珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

「今」「現在」という深刻な病についての覚書|お薬出しときますね

ここは日記ではない、いいね?

日記は書かない。理由は以下の通り。①日記として残すに足るような出来事が起こらないため。②日記を書く際に必要な「その日の出来事を思い出す作業」が苦痛であるため。③面倒くさいため。以上。となると、お前が今書いているブログは日記じゃないのか、という話になるのだが、まあ、多分日記ではない。いや、過去に日記っぽいことは散々書いてきたが、私が日記ではないと見苦しく言い張るので、日記ではないのだ。仮に私が日記を書くならば、靴下を選ぼうとしたら片方しかない靴下が4種類洗濯ハンガーにぶら下がっているのを見て絶望したとか、そういうことしか書く事がない。その後箪笥を漁ったら更に別の柄の靴下が片方だけ出てきた。それはさておき、実際には日記を書くときに無理してその日のことを思い出しながら記録する必要は無く、日記帳を開いたタイミングでぼんやり考えたことを、リアルタイムでつらつら書いても良いのである。だから「今」のことを書けばいい。そうだ「今」「今」について書こう。……「今」「今」ってなんだ?「今」くしゃみが「出た」ことについて書くか?それは「今」ではなく過去ではないか?「今」コーヒーを「飲む」ことについて書くか?ちなみに現時点ではカップを傾けただけでコーヒーはまだ口に入って来ていないのだが、それは「今」ではなく未来ではないか?また、口に入ったコーヒーをゴクリとやった時点でそれは「飲んだ」になり、やっぱり過去になりはしないか?「今」ってなんだ?結局日記には過去か未来しか書けないのだな。どっちについても考えたくないので、やっぱり日記は書かない。

 

現在の100兆円は1秒後の100兆ジンバブエドル

人がぼんやり何かを考えているとき、現実について考えているか、虚構について考えているかのどちらかである。それ以外が存在するとすれば、恐らくは一般人が触れたらSAN値が削れるような何かに違いないのでそっとしておこう。仮に現実について考えている場合、それは過去について考えているか、現在について考えているか、未来について考えているかのいずれかである。それ以外が存在するとすれば、恐らくは一般人が触れたらSAN値が削れるような何かに違いないのでそっとしておこう。もう少し細分化するにしても、「プラスの未来」「マイナスの未来」「プラスの過去」「マイナスの過去」程度の簡単な分類で差し支えなかろう。日頃から「プラスの未来」について考える割合が多く、尚且つそれに相応しいだけの財や才を持ち合わせている人が、この世においては幸せな人なのだろうな。ところで「プラスの現在」や「マイナスの現在」は無いのかって、時間軸上のある時点をプラスとしたりマイナスとする基準それ自体が現在なのであって、現在を基準にして現在を測ってもどうしようもないわけだし、私個人としては、現在にプラスもマイナスも無い。強いて言うならば「プラスマイナスゼロの現在」がある。現在の価値を現在を基準にして測るなんて、30cmものさしに30cmものさしを当てて、「ウーム、これは30cm」と言うようなものではなかろうか。

 

船は2隻あったし自分も2人いた

ところで、前段落において「過去について考えているか、現在について考えているか、未来について考えているかのいずれか」とは言ったものの、現在について考えるのは意外と難しい。もし私が今この瞬間から現在についてのみ考えようとするならば、「パソコンに向かってブログを書いている状態」についてのみ考え続けなければならない。……えーと、「パソコンに向かってブログを書いている状態」について考える以外に思考を許されない状態で、どうやってブログを書けばいいんだろう。そうなると、「パソコンに向かってブログを書いている状態」について考えている自分とは別に、「パソコンに向かってブログを書いている」自分が必要になってくる。もちろん、 全く同じ自分であるところの別の自分・・・・・・・・・・・・・・・・・ が、である。つまり、動作を行う自分と思考を行う自分がいて、間違いなく自分は『2人』いるのだが、その自分は物質的にも時間的にも空間的にも完璧に同一存在であり、傍から見れば明らかに『1人』であるにも関わらず、実際のところは『2人』いるのである。横断歩道を右見て左見てまた右見て渡って轢かれるみたいな感じですね。頭が沸騰してきたのでこの話はここで止めます。

 

今日は給料日だけど今現在も給料日なのかな

 バイト中にぼんやり考えていた時間についてのネタ出しはこれで終わり。今更の補足になるが、私は「今」や「現在」を「瞬間=点」として見ており、それを前提で書いた。もちろんこれを円として見る人もいれば、帯として見る人もいれば、四角い平面として見る人もいるだろう。そういう視点で考えてみるのも面白そうだ。ところで、「今」とか「現在」ってのは「過去」や「未来」より遥かに難しい。「今」のことばかり見ていたらどこにもない(本当にどこ探したってない)「今」を求めて延々走り続けることになるし、「現在」のことばかり見ていたら身動きが一切取れなくなってもう1人自分を用意しなきゃいけない羽目になるし、散々だ。時間なんてもの、一体誰が考えたんだろう。時間は健康に悪い。「今」「現在」という深刻な病。

 

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