珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

健康的に諦める試みについての覚書|ひとつ諦めるごとにひとつ健康が失われていくこの感じ

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バイト中あまりにも暇すぎてこんなことを考えていた。人間、様々な物事を健康的に諦められたら幸せになれるのではないか、と。これは古来より煩悩を捨てろとか執着を手放せとか世と世にあるものを愛してはいけないとか言われていることと同義なのだが、こいつらが常に宗教的で高尚な香りを漂わせているのとは対照的に、「健康的に」というフレーズは実に世俗的だし、親しみやすさやウキウキ感があって良いと思う。後腐れなく、後ろ髪を引かれることもなく、大きな蟠(わだかま)りもなく、きれいさっぱり、ゲームのデータが勝手に消えるを自発的に消すように。……で、健康的に諦めるって一体どうやればいいんだ?

簡単に諦められたらいいのにね

「諦める」という動作にわざわざ「健康的に」と付加している辺り、少なくとも私は「諦める」という行為を健康的なものとだは思っていないらしい。概してそうだろう。食べ終わった菓子パンの袋をポイと放り投げてもそこに「諦める」要素は微塵も含まれないが、棚に入りきらない本を渋々捨てる際には「諦める」という要素が伴う。皆様ご存知のとおり、「諦める」には「未練」がつきものである。当人曰く未練なんか全く無いぜという場合も、未練が生まれた直後に手放すことに成功したからあたかも持っていないように見えるだけで、初めから全く無かったわけではない。それに本当の意味で全く未練の伴わない「諦める」はただの「捨てる」である。そしてこれまたご存知のとおり、この未練という感情は人が抱く厄介な気持ちの中でもトップクラスの面倒臭さを誇るもので、人が何かを諦めた(と思っている)その瞬間から、心の中で未練がウウとぐずり始めるのだ。それから人はこの未練という幼子の気が済むまでなだめすかしてせっせせっせとお世話しなければならない。それはほんの一瞬で終わるかもしれないし、墓に入るまで続くかもしれない。ほぼ介護に等しいこの行為が、人をどんどんダメにしていくわけだ。……で、健康的に諦めるって一体どうやればいいんだ?

みんな~今日も諦めてるか~

私は人に誇れるような人生経験は一切無いが、「諦める」という経験の豊富さで言えば誇れるものがあると思う。1番メジャーな「能力が足りなくて諦める」は勿論のこと、「挑戦する前から諦める」というものもあるし、さらに「能力は足りているけど諦める(?)」や、「既に目標に到達し願望は叶っているのに諦める(??)」という変化球まで、「諦める」の見本市のような人間である。そんな諦めマスターの私が、健康的に諦める具体的な方法ついて、バイト中に書き残したメモを見ながら書き起こしていこうと思う。

①強制的に再挑戦出来ない状態になるまで自身の健康レベルを下げる

ええ~っ。「健康的に」とは何だったのか。でもメモにこう書いてあるからしょうがないね。未練が生じるのは基本的に「今からでもやろうと思えば出来るかもしれない」対象についてである。そしてこの、やろうと思えば出来るかもしれない、手遅れかもしれないがもしかしたら間に合うかもしれないことを切り捨てる行為が酷く苦しいのだから、そもそも出来なくなってしまえばOK😊、とメモに書いてある。小人閑居して不善を為すとはよく言ったものだ。しかし故意に健康を損なうのはいくらなんでもやり過ぎにしろ、自分の中に1mmの可能性が残っているせいでこんなにも苦しんでいるのなら、可能性なんて最初から全く無ければよかったのに、と思うことはあるので、この小人の言い分も分からんことはない。

②こまめに宇宙と自分とを比較して己のちっぽけさを感じ続ける

手洗い、うがい、宇宙と自分との比較。これが新しい生活様式です。要するにこう……何かを悟りなさい、ということを言いたかったのだと思う。思いを馳せるのは宇宙じゃなくとも、涅槃でも浄土でも何でもいいのだが、広大なものの広大さと自分の人生の価値を比較して、「ここで諦めないことに何の意味があるんだろう?そもそも諦めるとか諦めないとかいう選択に何の意味があるんだろう?宇宙と比べたら私が諦めることにも諦めないことにも意味がなくて、そもそも私って意味がないんだ!ウケる!」という領域にまで上り詰めることが出来たら、おめでとう、これから先ずっと健康的に諦めることが出来るはずだ。ただし人生そのものを諦めないように気をつけてください。あと、早く寝てください。

③絶望を掴んで一周回す

これは大部分が②とかぶるのだが、自分の中にある絶望を引きずり出し、絶望の片脚を鷲掴みして気持ちよくなるまで360度なり720度なり1080度なりハンマー投げの要領でぶんぶん回す。こうすると大体……達観に手が届くようになるので、「諦める?任せろ!!」となる。未練は生まれた瞬間に自分の足で焼却炉の方まで歩いて行ってくれる。後悔は産声を上げた瞬間に自らプレス機の中へ飛び込んでくれる。明るく健やかな諦めライフの始まりだ!

適度な不健康もまた健康の秘訣

結局のところ、「健康的に諦める」なんて「インフルエンザを楽しもう」とか「家庭から出る生ごみで香水を作ろう」というくらい人類には早すぎるのだ。例えば今私が何かしらの原因でヤケっぱちになるか突然何かを悟るかして、このブログをバックアップも取らずに消去してしまったとする。それで「特に理由もなくブログを諦めましたぞ!うーんスッキリ!明日からも頑張ろう!」とはならんだろう。そういう精神状態の時点で健康ではない。これは①②③の完全な否定になるわけなんですがバイト中暇を持て余していた時の私聞いていますか。「未練」は人間に必要な不健康さである。全くの健康ではないからこその人間である。未練を感じない人間はいない。未練を完全に予防したり根こそぎ取り除く方法はなく、未練という腫瘍が出来たあとで薬でも塗って痛みを和らげてやるしかない。そしてその薬は病院で処方してもらうことが出来ない。腫瘍は自分の内にあって、薬も自分の内にある。

 

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