珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

ブログを書こうとする人とトイレに行こうとする人についての覚書|アイデアもうんこもスムーズに出て

(※あまり考えずに読んでください)

これはとある話題に関する記事になるはずだった記事です

本日はとある話題に関する記事を書こうと考えた。とある話題に関する記事を書こうと思って、とある話題に関する記事を書こうとしたのである。初めはとある話題に関する記事を書くために、とある話題に関する記事を書こうとすることから始めた。やがてとある話題に関する記事を書こうとしながら、とある話題に関する記事を書こうとも努めた。一通りとある話題に関する記事を書こうとしたところで、とある話題に関する記事を書こうとすべきであることに気づき、とある話題に関する記事を書こうとしたのである。こうしてとある話題に関する記事を書こうとすることに満足した私は、とある話題に関する記事を書こうと決心したのであった。

記事が書けない時は記事が書けないことをネタにして書けってついこの間も言った気がするしあと30回は言う

読者の皆様には私がいかにしてとある話題に関する記事を書こうとしたかがよくお分かり頂けたと思う。そう、私はとある話題に関する記事を書こうとして、とある話題に関する記事を書こうとする・・・・・・という仕事を成し遂げたのであった。頭が全然回っていない時の生産作業なんて大体こんなものである。何かを「書こうとして」、「書こうとして」――「書こうとして」ばかりいる。いつまで経っても「書こうとして」いるところから抜け出せない。恐らくスタンド攻撃を受けている。視界が妙にのっぺりしていて、頭の裏側についている目玉で無理矢理正面を見ているような感覚だ。いや私が目玉でものを見ているというよりも、脳と景色が直に接続されていてそれを直接認識しているといった方が正しいかもしれない。本来であれば思考と接続しているはずのケーブルが何故か目の前の景色と繋がっているせいで、何かを考えようとしても景色ばかりが頭にドーンドーンと入ってきてしまう。そりゃ生まれる文章も生まれないわけだ。脳を景色に寝取られて宙ぶらりんになっている私の思考は今何をしているのだろう。脳のUSBポートを増設する必要がある。

トイレに行こうとしている人を引き止めてはならない

 頭が回らぬついでになんか適当に書いておこう。何かをしようと試みているが何らかの原因で「する」に至れない、あの「する」と「しない」の間をぼよんぼよんと往復している時間ほど気持ち悪いものはない。この不愉快な反復運動には「出来ない」という名前が付いている。記事を書こうとして書くに至れないのもそうだし、トイレに行こうとしていたのに背後から引き止められた瞬間もある意味そうである。「する」の壁に挑んではぶち当たり跳ね返って、「しない」の壁に激突しては再び反対方向に飛んでいく。これを繰り返して人間は動作を行ったり成長するわけだけども、それは目標のある大きな物事にのみ当てはまることであってほしい。例えば逆上がりの練習で失敗して失敗してやっと成功した時は、「する」の壁に到達した甲斐があるだろう。しかしながらトイレに行こうとしては引き止められ行こうとしては引き止められ漏らしそうになりながら1時間後にやっと用を足せたとしても、焦りと怒りで負のお釣りが来るだけである。用を足すことくらいストレートで「する」の壁に到達させてくれ!何故こんな些末なことで「する」と「しない」の壁を往復しなければならないんだ!こういうしょーもないことも積もり積もればストレスになり、膀胱 胃が破壊されるわけですね。

ハッピーなのは私の頭

人に試練は必要だが、トイレに行きたい人に試練は必要無いはずだ。誰かに対して不要不急の試練は課さない。これでみんなハッピー。私がとある話題に関する記事を書こうとする時だって、そんな試練は課さないで頂きたいものだなあ。聞いていますか神よ仏よ。頭に思い浮かんだ話題をスラスラと記事にして、ゆっくりコーヒーでも飲み、ベッドにたどり着けたら私はハッピー。

 

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