厄介な、あまりにも厄介なものたちについての覚書|昔推してたアイドルが芸能界引退したので書きました
突然ですが問題です
それは大抵の人間の手の届かない遥か遠いところにあって、彼方の壇上から多くの人を魅了し、人は少しでもそれを近くで拝もうと様々な試みを重ね、あわよくば自分のもとへ引き寄せたいという欲求を抱き、もがき、足掻き、苦しみ、その輝きを失わせまいとして莫大な時間や金銭を費やして献身するも、時にそれを熱心に追いかけすぎるあまり過激になり、そのために却って遠回りを強いられ、ある人は己の無力さに落胆し、ある人は「別に初めから欲しくなかった」と自己を正当化し、ある人は最善は尽くしたと自分を慰め、ある人は……それが既に己の手に入ったものと思い込み、みすぼらしい裸の肉体の上に滑稽と傲慢とで編まれた外套を羽織って街を闊歩し、まだ開けてもいない宝箱の中身を物知り顔で自慢することに余生を費やす羽目になるのだが、そんな人間の有様を見てもなお無垢なる輝きを失わないものってな~んだ?(二択問題)
A:アイドル
B: 真 の知
哲学はアイカツだ
真の知は人の手の届かないところにあって人に希望の光をもたらす太陽である。アイドルは人の手の届かないところにあって人に希望の光をもたらす太陽である。つまり……真の知はアイドルである。それも、会いに行けないことを売りにしているアイドルである。奇っ怪なことに、人は手に入らないものを喜んで追いかけ、眩さのあまり盲目になりながらも必死に目を見開き、己が持てる限りの財を献上出来ることに幸福さえ感じている。えーと、まぞ……。今推しているアイドルに物足りなさを感じているあなた、是非とも真の知を応援してみてはいかがだろうか。彼女は衰えることもなく、老いることもなく、消えることもなく、あなたは死ぬまで彼女の追っかけでいられるのだから。ところがそんな彼女にも1点だけ黒い噂があって、なにやら真の知はとあるトップオタと繋がっているらしい。両者が互いの家に出入りする光景が度々目撃されており、そこから察するにただならぬ仲のようだ。野郎、俺達のまこちゃんを独占しやがって。TOと言えども絶対に許せん、自宅特定してボコボコにしてやる。で、そのTOってのはどこのどいつなんだ?えーっと……うん?神?
プラトン先生は読みやすくておすすめ
先日、プラトンの『饗宴』を読み返した。その後で『パイドロス』を読み返し、今は『ソクラテスの弁明』を読み返している。数日前に『プロタゴラス』『パイドン』『テアイテトス』を注文した。これまで私がやれることといえば、労働と、何か抽象的・概念的なものについてぼんやりと思索を巡らすことだけ……だったのだが、そこに読書が加わって少し生きている感じがする。それにプラトンの著作を読み漁っているお陰で、近頃は「知」について考えることがブームである。そう例えば……「知」との付き合い方について。私は最低限のおつむと手足口があればなんとかなる単純接客労働者なので、「知」とはてんでご縁がない身分なのだが、ご縁がないなりに考えてみよう。
スマホ依存ってそれ知ること依存なんじゃ
近頃どうにも思うことが、「自分、知的好奇心に振り回されてんなあ」ということである。無論この場合は歴代の哲学者たちが言っているような「知」、冒頭に散々出てきたあの「真の知」ではなく、自己啓発や仕事術のような実践的な「知」、うんちくや豆知識のような娯楽的な「知」、ウン……そういうやつ。知りたいと思うこと自体は何ら悪いことではない。人間は分からないものを恐れるのだから、少しでも多くのことについて知ろうとすることは何らおかしいものではない。しかし、現代人にとって「知ること」は最早「命を守るための本能的な試み」ではなく、「自身では制御できない厄介な衝動」になりつつあると思う。この知的好奇心は常に腹を空かせていて、薬だろうと毒だろうとお構いなしに吸い込むからだ。身体や頭が疲弊している時でさえ、食料を求めてその辺をうろつきまわっている。そしてなんとなくスマホを開いては、不愉快なニュースの見出しに顔をしかめつつも、見出しをタップして記事を眺めてしまうのだ。見なきゃいいのに。ちょっと手持ち無沙汰になると、何からしらの情報を求めて知的好奇心の暴走が始まる。いやもうほんと疲れてるんだって。まとめサイトなんか読んでる場合じゃないんだって。
これは見出しです
~ここにもう1つ書くつもりだったけど力尽きたので断念~
自分の中でうまくまとまらなくて書くのに3日かかった
こうした知的好奇心の厄介な性質を踏まえた上で……ええとなんだっけ、「知」との付き合い方だっけ。ここまで来たら結論は一つだ。「知」と別れなさい。現代人の頭の中にある「知」は98%くらいがいらんもんだと思う。真の知=アイドル論に則れば、アイドルに化けたキツネやタヌキを頭の中にいっぱい飼っていて、それで自分専属のアイドルグループが出来たと大喜びしているのである。そのキツネやタヌキは部屋を荒らし、食料を食い散らかし、こちらに噛み付いてくることさえあるにも関わらず、仕方のないやつだなあとかお転婆だなあとかで誤魔化しながら、住み着くことを許容し続けている。えーと、まぞ……。一方、真の知は自分の頭の中に呼び寄せるまでに死ぬほど苦労するだけであって、呼び寄せてしまえば手のかからない良い子である。に違いない。多分、きっと。いや知らんけど。ソクラテス先生でさえ分からんと言っているものを、私なんかが知っているわけがない。
人は、知ることと考えることがずっとずっと素朴であった頃には戻れないのだろうなあ。