珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

多分その辺に落っこちてる自分と調和する試みについての覚書|Q.「良い」って何ですか?-A.「良い」ということです

わんわんお

散歩中の犬が電柱の根元やらそのへんの地面で立ち止まってもぞもぞしているのを手持ち無沙汰に眺めている飼い主のおっさん、という絵面はカワイイ。いや決して飼い主のおっさんがカワイイのではなくて、実際カワイイのは犬の方なのだが、カワイイ犬を持て余しているおっさんのだらしない後ろ姿もまたカワイイように見えるから不思議なものである。直観的にカワイイ光景に出くわした時、「カワイイのは犬、おっさんはカワイイではない、おっさんのスウェットもカワイイではない、でもおっさんのスリッパはちょっとカワイイ」と要素要素に分割する行為はナンセンスである。それよりも「カワイイ主体とそんな主体の影響を受けてぼんやりとカワイイを帯びている全体」としてまるっと眺めた方が、見ている側にも見られている側にも実にお得なことだと思う。何言ってんだ?

頭の中が抽象的なことでいっぱいなので抽象的なことを含まない記事を書くのがなかなか難しくなってきている

良いものは周囲に良い影響を拡散する。中心にあるものがさほど良いものではなかったとしても、周囲に良いものがあれば中心にあるものも幾分か良く見える。だから人は良いものを自分の周りにかき集めるのだ。自分それ自体を良くするのは難しいから。とはいえ自分の周りにある良いもののお陰で自分が良く見えているということを忘れ、あたかもそれが自分の本質とばかりに誇示する人間は、大抵ロクなことにならない。かといって、周りにある良いものと中心にいる人間を完全に分けて考えてしまうのもそれはそれでつまらない。えーとつまり……調和。中心と周囲との調和が大事。先程述べたカワイイ犬とくたびれたおっさんのような絶妙な調和。ウン。しかしだね、どこぞの限界フリーターのように、この世の良いもの…… 良いモノ・・・・ たちとの調和を軒並み諦めてしまった人間は一体何を自分の周りに集めればよいのかね。肉体を着飾る気にもならないし、生活を着飾る気にもならないし、人生を着飾る気にもならないし、ファッション、ライフスタイル、エンターテインメント、テクノロジー……そういうのに半ばうんざりしている、もっと平たく言えば物欲と娯楽欲と向上心が死んでしまった人間は、これから先自分の周りに何を集めながら生きていけばよいのだろうか。そもそも良いモノだろうが悪いモノだろうがとにかく自分の周りに何かがあること自体が煩わしいわけで、そうなるともう目に見えないものを集めて目に見えないものと調和するしか手立てが無いわけだけれども……はて、目に見えないものと調和するにはどうすればいいんだ?そもそも私の言っている「目に見えないもの」って一体何だ?どうして私には私の頭の中にある私の考えが分からないんだ?コイツさっきから何言ってんだ?

ウワッポエムだ!逃げろ!

自分があまりにも混乱していて気の毒なので、適当な答えを与えてやろうと思う。「目に見えないもの」は、そう……「自分」とかで良いんじゃなかろうか。自分に良い影響を与える「良い自分」が欲しい。中心の自分と調和できる「良い自分」が。自分と「良い服」が調和したら「良い服を着た自分」になるように、自分と「良い自分」が調和して「良い自分を着た自分」になってほしい。当然「良い自分」がその辺にころころ転がってたら最初から苦労はしないのだけれど、そもそもアレはいつだか自分が落としたものではなくて?何故私はあんなに大切なものを落としたまま平気で生きてきたのだろう。腕を落としたことに気づかず歩き続ける人なんかいやしないのに、心を落としたことに気づかず歩き続ける人のなんと多いことか。エート、つまり、どっかに落としてきた「良い自分」を拾いに行く旅を始めるところからやりましょうということですね。悪しき人、病める人、その他有象無象共、皆どこかに何か落としてるから。

ボロ株~ボロ株いらんかね~

自分を良くしようとキリキリ努めるよりも、どっかに落としてきた「良い自分」を探して拾って足の裏にでもくっつけておけば後は放っておいても勝手に自分が良くなっていく、そちらの方が気楽でよかろう。そういうシステムがあれば。あればね。「良い自分」というのは純粋だった頃の自分という意味でもいいし、全盛期の自分という意味でもいいし、頑張っていた頃の自分という意味でもいいし、些か酷な言い方をすれば今の自分より値打ちのある自分ということになる。今の自分より値打ちのある自分ってあまり見たくない。暴落した株券を片手にウハウハだった頃の株価を眺めているようなものだから。値打ちのある自分からすれば、値下がりした自分なんてもっと見たくないだろうけど。値下がりした自分と値打ちのある自分が調和出来れば、色々なものが少しだけ息を吹き返すだろう。

みんな読書術が大好きなんだから

この記事は本来、全く別のテーマで書くつもりだった。昨日のうちに導入とオチだけ用意して出勤し、帰ってきたらこの有様である。というのもここ最近あまりにもぼんやりとした記事ばかり書いていたので、中身があるかどうかはともかく少しでも具体性のある――例えば「全く役に立たない読書術」――なんぞをテーマにしようと思っていたのだけれど、予想外な所に着地してしまって、もう何が何やら。次回、白黒先生の「全く役に立たない読書術」、乞うご期待。

 

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