珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

自己省察と他者観察から考える世にも奇妙なCEOについての覚書|コミュニケーション・エゴイズム・オタク

勝ち組三種の神器 ①コミュ力②実家の太さ③顔の良さ

弱者を表す言葉のバリエーションが増える、それ即ち弱者の多様化を意味する。コロナの影響で変化しつつあるとはいえ、まだまだコミュニケーション(能力)至上主義と言っても過言ではない現代において、コミュニケーション弱者は残酷にもそれ相応に損をしたり、軽んじられたり、疎まれたり、人生ハードモードになったりする。いや違うな。損をしていると 感じたり・・・・ 、軽んじられていると 感じたり・・・・ 、疎まれていると 感じたり・・・・ 、人生ハードモードになったと 感じたり・・・・ する。ネクラ、コミュ障、陰キャ、その他色々あるんだろうが、つまり、世の中の求めに対応しきれない人間を揶揄していると考えてよろしいか。ウーン、これは全くの当てずっぽうだが、「コミュ障」という言葉が世に普及した時期こそがコミュニケーション(能力)至上主義が確立した時期なんだろうなあ。いや知らんけど。

 

あの頃の残酷な「オタク」文化には戻りたくないね

ざっと調べた限りだと、「ネクラ」は1980年代の流行語、「コミュ障」が2010年頃成立したネットスラング陰キャは2015年頃から爆発的に普及した……らしい。「ネクラ」と「コミュ障」の間が開きすぎているのでここに何か欲しい。まあ……強いて言うなら「オタク」だろう。ただし、あくまでネガティブワードとしての「オタク」なので誤解しないでほしい。「オタク」が本来の意味から離れて完全なるネガティブワードと化してしまった時期が00年代だったような気がする。「ネクラ」→(「オタク」→)「コミュ障」→「陰キャ」という言葉の流れを見るに、「性格の明暗」→(「?」→)「コミュニケーション能力の有無」→「性格の明暗」と、人を貶すポイントが再び性格の明暗に戻ってきたところが興味深い。「オタク」は一言では表しづらい。ネガティブワードとしての「オタク」はアニメや漫画が好きか否かということはほとんど問題にならなかった。なんだろうな、異質・異様な人に対する一般ピープルからの生理的嫌悪がマッハだった時期というか、極端な清潔感崇拝極端な不潔感排斥というか、ほら、そういうのがあったじゃない?あの頃はそういうのがあったじゃない?覚えてない? たった・・・ 十数年前の話ですよ!

 

まさかとは思うんですが白黒さんもしかしてあなた自分のことを「疎まれないタイプのコミュ障」だと思ってませんか?

「ネクラ」や「オタク」や「陰キャ」はどうか知らんが、「コミュ障」は細かく分類すればどこまでも掘り下げて行けそうなところが興味をそそる。いやほら、自分のことだからね、分析しやすいんですよね。ざっくり2つに分けるにしても色々なやり方があるわけだが、手始めに「疎まれるコミュ障」「疎まれないコミュ障」としてみよう。ど、どうしてそんな残酷なことをするんですか?私は後者でありたい。死んでも後者でありたい。「疎まれない」というのは、「わりと人に好かれている」から「そもそも人々の関心の対象にすらならない」まで幅広く含む。「疎まれないコミュ障」は大抵、コミュニケーションにおいて毎度毎度バカ丁寧に策を尽くして失敗したと思い込んだりたまにうまくいったと思い込んでいる人である。そしてコミュニケーションの拙さに悩んで最終的に病み出すのもこの人たちである。この人たちは必死になればなるほど何を言ってるのか分からない場合が多いが、それでも頑張っているのでがんばったで賞は貰える。そのがんばったで賞というのが、「面白くないけど悪いやつではない」という最低限にして最高の勲章である。中身のない努力も報われるんですね。というかよくよく考えなくとも、コミュニケーションにめちゃくちゃ気を遣っている人がめちゃくちゃな失敗をすることの方が難しいのではなかろうか。しかしながら、彼らにとってのコミュニケーションは成功以外は失敗である。相手が嫌な顔をしたら失敗ではなく、相手が嬉しそうな顔をしなかったら失敗なのだ。万が一、めちゃくちゃ気を遣ったコミュニケーションの結果として相手から嫌な顔なんかされようものなら彼らはその場で天に召されることだろう。

 

恐ろしいことに「日頃の観察」で得た仮説なんだよなあ

これは日頃の観察で得た仮説なのだが、本人は特に悪いやつでもないのに何故か疎まれるタイプのコミュ障、「咄嗟に三文字でリアクション出来ないやつ」が多い説。咄嗟に三文字でリアクションとは、それはアハハでもウワッでもエエッでもアララでもウソォでもマジデでもウケルでもクハハでもヤハハでもヨホホでも何だっていいし、別に三文字こだわらなくたっていいのだが、とにかく、文章に起こしたらこんな感じになる声を全然出さない奴だ。例を挙げよう。家から会社まで便所スリッパのままで出社してきたやつがいたとする。便所スリッパの当人は気づくやいなや「やっちまった!スーツに便所スリッパで会社来ちまった!電車にも乗ったのに!」と叫ぶ。そこで「アハハ……」と返せるのが「咄嗟に三文字でリアクション出来るやつ」で、「はあ……」以上のリアクションが出なかったりトンチンカンなことを言い出すやつが「咄嗟に三文字でリアクション出来ないやつ」だ。「(どう反応すればいいか分からんけどとりあえずリアクションしておこう)アハハ……」と、「(どう反応すればいいか分からん)はあ……」の違いである。「アハハ……」は出来る、ただしそれ以上は出来ない、というタイプの人間が「会話下手型コミュ障」に分類される。一方、「アハハ……」が出来ない、そこまでの発想に至らないタイプの人間が……ええと……あの……ここは穏便に「”コミュ障”」とでもしておこう、「”コミュ障”型コミュ障」なのだ。何言ってんだ?人のコミュニケーションは反応のドッジボール キャッチボールで出来ているもんだから、投げられたボールを受け止めてそのまま棒立ちの人間は取り扱いに困るのだ。しかしながら当人に悪気は全くない。全くないのだが、いや全くないが故に、周囲は「なんだこいつ……」となる。蛇足だが、特別親しい間柄でもないのに「アハハ!馬鹿ですね!なんで気付かなかったんですか?目玉ついてないんですか?あっでも足の裏にウンコはついてそうですね!アハハ!」などと言って咄嗟に三文字でリアクションし過ぎてしまう人間も、また「”コミュ障”型コミュ障」であることは言うまでもない。

 

私は弱虫な迎合者だから人間社会でなるべく有利に生きたいよ

 念のため反論の先回りをしておこう。便所スリッパで出勤の何が愉快なのか分からなかった、リアクションを返す必要をさっぱり感じなかった、だから「はあ……」と返した、そこに何の問題があるのか、ということである。結論から言うと、何一つ問題は無い。相手の足元を一瞥して「はあ……」で終わらそうが、ガン無視しようが、それが当人の納得と満足を伴う(※)選択で、判断なら、何ら問題は無い。こういうことを積み重ねていけば将来もしかすると対人関係等で不利益を被るかもしれないが、当人の承知の上であれば、それでいいのだ。以上。とはいえ、個人的に言わせてもらうと、犬も歩けば人に当たるような世の中で、「アハハ」と言って回避できる不利益があるなら、私はいくらでも「アハハ」と言うんだけどなあ、という所感。

※「うまくやりたくてもどうしてもやることが出来ない」=「いつも自分の納得と満足を引き出せなくて苦しい」人もいますからね

 

時々「オイなんか言えやコラ」って言いそうになるけど自分でも気づかないうちにもう言ってる可能性がある

私は時たまの雑談を挟みつつ和気藹々と働けたらそれに越したことはないと思っている。決してペラペラ喋りたいわけではないが、客足が落ち着いたタイミングなどで、バイトの大学生から大学生活の話を聞いたり、しょーもない噂話で盛り上がったり、他愛もない世間話をして、労働の苦痛を紛らわすのが好きだ。というかそうやって苦痛を紛らわさないとやってられないではないか。8時間黙々と接客業なんて気が狂ってしまう。こちらが「暑いよ~」と言ったら「アハハ、動き回ってたら暑いですよね」と返してくれてそれで終わり、あるいはその逆、だたそれだけで良いのだけれど……、ここまで書いて、いや書いている途中で思い当たって、それでも頭を振って必死にここまで書いてきたが、これはまさしく私のエゴだ。不愉快だろうか?無駄口だろうか?迷惑だろうか?私は一緒に入っているシフトの人に「今日も蒸し暑いですね~」って、言ってもいいのだろうか?相手に対して「今日も蒸し暑いですね~」と言うのは勝手だが、相手からの返答を期待することは罪だろうか?他の人なら罪ではないが、私が言う場合は罪かもしれない。ああそうそう、一方で、あー、なんだ、バイト先にですね、本人は特に悪いやつではないのだが、えー、文章で表現し難いほど暗くて、そりゃもう、ええ、夜が逃げ出すレベルで暗くて、排水口の奥の暗闇とどっこいどっこいじゃないかって、なんも喋らんしほんとおもんない人がいるんだが、あー、お前さん口と耳は飾りなのかって、あー、何言ってもアーとかハー以外何も返しやしねえ、あーあー、ちょっと最近あの、本人には悪いけどあー、私ちょっとあの、彼と2人で8時間働くのほんとしんどいわって、ただこのことを愚痴りたいがために3800字書きました。いやあ長い前フリでしたね。

 

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