珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

あらゆる決断を駄目にするものについての覚書|ここらでしょうもないひとりごとをひとつ

抽象的な導入として申し分ない

思考がいつも抽象的な範囲に留まってるもんで、そこから出る結論も抽象的な範囲から抜け出せず、何ら実生活の助けにならない抽象的なアイデアばかりが自分の周りに転がっているわけだけれども、そのことと私の人生の質とを比較検討するに、人生に意義を持たせるためには日頃からもっと具体的なことを考え、具体的なひと塊の結論を出し、人生に活かせる具体的なアイデアを生んだり生まなかったりする必要があるのだなあ、と思いました まる

 

修正が利く決断は決断として破綻しているような

抽象の魔の手から抜け出せないことが、人生の大事な場面にまで及ぶのなら、それは会社の命運を賭けた新商品の企画会議で「いいものを作りましょう」と言うのと同じようなものだ。もしそこに出席しているのが全員自分であれば、「素晴らしいアイデアだ!いいものを作ろう!」「我々はいいものを作ることにしましょう!」「社運を賭けた新商品はズバリ『いいもの』に決定!」と口々に賛同してくれることだろう。とりあえず今の時点では「いいものを作る」ということだけ決めておいて、具体的な中身については未来の自分に委ねることにする。自身の決断にいつも解釈や変更の余地を残しておくのは極めて賢明な判断だが、数ある賢明な判断の中では最も愚かな判断であろう。「それはそういう意味で言ったんじゃない」とか「あれはやっぱりこういうことにしておこう」とか、かつての考えにその場しのぎの修正を加えて、過去の決定を現在の自分に都合のいいようにしたって、不整合の砂地獄に飲まれてしまうことは必至であろうに。それもまた、未来の自分に修正されてしまうのだろうが。

 

具体性の中心にはブラックホールがあるんだろう

さて、ここまで言ったからには、私は今回の記事をもっと具体性のあるものに昇華する義務がある。①「具体的なことを考える」とは具体的にどういうことか。②「具体的なひと塊の結論」とは具体的にどういうものか。③「人生に活かせる具体的なアイデアを生んだり生まなかったりする」には具体的にどうすればよいのか。そう、何か実地の内容を当てはめて考える前に、「具体的とは具体的に何か」という根本の問題に挑まねばならぬ。具体的ってのはほら、内容がしっかり詰まっていて、輪郭もぼんやりしておらず、何かこう……普通名詞、固有名詞、数名詞などで呼ばれるものを大いに含んでおり、要素に関連した特定の図像を脳裏に描くことが容易い、前歯で噛むと中身がブッチュゥと飛び出す中身たっぷりのごま蜜団子みたいなアレ……

 

隠し味:抽象的なもの

ところで私のようにずる賢い弱虫は、決断が失敗に終わる終わらない以前の問題として、自分の決断がこの先自分自身を苦しめる可能性を極度に恐れる(自分で決断したにも関わらず!)が故に、決断にこっそり抽象的なものを含ませておくのであるが、それは決断そのものにとって腫瘍以外の何者でもなく、私が抽象的なもののお陰で苦痛を減らしている傍ら、決断そのものは抽象的なもののせいで苦痛を増やしているのである。決断の内部に仕込まれた抽象的な部分にあれやこれやとメスを入れて現状に合うよう修正するのも、決断の側からすれば麻酔なしで体中を弄り回されているようなもので、実にお気の毒。ウッ、また話が抽象の側に戻ってきた。具体的に、「具体的とは具体的に何か」、であった。そうそう。まあ、それは次の記事で考えることにしよう。いや次以降の記事で、今度の記事で、まあまあいつかの記事で、考えることにしよう。

 

ひとりごとおわり

抽象的なものにおんぶにだっこで生きてきたのなら、具体性のリハビリが必要になる。かの自分が抱いたところの決断に、5W1Hと、鮮やかなイメージと、詳細な数字を小数点までしっかりと食ませて、修正の余地が一切なくなるまでキリキリ締め上げてから、耐爆金庫に放り込んでおくことにする。左手に握った猫じゃらしを右手で追いかけるような決断の仕方は卒業しよう。行動であれば、何歳何ヶ月何日までに・何を・どうやって、お金であれば、いつまでに・いくら・それこそ必要ならば1円単位まで・何のために、それこそこの窮屈な決断が愉しみに変わるまで。目下の決断は、マイナポイントの申し込みを、12日の24時までに、某コンビニ某店のマルチコピー機にて。対象はクレジットカード。今夜のバイトの休憩時間に申込方法を調べて完璧に把握しておく。ブックマークとイメトレを忘れない。以上。

 

追記:楽天カードのマイナポイント申込はアプリからしか出来ないらしい。

 

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