一般人の一般人による一般人のためのライフハックについての覚書|たまには天才が書いた本を読もう
読者様だ!逃げろ!
当ブログでは事あるごとに「記事としての体裁だけは一丁前に整えられた中身の薄い自己啓発及びライフハック記事」をけちょんけちょんに皮肉っているが、私は決して自己啓発やライフハックのコンテンツが嫌いなわけではなく、それどころかむしろ愛しているとさえ思う。実際、暇さえあればそういったコンテンツたちの間を練り歩いているし、それはしょーもないまとめブログを眺めているよりも遥かに有意義だろう。ただ、自己啓発或いはライフハックを謳っておきながら、記事を読んだ人間の自己やライフをどうにかしてやりたいという気概が感じられない記事を好ましく思わないだけであって、そこに熱意を感じられる記事に関しては素直に感心する。あるコンテンツの作り手がどこまで本気で読み手の自己やライフをどうにかしてやろうと考えているかは知らないが、「どうにかしてやろうと考えています」という旨を明文化しているならば、こちらも本気で自己やライフをどうにかされてやろうと思うわけで、つまりライフハックコンテンツは遊びではないということだ。
責任という概念を作った人は責任取って
とはいえライフハックコンテンツを遊びでやるも本気でやるもそれは個人の自由である。個人で運営しているブログ程度ならば、よほどアレなことを書いて扇動しない限り、読み手に対して具体的な責任が発生することはあるまい。知らんけど。かと言って120%完全に責任が無いわけでもないだろうし、「他人の自己やライフをどうにかしてやりたい」書き手と、「自分の自己やライフをどうにかしたい」読み手の間に生じる薄ぼんやりとした危険の存在は否定出来ない。ささやかな影響を与える側とささやかな影響を受ける側の、あの……なんか……微妙な……「あなたに影響を与えたいが責任は放棄したい」側と……「あなたから影響を受けたいが責任は放棄しないでほしい」側の……夏場の蜃気楼のようにもんにょりとした……てんで真逆の性質を持つ自己防衛バリア……
一般人を絞っても大体一般的なことしか出てこない
ところで自己を啓発したりライフをハックしている人々って一体どんな人なんだろう。どれほど有意義な人生を送れば、そこから抽出したエッセンスを文章化して、世に送り出すことが出来るのだろう。一昔……いや二昔か三昔ほど前であれば、こういう知見の発信者となれる人間は社会の上位にいるごくひと握りで、またその情報を受け取ることが出来る人間もそう多くは無かったはずだ。現代ではいかにクソ一般人であろうともネット環境さえあれば知見の発信はいくらでも出来るので、一般人の、一般人による、一般人のための、一般的な出来事に関する一般的なノウハウが溢れかえる世の中になった。つまるところ本段落冒頭の問いの答えは、ごく一般的な一般人である。重複が重なっているわけではない。一般人として一般的な一般人である。自己啓発ブログを運営している天才小説家とか、ライフハックブログを運営している大学名誉教授なんてものは、少なくとも私は聞いたことがない。お客様の中に天才小説家や大学名誉教授がいらっしゃったら申し訳ありません。天才小説家や大学名誉教授という生き物はひと握りしか存在しないが、クソ一般人は世の中に掃いて捨てるほど存在するので、今この瞬間にも、一般人の、一般人による、一般人のための、一般的な出来事に関する一般的なノウハウは増え続けている。
本当に怖いものはこの世にまだ一度も出てきたことがないアイデア
私は(本当の意味での)自己啓発とライフハックについて文章を書けるほど深みのある人生を送ってないクソ一般人であるし、そもそも他人に対して責任を保証出来るようなキャパシティも持ち合わせていないので、ああしましょう!こうしましょう!という