珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

幸福な制度についての覚書|最初の「死体」の上に幸福を積み上げること

とある善良な男の話

むかしむかし、あるところに、他人に誇れるような才や財は何一つ持っていないが、良識と自制心と優しさだけは並の人より遥かに多く持っていると自負している男がいた。彼は非常識な人間と、自制が利かない人間と、争いを好む人間と、その他諸々のクソみてえな人間が、この世に大勢いることをいつも憂い、心を痛めていた。息を吸うように人を傷つけたり、人に迷惑をかけたり、人を騙したり、良識や自制心を雀の涙ほども持ってないと思われるような人々の話題を目にする度に、こう呟くのだ。「このように世界には、いや自分の身の回りだけを見渡しても、つまらぬ主義主張や、錆び付いた富や、腐った権力や、一時の気の迷いや、低俗な誘惑や、惚れた腫れごときのために、世の秩序を乱しておいて、それでいてなんとも思わない人間が大勢いるのだ。そしてそんな連中のために、本来幸福を享受して然るべき善良な人々が不利益を被っている」。「もし世界中の人々が自分のように良識や自制心や優しさを持っていたら、今頃は皆が幸福だったろうなあ」。「世界がもし自分だけ・・・・ の村だったら」 全人類・・・ は、幸福だ!」

 

ただ1人を救えなかった話

人を不快にさせることが得意なフレンズは、人を不快にさせることが得意なフレンズ同士で不快にさせ合っていてほしい。これが私の切実な願いである。理不尽なクレームを善良なオペレーターに向かって投げつけるのではなく、理不尽なクレーマー相手に投げつけて欲しい。そしてお互い、理不尽なクレーマー同士で永遠にいがみ合っていて欲しい。……いや待てよ。最初に理不尽なクレームを投げつける相手の「理不尽なクレーマー」は、当然過去に誰かに向かって理不尽なクレームを投げつけた経験のある人物でなければならない。では、過去に彼は一体誰に向かって理不尽なクレームを投げつけたのだろうか。そこで善良なオペレーターに向かって投げつけることは私が許さない。理不尽なクレーマー以外の誰かに投げつけることは絶対に許さない。では、「理不尽なクレーマー」に投げつけるしかあるまい。……こうやって考えていくと、人類最初の理不尽なクレーマーは、どうやったって善良なオペレーターに向かってクレームを投げつけるしかないではないか。善良なオペレーターに向かって支離滅裂な罵詈雑言を投げつけるからこそ、「理不尽な」と呼ばれるのであるから。「理不尽なクレームは、同族たる『理不尽なクレーマー』相手に投げつけるべし。善良なオペレーターに投げつけるべからず」という制度によって、私は大勢の善良なオペレーターを救った。たった1人を除いて。私は最も古い時代の、たった1人の善良なオペレーターを救えなかった。

 

幸福な制度の話

幸福な制度の始まるところには、最初の被害者の死体が埋まっているらしい。例えばどこぞの誰かが幸福ならぬことに襲われて、それを見聞した人々が「このままでは我々にも幸福ならぬことが降りかかる恐れがある、そうならぬように幸福な制度を かなくては」という気を起こして、それでやっと幸福な制度が始まるのである。その翌日に幸福な制度が完成してからというものの、全ての人々が幸福に与ることとなった。ただ1人、最初の幸福ならぬ人だけが幸福に与れずに死んだ。この「死」は肉体的な死とは限らないし、先程言った「被害者の死体」というのも物理的な死体とは限らない。全人類の不幸に先回りして完璧に幸福な制度を予め建てることなど、地上の人間には出来っこない。最初の1人が「死んで」初めて幸福の制度が組み上げられる。全ての人々を幸福にするには、最初の1人の死が必要なのだ。「全ての人々を幸福にする」という大義のもとで幸福の制度を作り、後でこっそり最初の不幸な1人を名簿から消しておく。するとどうだろう、あたかも初めから全ての人々が幸福だったかのように見える。誰かに不幸が起こってその深刻さを大勢の人間が認識して初めて、我々は大慌てで幸福な制度の準備を始める。もしその不幸が天から与えられた不幸――例えばたまたま落雷で「死んだ」人がいて、それで皆が避雷針なるものをあちこちに設置することを考え始めるというような――ならば真の不幸と言っても良いし、誰も責めることは出来ない。だがそれが故意に他人から与えられた不幸――例えが欲しけりゃ黙ってニュースを見ればいい――ならば、その他人は幸福の制度の下に生き埋めにしちゃおうね。

 

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