珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

国語が苦手そうなチョコレートについての覚書|声に出して読みたいブログになりたい

ゴツゴツのアハン

気まぐれで買った板チョコのパッケージに「しっとりとした甘さ」と書いてあったのだが、「しっとり」は食感を表す言葉であって、「甘さ」に直接かかるのはおかしいのでは?ということを考えていたらチョコレートが丸々1枚無くなっていた。おかしいな。例えば辛くてパリパリのスナック菓子のパッケージに「パリパリとした辛さのピリピリ食感スナック」とか書いてあったら三度見すると思う。「パリパリ」は食感を表す言葉なので、「辛さ」に直接かかるのはおかしい。「ピリピリ」は味を表す言葉なので、「食感」に直接かかるのはおかしい。おかしいのは私の感覚の方なのか?

※やっぱり私の感覚がおかしいのでは?と不安になったので追記:例えば「しっとりとした人」(という使い方が実際にあるかは分からんが)と言った場合、優雅で落ち着いていて、少し艶っぽいというか、そういう人物を連想するだろう。「しっとりとした甘さ」における「しっとり」が、水分を多く含み柔らかいという意味ではなく、「しっとりとした人」の場合のような比喩的な意味合いで使われていたのなら、優雅で落ち着いた甘さという意味になり、使い方としては間違ってはいないことになる。

 

国語の文法問題に強い人は文章が面白い説

文章のセンスというものは、言葉選びのセンスよりもむしろ文法のセンスにあるような気がしてきた。極端な例を挙げれば、文章の、中の、読点が、やたらと、多かったり、文章を読むのを続けるのを躊躇する気を起こすような同じ助詞の連続であったり、青いシャツを着た猫を撫でている娘と犬がぬいぐるみで遊んでいるのを眺めているスマートフォンを持ったうさぎ好きの読者を混乱に陥れるような文節であったり、テンポ悪っ。みたいな?まあ。奇才といえば、聞こえはいいかもしれないが脳内再生するのに、支障がね。出たり出なかったり~~!、そういう文章を書く人は明らかに文法のセンスが不足している。ちなみに3番目の文章は「青いシャツでスマートフォンを持った、うさぎ好きの読者が、娘と犬がぬいぐるみで遊んでいるのを眺めながら、猫を撫でている」が正解。とはいえ「青いシャツを着た猫、を撫でている娘と、犬がぬいぐるみで遊んでいる、のを眺めているスマートフォンを持ったうさぎ、が好きな読者」でも、それはそれで愉快。

 

乗るしかないこのビッグウェーブ

 当ブログの記事には読点を5つも6つも用いたやたらめったら長い一文が頻繁に出没するが、あれはその、なんだ、執筆途中で不規則にやって来る文章のリズムのビッグウェーブに上手いこと乗れるとああなる。この人あれだけ大口叩いておいて「の」って連続で言ってますよ。那珂ちゃんのファンやめます。しかしどんなに頭を捻っても「文章のリズムのビッグウェーブ以外に上手い書き方が見つからないので許して欲しい。記事を書いていると「アッこれリズムに乗れるぞ!」というタイミングが不意にやって来るのだ。即興セッションで「今なら乗れるぞ!」と感じた時のアレに似てるのではないだろうか。知らんけど。文章を書いている途中にそういう波が来た時は、本来予定していた文章の展開を変更してでもその波に乗るべきだと思うし、むしろある程度の文章量がありながらその中で1度も波に乗れなかったのなら、良くも悪くも安全な文章となる。そうやって私は幾つもの予定された文章を棄ててきた。きのこについて書き始めたのに気づけばたけのこを賛美していた、このブログにはそういう記事ばかりだ。貧乏性なので、棄てられたきのこは「ごみばこ」と称した下書きに保存してある。いつか塩振って炒めてやろう。

 

最近1段落あたりの文章量多いなあ

ここしばらく長い記事ばっかり書いてたから今日はこの辺でやめとこ

 

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