珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

健全な精神は健全な帰宅に宿ることについての覚書|帰宅よければ全てよし

この世の真理に気づいた顔

もしかして、「労働を終えて自宅に帰り着いたまさにその瞬間」の機嫌さえ限りなく良好であるように入念かつ最大限の注意と努力を払っておけば、人生が何倍も捗るのではなかろうか?

対照的な2つのケースに見る帰宅後の行動と心理

「労働を終えて自宅に帰り着いたまさにその瞬間」の機嫌が最悪だった場合。荷物を放り捨てる。コートを着たままベッドに沈み込む。何もしたくない。顔も洗いたくないし、仕事着も洗いたくない。ブログを書く気も起きない。また今夜も仕事に行かなければならないことを考えて憂鬱になる。電気もつけっぱなしで、モソモソと布団に潜り込む。駄目だ駄目だ。化粧を落とさなきゃ。制服を洗わなきゃ。その前に部屋着に着替えなきゃ。ああ面倒だな。このまま寝てしまいたい。電気を消す気力もない。アラームだけかけておく。寝る。最悪の状態で起床。慌てて化粧を落とし、制服を洗い、また今晩の仕事の準備をする。

 一方、「労働を終えて自宅に帰り着いたまさにその瞬間」の機嫌が良好だった場合。荷物を置いてパッと着替えサッと化粧を落としチャッチャと洗濯と洗い物をしてついでに部屋の掃除や片付けを軽くこなしてベッドに腰を落ち着け今晩の準備をし買ってきたパンを焼き皿に乗せ写真まで撮ってもぐもぐ食べる。さてブログは何を書こうかな。おや今日は時間があるぞ。本なんか読んじゃったりしてね。

「風呂に入るのがいくら面倒でも実際風呂に入って後悔する人はいない」という的を得たアレ

ご機嫌で仕事に行く必要はないし、ご機嫌で仕事をする必要もない。ゴミみたいな気分で通勤して、ゲロみたいな気分で働いてもいい。ただ、帰宅する瞬間だけは、何が何でもご機嫌にしておかねばならない。人を憂鬱にさせる大きな要因として、「やらなければならないが未だに着手していないこと」がある。着替え。風呂。掃除。洗濯。準備。それらさえ機嫌よく済ませることができれば、あとは楽勝じゃないか。本来やらねばならないこと何もかもを放り投げて寝そべっている時の疲労感ったら尋常じゃない。仕事で走り回っている時のほうがまだ何倍もマシだ。身体をのんびり横たえているというのに頭の中は着替え、風呂、掃除、洗濯、準備、着替え、風呂、掃除、洗濯、準備、着替え、風呂、掃除、洗濯、準備……ああもう静かにしてくれ!おちおち横にもなれやしない!

今はしみしみのフレンチトーストを探している

最良の状態で帰宅を迎えるための下準備。まず「私は退勤した」という喜びを噛み締める。そして「おいしいパンを買って帰る」と固く決意する。一応バスの時刻を確認し、バス停での待ち時間が4、5分程度で済むようにうまいこと時間を潰す。バス停で待っている時間って結構なストレスだし、街中のバス停には高確率でヘンな人がいるからだ。パン屋で焼きたてのパンを買ったり、コンビニで新商品を眺めたりして気分を上げておく。バス停に着いたらスマホを取り出して推しのイラストを眺めたり、楽天市場アプリで可愛い家具を物色したりしておく。さあバスが来るまであと3分、2分、1分……おや?バスが来ない。道が混んでいるのだろうか。3分過ぎた。5分過ぎた。来る気配がない。って今日は日曜ダイヤじゃないか!ファック!

守りたい、この帰宅

文章がいつもよりウキウキしていることにお気づきだろうか。今日はウキウキで帰宅したのである。ウキウキで帰宅出来るように最大限努めた結果、ウキウキで着替えと風呂と掃除と洗濯と準備を終え、お気に入りの実況動画を別窓で流しながらウキウキとブログを書けているのである。バイト中はいくらイライラしてもいい。舌打ちしてもいいし、キレ散らかしてもいい。けれども自宅のドアに鍵を差し込む瞬間の穏やかさだけは、命に換えても守らねばならぬ。

 限界労働者の皆様、今日もよい帰宅を。

 

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