珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

この世からこぼれ落ちそうな時に読んだり読まなかったりしてほしい覚書|この世のやり方が肌に合わないと感じたら直ちに使用を中止してください

このブログを書いている人は怪しい者ではありません

この世を幸せに生き抜く方法を、この世に求めすぎてはいけないのかもしれない。ここ最近岩波文庫の「青」ばかり読み漁っている私の結論である。この世に素晴らしいものは沢山あるけれど、近頃どうにも素晴らしいものたちから見捨てられたような感覚を覚える。この世にある素晴らしいものたちが皆して、私を幸せにする努力を怠っている。これは職務怠慢であると同時に、存在の怠慢である。おいしいものから「おいしい」を取り去ったら、後に一体何が残るというのだろう。お前は「おいしい」が仕事であって、お前の存在意義は「もの」の方ではなく「おいしい」の方だというのに。そんな風にグチグチ言っている間に、とうとう素晴らしいものたちの側から匙を投げられた……そう、匙は投げられたのである。古今東西多くの人々が、知恵や真理や神や仏といった(おそらく)この世に無いものを追い求めていたが、彼らもまた、この世の素晴らしいものたちから匙を投げられた存在だったのだろう。投げられた匙が床にぶつかる音が聞こえたら、それが合図である。この世の素晴らしいものたちに背を向けて、思いっきり走り出せ!どっかへ!

喜々として10万円を受け取ったクチでこんなことを言うんだぜ

環境に適合した個体は生き残り、適合しなかった個体は滅び去る。自然はそう出来ている。人間界もおおよそそうなってはいるが、ある程度成熟した「社会」という環境の中では、滅び去るのがやたらめったら難しくなっている点が、自然界と大きく異なる点である。また自然界が「食うか食われるか」であるのに対し、人間界は専ら「幸福か幸福ではないか」になっている。つまり幸福を得た個体は生き残り、幸福を得られなかった個体は滅び去……らない。滅び去らないし、滅び去れない。もし幸福を得られなかった個体が滅びに見舞われようものならば、「社会」がその個体を引っ張りあげてぐるぐる巻きにし、見よこれが幸福であるとばかりに申し訳程度の金や物資や休暇を渡しては、「この世にまだ幸福はある、いいね?」と脅迫し、幸福を得られなかった個体が首を縦に振るまで決して解放しない。それが人間界である。幸福を得た個体による「幸福お裾分けごっこ」は死ぬまで続く。こちとら遊びで滅びかけてるわけじゃない。

「あいつ何やってんだ?」「さあ……」

とはいえ、その「幸福お裾分けごっこ」によって生きながらえた者がやがて幸福を得た個体となり、満足して環境に適応していく場合も多々ある。それに滅びは一瞬とはいえ非常に苦しいものであるわけだし。滅びという強火で一気に焼き上がるのと、形ばかりの幸福という弱火でトロトロ煮込まれるのとどちらがマシかというのは個々人の好みによる。ところで、こうして幸福をお裾分けしてやった個体がこの世の素晴らしいものたちに背を向け、この世には無いものたちを追い求め始めたら、幸福を得た個体はどんな顔をするだろうか。我々が熱意を込めてこの世の幸福を説いた結果として奴は確かに首を縦に振った、にも関わらず奴は今や意味の分からんものにばかり時間と労力を費やしている、我々の努力をあっさりと無駄にしおって、ゆるせん、となるだろうか。この世に無いものを追い求めたいという意思が本当にあるかどうかは置いておいて、幸福を得た個体の呆気に取られた表情を拝めるのであれば、そういう選択も悪くないと思う。

この世のやり方は少し難しいように思えます

この世に生まれたからには、大抵の人が、この世にあるものをやりくりし、この世のやり方で生きていく。しかし中にはこの世にあるものをやりくり出来ない人や、この世のやり方が合わない人がいるということを、この世の造り主は想定出来なかったのだろうか。「この世」が産声を上げたとき、いずれこの世に在りながらこの世の幸福を追えなくなった生き物が生じると予想して、そんな彼らでもこの世に在りながらこの世のものではないものを追い求めてある種の充足感を得る、そういう生き方をもっと沢山、あらかじめ用意しておいて欲しかった。この世に生まれたらこの世のやり方でやらなきゃならないといつ誰が決めたのだろう。神様か。そうか。そういう生き方は私の知る限りだと哲学か宗教(ただし「哲学」と「宗教」 それ自体・・・・ はこの世にあるものである)くらいしか無いが、これからもっと種類が増えていけばいいのにと思う。今ここにない選択肢は、今ここにないからして、現在の我々では頭に思い浮かべることすら出来ない概念なのだろう。「宗教」という概念が全く無かった頃の「宗教」という存在のように。そんな概念を、いつか誰かが形にして、言葉にして、この世にそっと浮かべてくれたらなあ。「そうそう私この世のやり方やめることにしたんだ」「そうなの?寂しくなるね。まあ、██████が上手くいかなかったらまたこの世のやり方に戻っておいでよ」「そうする」くらいの軽さで、この世のやり方とそうではないやり方を行き来出来るようになったら良いのに。一部の人達はそれを現実逃避と言って笑うだろう。笑わせておけばいい。私が現実から逃げたのではなく、現実から私が逃げたのだ。

 

……ん?

 

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