珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

退屈な無限ループについての覚書|人生の無料体験版はここまで

万物は流転……しない

飽きた。何に。自分の人生に。代わり映えのない日常にも限度ってものがあるのではないか?代わり映えのないどころか、本当に毎日同じことしかやってないのではないか?ここらでそろそろトラックに轢かれておいた方がいいのか?それとも……私はループものの主人公なのか?あと何回ループすれば本ルートに入れるのか?ループし続ける私の人生に意味はあるのか?(残念ながら)ほとんどの人間の人生に大した意味は無いとは言え、私の人生の意味の無さは群を抜いているのではないか?出口は、どこにあるんだ?

ありがたくない平穏

ここ2週間くらいは、バイトであまりイライラしていない。特別変な客も無く、変なトラブルも無く、変な話を聞くことも無いし、忙しい時は普通に忙しいが、暇な時は普通に暇である。平たく言って、面白くない。厄介事が起こって欲しいわけではない。しかしなんというか、ストレスという刺激を全身が求めているのを感じる。もちろん良性の刺激が得られるんならそれに越したことはないが、悪性の刺激の方が遥かに得やすいからだろう。毎日毎日あまりにも淡々とループしているものだから、 来るところまで来てしまった感がある。イライラしたいわけじゃなくてね、こう、刺激がね。刺激が欲しいんだよ。その最もお手軽なものがストレスというだけであって。私をドカンと一発怒らせるような何かが欲しいわけじゃなく……あーあ、どこかに刺激、落ちてないかなあ。

人生というクソゲーを早くもやり尽くした

おもんない労働を8時間ないし9時間やって、おもんない帰宅をし、おもんない家事をやって、おもんない睡眠を摂り、またおもんない出勤をする。365日のうち340日くらいがそれ。25日は労働が無い代わりに1日中おもんない睡眠で終わる。最近は専ら「嫌だ」とか「辛い」とかいうとんがった感情の代わりに「飽きた」というまるっこい感情で埋め尽くされている。歩くのも飽きたし、座るもの飽きた。息を吸うのも飽きたし、吐くのも飽きた。あと数十年、どうやって人生を消化すればよいのだろう。一刻も早く楽しいものを手元にかき集めないと、ふらりと京都に行くような感覚で冥土に行ってしまいそう。

世の中楽しいことは山程あるがやってる本人が楽しいと思わなければそれは楽しいことにならないんですよね

人生のちょい足し食材って何がいいんだろうか。読書?映画?音楽?ゲーム?AmazonプライムNetflixFANZA?いっそどこかで配信でもやってみる?まあそれはさておき、クソ味気のないパッサパサのスコーンを毎日食わされているような状況から早く脱却したいものだ。リア充にならなくていい。ネト充でいい。クリアアサヒが家で冷えてるような日々を過ごしたい。時たま、自分は娯楽すらも上手に摂取出来ないのかと悲しくなる。自分が始めなければ何も始まらないのに。自分のことも楽しく出来ない人間が他人のことを楽しく出来るとも思えないので、近くに親しい人がいなくて逆に良かったなと思う。他人だけじゃなく、犬でも猫でも。私がペットを飼い始めたとして、彼らに楽しい思いをさせてあげる自信すらない。飼ってる犬や猫に「なんやこの人間おもんないな」って思われたら……それはそれで面白いが、人間に同じことを言われるよりダメージでかそう。

ところでしみしみのフレンチトーストありました

通勤路にある人気店ながら1度も行ったことが無かったパン屋に寄った。しみしみのフレンチトースト、220円。卵液が中までじゅんわりしみてて、ずっしりと重い。

 

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