珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

掴みどころのない現実と振り回される僕らについての覚書|見えないモノを見ようとして

この現実は現実か?

現実を見たり見なかったりするのが得意なフレンズの皆様、お久しぶりです。現実を見たり見なかったりするのが得意なフレンズ……フレンドです。失踪していたほんの2ヶ月弱の間に、周囲の、日本の、世界の状況があまりにも激変しすぎて、ちょっと現実濃度おかしくない?と首をかしげる日々を送っておりました。誰もがそうでありましょう。フィクションの世界が現実に滲み出しているような、我々の頭の中の虚構は現実となり、我々の目の前の現実は虚構となる。SCPだよこれ。おっかねえ。確保、収容、保護。

現実を煮たり焼いたりしろ

こんな状況下においても、我々は現実を見ながら生活しなければならない。現実……現実とは一体どこにあるのだろうか。これほど短期間に、これほど大規模に、あらゆる物事が変わってしまって、それでも本能のように現実を目で追いかけている我々の眼球可動範囲は限界を迎えやしないだろうか。ある日誰かに「現実を見ろ」と言われたとして、一体どこを見つめれば正解なのだろう。人が人に「現実を見ろ」と言うときは、大抵「現実を見てそれを自分の力でどうにかしろ」の意である。人が人に「鍋を見てて」と言うときは、大抵「鍋を見て煮立ってきたら火を弱めて」の意であるのと同じ理屈だ。ところがどっこい、大抵の一般ピープルは現実をしっかり見たところで、それを満足いく形へと改変するに足るような力は持ち合わせていないのである。しかし誰もが自分や他人に向かって「現実を見ろ」と言う。人によっては朝飯前かもしれないが、人によっては「UFOを肉眼で探してとっ捕まえてここまで持って来い」と言われるくらいの無理難題なのである。まあ現実を自分の力でどうにかするよりも、UFO探す方が簡単かもね。

現実から振り落とされそうになっている人間のふわふわしたぼやき

ところでこの、我々が絶えず目を充血させて追いかけている現実というものは、一体どこからやってきたのだろう。答えは簡単、それは人の間からである。おっと。これではまるで自らが造り出した知能を持つロボットの暴走を止められない博士のようではないか。国家とか、経済とか、労働とか、教育とか、もっと遡れば言語とか、文化とか、我々より遥かに頭の良い人々が何世代にもわたって築き上げてきた素晴らしい現実システムは、私のようにギリギリ猿でないレベルの人間にとっては些か難しいように思えてならない。散々この現実システムに乗っかって生きておいて何を言っているんだという話だけれど。天然物の現実はどんな生き物にも平等に死を与えるけれど、人工的な現実がもたらす死はあんまり平等ではない。我々の前にある(はずの)現実は現実であるというただそれだけで人を殺せる程に複雑になった。ただ現実を覗き込んだだけの人間を一瞬で殺せるくらい強力になった。1人の人間を死ぬより酷い目に遭わせることも出来るくらい優秀になった。現実システムは今日も美しい。

イカれてないなんてイカれてるよ

ちなみに失踪を決め込んでいた2ヶ月弱の間に私の生活はどう変わったかというと……良いのやら悪いのやら、ほとんど変わっていない。メインのバイトもサブのバイトも文字通りの通常営業。ただ休日が隔週1から週1に増えた。これにコロ某は一切関係なく、単に夜勤のメンバーが増えてシフトの取り合いになっているからである。それと同時に1日の勤務時間が(何故か)1時間増えたため、1ヶ月あたりの給料にほぼ変わりはない。生活は何も変わっていない。変わっていないが、私も現実システムに組み込まれている身なので、変わらない生活と変わり続ける現実の間でブチンとちぎれそうになっている。まるでこんな状況下で生活が変わってないヤツの方がおかしいみたいだ。周りは大学生ばかりなので、オンライン授業が何だの、遊びに行けないだの、掛け持ち先が閉店しただの、就活がヤバいだのでみんな生活に何かしら負の影響を受けている。そんな中で負の影響をほとんど受けていない私は恵まれていると思うべきなのだが、現実が総じて負の方向へ突っ走っているので、右に習えで負の方向に突っ走らないといけないような気分になってくる。

私はこれまで、現実というものはいつだって変わらずに壁のようにずっしりと我々の前に構えているものだと思っていた。現実がこんなに流動的で、俊敏で、小刻みなビートを刻みながら反復横跳びするものだとは思わなかった。今の私の目には、現実の残像しか映っていない。

 

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