはんについての覚書|略してはぐめし
人はパンのみによって生きたりもする。
―わたしによる福音書4章4節「菓子パン売り場での誘惑」
食パンがいると心強い
バッグにいつも入っているもの。スマホ。イヤホン。充電器。財布。ハンカチ。アルコールティッシュ。手ピカジェル。のどぬーるスプレー。薬ポーチ。携帯用裁縫セット。文庫本。ヘアゴムとヘアピン。鏡。口紅。色付きリップ。食パン一斤。よし、何一つおかしなものは入っていないな。今日も1日頑張るぞい。
焼かなくてもうまい
安くて、洗い物が出なくて、ゴミも少なくて、まあまあ持ち運びやすくて、寝っ転がってでも摂れる理想の食事。それが食パン。以前から食パンの耳は好きでよくおやつ代わりに齧っていたのだが、どうも中身が……あの白いところのモサモサした食感が苦手で、無残に耳だけ齧られた食パンはいつの間にか行方知れずになるのが恒例であった。はて一体何処へ行ったんじゃろな。ところが最近になって、レンジでチンした食パンがめちゃめちゃ美味いことに気づいた。500Wで1分チンしたあとのあのむんにょりとした食感が堪らない。1分もチンするとピンと立っていた耳はへにょへにょになり、全体的になんだか湿っぽくなる。たった1分でそんなに落ち込まなくても。おそらくターンテーブル上でくるくるくるくる回されたことで食パンの自律神経がおかしくなったのだろう。
食器はこわい
他人様のブログで一汁三菜の豪華な食卓の写真を見ると、「おいしそう」とか「毎日これだけ用意できるのすごい」とかの前に、「ウッ洗い物が……」となるレベルで洗い物アレルギーである。少し前は節約とダイエットを兼ねて豆腐と味噌汁をメインに食していたが、豆腐を入れる小さな皿と味噌汁椀、それとお箸を洗うというたったそれだけの手間に耐えかねて食パンにシフトした。食パンはキッチンペーパーに乗せて、チン。分かる人には分かると思うのだけど、シンクに残っている食器というものは、想像以上にこちらの精神を磨り減らしてくる。皿1枚箸1本転がっているだけで、ウウッ、もうダメになる。流し台の前を通るたびに精神がやられていく。洗えばいいのだ。けれども洗えないのだ。不思議と。そこにあるたった1枚の皿を洗うことが出来なくて、3日、5日、10日と過ぎていく。不思議。
コンビニのカップ麺は高い
こんなんだからまず他人様と一緒に暮らすことが絶望的。以前も吐き散らかした通り私は立派な恋愛アレルギーなので、恋人なんぞを作るつもりは一切無いのだが、それでも街の往来やカップル客を見ているうちにぼんやりと考え始め(て不機嫌になっ)たりすることがある。出会うのならば、「君が3食食パンを食べていても僕は気にしないよ」という人ではなく、「奇遇ですね、僕も3食食パンなんですよ」という人と出会いたいものである。いや、出会いたい訳ではないけれど。3食カップ麺の人ならいるかもしれない。しかし3食カップ麺の人は私からすれば上流階級なので気が合わないと思う。コンビニでカップ麺を買うような人なら尚更。私に言われたくないだろうが、体にはお気をつけください。脂質とか、塩分とか。
シンプルがいい
とはいえ流石に完全に3食食パンというわけではなく、時々菓子パンも食うし、惣菜パンも食うし、おやつも買うし、塩気が欲しくてコンビニでゆで卵を買ったりハッシュポテトを買ったりする。肉や魚や野菜は全く買わないかもしれない。嫌いなわけではないけれど、肉を買うくらいならそのお金で芋や豆を買いたい。一時期じゃがいもに凝っていた際は、袋でじゃがいもを買って、せっせと剥いて、レンジでチンして、塩をかけてハフハフと食べていた。塩だけで味付けしたじゃがいものなんと美味しいことか。何も塗っていない食パン。塩だけ振ったじゃがいも。思うに、私はそういうのが好きなんだろう。醤油を少し垂らした豆腐。白米も、塩だけ振って食べるのが好き。味噌を添えるのもいい。お勧めの市販食パンありましたら教えてください。
貧相なのも悪くはない
今日は本当にただの日記です。食べることについての。人によっては、私が食に執着しないヤツに見えるかも知れないし、逆に執着しているヤツに見えるかもしれない。世の中これだけ食品メーカーがあって、食品取扱店があって、飲食店があって、デパートの地下は今日も賑わっているし、コンビニで需要があるのは大体食べ物だし、駅や空港のお土産店に並んでいるのも大体食べ物だ。みんな色々なものを食べているのだなあ。私は……あんまり贅沢なものを食べると体の中の貧乏神がびっくりなさるので、今日もシンプルに白いものを、ターンテーブルでくるくるくるくる回して、いただきます。