珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

『人』という字は人と人とが支えあってうんたらかんたらについての覚書|今日もひとりだ空気がうまい

この記事はセンシティブな内容を含みます?

本題に入る前に、かねてより私の頭に巣食っていた1つの仮説について申し上げたい。実を言うとこの話題を取り上げることに若干の躊躇いがあり、それ故にかれこれ半年以上も頭の中で漬け込まれていたものなのだが、あまり長々と漬けても食べ頃を失うだろうと思い、重い樽の蓋を開ける次第である。さて、私の頭の中の漬物はこうだ。「でろんでろんに精神が疲弊しているはてなブロガー、かなりの確率で恋人もしくは配偶者がいる」説。

リア充健やかであれ

私は収益目当てのブログを除けばブログジャンルの好き嫌いは特にないので、まあ、何でも読む。どんな分野のブログでも読む。どんな人のブログでも読む。そうなると、購読しているブログの書き手の中に、でろんでろんに精神が疲弊している人が含まれるのも至って自然な流れである。どうか彼らに健やかなる日々が訪れんことを。そして……あくまで私の体感であるが、彼らには高確率で彼氏や彼女、夫や妻といったパートナーがいる。ただそれだけの話である。ただそれだけの話であるのだが、 ただそれだけの話・・・・・・・・ を前にして、私の最も醜い部分が囁くところの、「いつ、どこで、だれと、どうして、どのようにして」ということを、いつも考えざるを得ないのである。エッチな話じゃないですよ!

ヒトちゃん飼いたいって思ったことないなあ

端的に言えば、「でろんでろんに精神が疲弊している人たちは、一体どこからパートナーを捕まえるエネルギーを捻出しているのか」という話である。年齢=彼氏いない歴で、でろんでろんとまでは行かなくともぺろんぺろんくらいには精神が疲弊しているフリーター女が言うことにゃ、パートナーを捕まえるというだけでも骨が折れる上、それを自分の元に引き留めておくのはとんでもなく体力と精神力を摩耗するだろうに、でろんでろんに精神が疲弊している状態でそれをやるのはしんどかろうて、一体どうやってそれをやってんだい。いや勿論、でろんでろんに精神が疲弊する前に手に入れたパートナーは別として。考えてもみろ、ワンちゃんやネコちゃんも飼えないような状態の時に、ヒトちゃんなんか飼えるわけがない、そうだろう?

転がりやすい岩は喋らないのでカワイイ

するとどこからともなく誰かが囁く。「黙って聞いていればお前は捕まえるとか骨が折れるとか引き留めるとか手に入れたとか飼えないとか飼えるとか言って、パートナーというものをあたかも転がりやすい岩か何かのように考えているようだが、お前の考えるその岩には目があり、耳があり、口があり、手足があり、心があり、情があり、愛があるもので、あっちへゴロゴロこっちへゴロゴロしているばかりの無機物ではなく、深い穴に落ちそうな人がいればその巨体でもって穴を塞ぎ、どこかへ飛んで行きそうな人がいればその重さでもって地面へ引き戻し、歩き疲れた人がいれば自らの上に座らせ、暑さに喘ぐ人がいれば自らの影に引き入れる、そのように在ることが出来る」。そしてまた誰かが囁く。「人は病気を患う前にも医者を訪ねることは出来るが、病気を患った後にはより一層熱心に医者を訪ねる」。イヤア、参りました、実に道理です。でろんでろんに精神が疲弊しているからこそ、人は支えを求めるというわけですね。時にはその支えが自分の方へ倒れて寄りかかってくることもあるけれど、それが人と人ってもんで、それは電柱にのしかかられるような冷たい重みではなく、人の肉体が持つ温かい重みなのですね。ヘヘェ。

”劇団独り”

 冒頭で「本題に入る前に」などと勿体ぶっておきながら、その「本題」で一体何を言いたかったのか綺麗さっぱり忘れてしまった。最後にこれだけ言っておくと、人間、医者に頼らず薬も飲まず、自分の中でそっと温めておきたい病というものが1つくらいあってもいい。それは私の場合「ひとりを愛する病」なのだが、しかし、しかしね、私のような人間の視点から見ると、「ひとりを愛せない」方が「病」のように思えてならぬのだが、如何。まァこの際どちらも病ということで、両成敗。

 

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