珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

中身がさっぱりまとまらないのでやけくそで放り投げる覚書(旧題:もののヨシアシについての覚書)|¯\_(ツ)_/¯

良い記事に出会ったので当初書く筈だった内容を変更してお送りします ここの部分だけ話が浮いているのをどうにかする どうにもならなかったよ……

 読んでいてヒウッとなったブログ記事があったので埋込みで載せようかと思ったが、少し迷って、やめた。その記事とは超ざっくり言って「文章」についてであり、そのヒウッは、共感と恐れのヒウッである。わかりみの深いネガティブな意見に対して「自分のことかな?」と感じる時のあのヒウッである。或いは、「どこがダメなのか改善するから正直に言って欲しい」と相手に懇願したとして、「上手く言えないけどダメとしか言い様がない」とか「改善の見込みが無いから言わない」とか「生理的にダメ」と返されて撃沈した時のようなヒウッである。現実でそこまで酷い経験をしたことは無いが、まとめると、「自分の中の容易に変えようのない性質について正論で礼儀正しく否定され(たような気がし)て言葉に詰まった」のだ。例えば、誰かから「私はあなたの字を好ましく思いません。何故なら、丸っこくてぐりぐりしていて読みづらく、多くの人が目を通す重要な書類には適さないように思われるからです。加えて致命的なことに、ツとシの区別が付きません」などと言われたら、返答に困るだろう。ご尤もだが、いやね、ほら、字なんてそんな一朝一夕変えられるものでもないし……え?改善の努力をする前からそんなことを言うのかって?あっはい……すみません……

 

[ここに何か]

ここに何か書こうとして挫折したので白紙

 

話は変わりますが 変わってないよ 変わってるよ お前が変わってるよ

例えば書いたものを公開するということは、書いていて楽しかったという「喜び」、良いものが書けたという「満足」、百点ではないがまあこれでええやろという「妥協」など、大なり小なり書いたものに対する「ヨシ!」という感情が付随するわけだ。しかし当然、書き手が「ヨシ!」としたものに「アシ!」と思う人もいる。内容自体に同意できない、提示してある根拠がおかしい、内容はさておきめちゃくちゃ改行してあって読みづらい、日本語が下手くそ、雰囲気が好みじゃない、よくわからんが書き方がウザい、書き手が嫌い、等々。どんな食べ物にも嫌いな人がいるように、どんな書き手にもアンチはいるのだ。アンチという言葉がひとりで国道を逆向きに暴走しているような昨今、単純にアンチと言うと語弊があるかもしれないが、要は「アシ!」を突きつける人ということである。ブログという場にささやかな日常を書き記したとて、壮大な思想について書き記したとて、「アシ!」という人は探せば必ずいる。自分の「ヨシ!」は誰かの「アシ!」、自分の「アシ!」は誰かの「ヨシ!」である。今更私なんぞが声を大にして言うまでもないのだが、ええと、つまりなんだ、「アシ!」から収穫できそうな有益な部分は取っておいて、その上で身に余る「アシ!」は強制力の伴わない「うーん、没!」くらいに思っておけばいいのだ。アチャー、没ですか。しかしね、この原稿を没にしたらね、私は締め切りに間に合わんのですわ。私とてほら、小さい子供を大勢養わんといかんのでして。子供の名前は自意識と、矜持と、自己満足と、自己顕示欲と、承認欲求いいます。今回は堪忍してくださいよ。

 

わたしトマト  マックで聞いた女子高生とトマトの会話 余談

他人がとある食べ物に対して「アシ!」を突きつけていてもそこから大きな諍いに発展することはそうそう無い(きのこたけのこ戦争を除く)。しかしそれが、とある食べ物に対してではなくとある食べ物を好む 性質・・ に対して「アシ!」を突きつけているとなると、話は変わってくる。前者が「私トマト嫌いなんだよね」であるならば、後者は「私トマトを好んで食うような奴が嫌いなんだよね」である。ブォ~ブォ~戦じゃ戦じゃであえであえ。どうしてもアシと申したいことがあるならば、可能な限り性質ではなく、物質の方へ。「この文章は碌でもねえな」と「こんな文章を書くような奴は碌でもねえな(碌でもねえ奴がこの文章書いてんだろうな)」では、みずでっぽうとハイドロポンプくらい威力が違うのだから。とはいえ普通の人は、自分の発想や発言に対していちいち「ムムッ、これはこの世の誰かの性質の否定ではないだろうか」などと考えたりしない。世界平和を速やかに達成しようと思ったら、世界中の人々が団結して好きな食べ物の話だけしていればいい。将来、「私人間嫌いなんだよね」「えーっ人間面白いじゃん」という世紀末な会話が横行しないよう、祈るばかりである。

 

「何言ってるかよく分からない文章」がお好みの方は「珈琲三杯」ってブログを購読するといいですよ!

実はこの記事、死ぬほど書き直してこねくり回しているのだがなんかもう、支離滅裂で話の前後が全く繋がらなくてイライラしてきたしもう眠いしお手上げだ。これが私の限界だ。自分でも何を言っているのかよく分からないのはいつものことなのだから、それでヨシとしよう。何を言っているのかよく分からない文章を書きがちというのが「自分の中の容易に変えようのない性質」であるからして、よっぽど改めようという気が起きない限り、いくら「アシ!」を突きつけられようとも、死ぬまでこんな感じの文章を書き続けるのだろう。まあ……ウン……それもそれでヨシだ。ぜんぜんわからない。私は雰囲気でブログを書いている。明日以降の私はきっとうまくやるでしょう。おーい誰か助けてくれー。

 

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