珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

道についての覚書|俺たちゃ一体どこを通れば

すさまじきもの。ながらスマホの歩行者。大声で熱唱しながら爆走する自転車。歩行者信号が青の横断歩道にギリギリアウトで突っ込んでくる自動車。

深夜名物、車道のど真ん中を猛スピードでぶっ飛ばす自転車。自分のことを自動車だと思っている自転車。はえー。私もロードバイクがあれば通勤が捗るのになあ。はえー。しかし歩行者から見てどんなに早かろうが、彼らは自転車なのである。自動車ではない。やがて自動車に追いつかれ、クラクションを鳴らされ、すごすごと歩道側に退く。さながら大型犬に睨まれたチワワの如し。強き者には道を空けよ。はえー。社会の縮図ですね。

今日も元気に徒歩通勤

歩行者は歩道、自転車は自転車道、自動車は車道。用意された道を進めばよかろうなのだ。強き者の道を無理に通ろうとするから痛い目を見るし、弱き者の道をわざわざ通ろうとするから顰蹙を買う。自分に合った道は大切。僕の前に道はある。僕の後ろにも道はある。ありがてえ。とはいえ現実の道路はそうも単純にはいかないものなので、安全第一、譲り合いの精神、ルールを守って楽しく進んでくださいまし。間違っても隣の道を進む者とルールを破って激しくデュエルしないように。死にます。

ところで今はどこを歩いているの

小さき者は小さき者の道を、大きい者は大きい者の道を、丸い者は丸い者の道を、四角い者は四角い者の道を、αの者はαの道を、βの者はβの道を。自分が初めから小さき者だとはっきり分かっていれば小さき者の道を通るし、少なくとも自分は丸い者ではないとはっきり分かっていれば丸い者の道を避けようとするだろう。世の中の全てが大きさや形や記号くらい単純で、大きさや形や記号くらい明確で、大きさや形や記号くらい分かりやすければどんなに良かったことか。そんな世の中なら、自分の通るべき道も容易く見つかるはずなのに。人間は複雑すぎるのよ。「自分は★の者です!」とか「自分は◇の者です!」とか、それくらいはっきりと自分を定義出来て、なおかつそれだけで完結すればいいのに。自分に合った道ってなんだ?自分が進むべき道ってどれだ?答えは風の中。今私が自分のことを考えようとすると、こうなる。『退

俺たちだって分かってねえんだけどもさ

大人はいとも簡単に、「自分に合った進路を」「自分に合った職業を」「自分に合った将来を」などと言ってくる。まるで、子供がみな自分というものをはっきり分かっているような物言いじゃないか。大人だって、自分というものをはっきり分かっていないくせに。いや、だからこそ大人は子供に言うのだ。自分に何が合っているかなんて、自分が進むべき道はどこかなんて、いい歳した俺たちですらロクに分かってない、けれども君の歳から真剣に考えれば分かるかもしれない、俺たちはもう手遅れかもしれないが若い君ならまだ間に合うから、迷子になる前に、後悔が始まる前に、さあさあ早く考えてくれ。さあ早く!

――悲しいかな、子供にはなかなか伝わらないものよ。

 

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