珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

今年のおみくじと幸せのパイについての覚書|幸運の20連鎖を狙え

大大大吉

先日、遅めの初詣に行きおみくじを引いた。大吉。ちょっとした自慢なのだが、ここ6、7年くらいは毎年大吉を引いている。神社によっては七福神みくじやら戦国武将みくじやらユニークなおみくじを用意しているところもあるが、それを引くと大体シークレットが出る。大吉なので、中にはわりと良いことが書いてある。努力は報われる。願いは叶う。幸運が訪れる。万事順調。やったぜ。

このように、私は例年初詣に行った神社で大吉を引き、安堵と喜びに満たされたのち、その時点を1年の幸運のピークとして、神様の御加護のもと、これから始まる新たな日々を安心して転がり落ちるのであった。ローリンガール

大吉なんか捨ててかかって来い

運とは一体何だろう。幸運とはいかなるもので、不運とはいかなるものだろう。私は日常の範囲内に限れば比較的運が良い方だと思う。これでも。これでもね。しかしながら……幸運と幸福はイコールではない。思うに、私は幸運を料理するのが致命的にヘタクソなのだろう。その日の幸運はその日の自分だけのもので、次の日の自分にはまるで関わりのないものになってしまうのが現状。明日の自分は今日の自分と切り離されてしまっている。一方、小さな幸運でも次へ次へとひと続きに活かせる人が、自分の力で幸福を勝ち取れる人なのだろう。哀れ、左耳から入って右耳から抜けていく私の幸運。

おいパイ食わねぇか

「今日はよい1日だったから、明日もよい1日にしよう」とか、「昨日はよい1日だったから、今日もよい1日にしよう」とか。昨日の自分から今日の自分へ、今日の自分から明日の自分へ、上手く橋渡し出来る人間になりたいものだ。私の如きプロのネガティブマンになると「今日はよい1日だったけど、明日は悪い1日かもしれない」とか、「昨日がよい1日だったからといって、今日がよい1日とは限らない」とか、そんなことばかり考えだす。昨日の自分と今日の自分と明日の自分とで、幸せのパイを奪い合うようなことは止めよう。今日2切れ食べたからといって翌日に絶食する必要はない。なんなら明日に3切れ食べてもいい。幸せのパイは、いくら食べても太らない魔法のパイ。

 

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