珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

「やるべきではないこと」についての覚書|自分の傷を抉りながら書く記事は気持ちいいゾイ

世界で最も役に立たないリストのうちの1つです

人生やるべきことをやるのも大切だが、やるべきではないことをやらないことはそれ以上に大切だと思う。後戻りの利かない1回ぽっきりの人生にしては、やるべきではないことが多すぎる。やるべきではないことをやって後悔する人が、やるべきではないことを今まさにやっている人が、やるべきではないことをやっている自分に気づいていない人が多すぎる。此度編集画面を開いたのは、これまでの人生やるべきではないことばかりやってきたしがないフリーターが、自身の経験に基づく「やるべきではないこと」をリストアップすることにより、「やるべきではないこと」というこの世でも有数のド畜生の餌食になる人を1人でも減らしたいという思いからである。

やるべきではないこと① 未だ生まれていないストレスにあらかじめ怯えること

「未だ生まれていないストレス」とは、言い換えれば「近い将来生じる可能性のあるストレス」である。「近い将来生じる可能性のあるストレス」とは、言い換えれば「近い将来生じるかもしれないし生じないかもしれないストレス」である。「近い将来生じるかもしれないし生じないかもしれないストレス」とは、言い換えれば「近い将来生じない可能性のあるストレス」である。ここまで言い換えれば、「未だ生まれていないストレス」に怯えることが馬鹿馬鹿しく思えるだろう。しかし人間にはなんとも厄介な機能が備わっている。例えばある日あなたが自宅のドアを開けたら目の前に見知らぬ男が棒立ちでこちらを見つめていて、その時に心臓を鷲掴みにされるような恐怖を味わったとしたら、あなたは当分の間、以前のように平然とドアを開けることが難しくなるだろう。一言で表せばトラウマである。これと同じくして、過去に多大なストレスを受けた状況と近似した状況に置かれた際には、再び同様のストレスに襲われるのではないかというネガティブな感情を覚えるだろう。未だ生まれていないストレスに怯えるとは即ち、ストレスそのものがトラウマになっているということだ。ところが限定的な恐怖体験とは異なり、ストレスは年柄年中その辺に転がっているもので、それこそ事前に気にしていたらキリがない。未だ生まれていないストレスにいちいち怯えていたら、それ自体がストレスとなり、ストレスの沼から抜け出せなくなってしまう。しかし、ああ、とにもかくにも自分はイライラしたくないんだ、これ以上イライラしたら死んでしまう、けど今日目が覚めてから再び眠りに就くまで一体どれほどのストレスが自分を待っているのかなんて検討もつかない、ストレスが生じるかもしれないし生じないかもしれない、その曖昧さすらストレスだ、自分は未だ生まれていないストレスに殺されるのだ!

【結論】以前のストレス体験から将来のストレスに怯えるという行為そのものが現在進行形のストレスであり、過去と現在と未来の三地点からストレスの無間地獄に陥る。未だ生まれていないストレスにあらかじめ怯えることはやめよう。

やるべきではないこと② 過去の自分を思い出して恥じ入り否定すること

10秒前の自分は今の自分と同じ自分だろうか。実のところ今の自分は9秒前に生まれた存在で、10秒前の自分とは別人ではなかろうか。どうして数日前の自分はあんなに幼稚で、滑稽で、愚かな振る舞いをしてしまったのだろうか。今の自分は冷静で、理性的で、落ち着いた振る舞いが出来るはずなのだが、数日前の自分はどうしてそれが出来なかったのだろうか。少なくとも数日前の自分と今の自分はまるきり別人なのではないだろうか?――こんな具合に、過去の自分を思い出してはその言動を悔い、恥じ、無かったことにしようとする行為もやるべきではないと思う。無論、人生には本当の意味で過去の自分を悔いて、恥じるべき場面も存在するだろう。しかし日常の、それこそ取るに足らないほんの些細な過去の言動を取り上げていちいち悔いたり恥じたりしていては、自分の全てを否定することになりはしないだろうか。今日の自分は昨日の自分を恥じ、明日の自分は今日の自分を恥じている。今日の自分は昨日の自分を否定し無かったことにして、明日の自分は今日の自分を否定し無かったことにする。正しい自分というものはその日その時にしか存在せず、過去の自分はみな他人の空似。所謂「黒歴史」思考の重症化だ。あの時の自分は確かに楽しくて嬉しくて愉快な気分だった。それなのに今の自分視点で振り返ったらなんとアホらしいことか。あんなに騒いで、恥ずかしい。思い返せばあの日も、あの日も、全部恥ずかしい。そういう思考で過去の自分を否定し続けると、文字通りの「生き恥」として人生を歩むことになる。過去の自分が今の自分と違っていてもいいと思う。人間は変わるように出来ている。神様がそう造ったのだから、全部神様のせいにすればいい。

【結論】人は「今の自分」というペラペラな自分を無数に積み重ねて自分を作っているので、過去の自分を全て燃やし尽くしたら残るのはペラペラな自分たった1枚のみである。過去の自分の黒歴史化は程々に。過去の自分を思い出して恥じ入り否定することは(本当に必要な場合を除いて)やめよう。

やるべきではないこと③ 「あれ……もしかして自分毎日毎日同じことしかしてないんじゃ……」と悟ること

この段落を読んで「あれ……もしかして自分毎日毎日同じことしかしてないんじゃ……」と悟ってしまった人は記憶処理でも受けてください。悟らないでください。週に6日全く同じ労働をして週に1日死んだように眠る7日間を月に4回繰り返しその月を年に12回繰り返しその年をこの先何十回と繰り返すことになるかもしれないという可能性について悟らないでください。自分の人生がつまらない1日のループで構成されているという可能性について悟らないでください。自分の人生は労働と睡眠と納税で構成されているという可能性について悟らないでください。周りの人々は少しずつ変わっていくけれど自分はこのままずっと変わらないかもしれないという可能性について悟らないでください。ストレスに塗れた平日と何の楽しみもない休日をミルフィーユの如く積み重ねた末にひっそりと終わっていくという可能性について悟らないでください。

【結論】悟らないでください。

やるべきではないこと④ これらが出来たら苦労しねえよと思うこと

これらが出来たら苦労しねえんだよなあ

【結論】これらが出来たら苦労しねえよと思うことはやめよう。

 

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