珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

否定されて見えてくるものについての覚書|何よりも欲しい言葉はあるかい

普段はポンコツのグウタラのクソ野郎ですが

「絶対に無理してるんじゃないかなってずっと思ってた」と言われた。「責任感の強さは長所だけど短所」と言われた。「もっと楽しいことをしなさい」と言われた。なるほどね。頑張ってるねと言われたことはあるけれど、「無理をしている」と言われたことはなかった。責任感が強いねと言われたことはあるけれど、「その責任感の強さは短所」と言われたことはなかった。『趣味は寝ることです』に対してウケる(笑)と言われたことはあるけれど、「それはダメ、ちゃんと楽しいことをやって」と言われたことはなかった。なるほどね。

――どうしてこの人はこんなに、私が欲しかった言葉をたくさんくれるんだろう?

優しい否定

会話の中で、たくさん否定された。たくさん「ダメ」と言われた。「休みがない?それはダメ」「趣味がない?それはダメ」「テレビも見ない?飲みにも行かない?それはダメ」「1人でやろうとしてない?それはダメ」「頑張り過ぎてない?それはダメ」。ダメダメ大人は何でもダメダメ。多分、私は、そう、自分が正しいと無理矢理信じて疑わなかったものに、「それは間違っている」と突きつけて欲しかったのだ。私がどんなに長い言い訳を述べても、駄々をこねても、うるさいと反抗して暴れても、それでもなお「いいや、それは間違っている」と言ってくれる人を探していたのだ。子供の頃は「いい子」であろうと、大人になってからは「いい人」であろうとしてきた。性格も、外に向けては穏やかに穏やかにあろうと努めてきた。だからそもそも、他人からたくさん否定されるような機会それ自体がこれまでになかった。たくさん否定されることは新鮮だった。たくさんたくさん否定されたけれど、かといって、私は否定されるばかりのダメ人間なのだなあとは微塵も思わなかった。たくさんたくさん優しくされているのだなあ、と思った。

失せ物って人に探してもらうと大体すぐに出てくるよね

 世の中、間違った肯定もあるし、正しい否定もある。残酷な肯定もあるし、優しい否定もある。不愉快な肯定もあるし、心地よい否定もある。上辺だけの肯定もあるし、心に寄り添う否定もある。大きな思いやりで包まれた否定は、ぶつけられても痛くないことを知った。ウン。私はこれをぶつけて欲しかったのだな。とりあえず1ヶ月にあと1日休みを増やすことを検討するし、趣味だって真面目に見つけるよ。テレビはちょっと苦手だから面白い配信とか探してみるし、飲みは……まず友達探しを……ウン。たまには仕事を人にぶん投げたり、定時になったら何も考えずに速攻で帰ってやろう。自分1人で正しい答えを見つけるのは難しいから、人には人が必要なのだな。

メリー明けまして新成人

先月のクリスマスは特に何も貰わなかった。プレゼントを貰うような歳でもないし、プレゼントを期待するような相手もいない。けれども今日、とても良い贈り物を貰った。

半月遅れの、メリークリスマス。

 

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