珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

なんか色々なものが有ったり無かったりする覚書|いのちはつづくよどこまでも

ウオオ~~!2階席のみんな~!生きてて楽しいか~~!

私は善人ではない。故に、時々こんな邪悪なことも考える。その日の生存を維持するだけでいっぱいいっぱいの、いや、その日の生存をギリギリで維持することを 強いられている・・・・・・・ 人々の、明日の生存へ向かうためのエネルギーは一体何であるかと。回りくどければもっと邪悪な言い方をしよう。ただ生存している段階から先に進めない人々にとっての生きる楽しみとは一体何であるかと。どこぞの誰かについて、実在の馬の骨でも架空の鹿の皮でも何だっていいのだが、とにかく他人様が生きている意味について考えて差し上げることほど邪悪なものもあるまい。しかしこれは、おお神よ、純真な邪悪さに基づいた純真な好奇心なのだ。苦痛と虚無の間を反復横跳びする日々の中で、「はて、自分は一体何が楽しくて生きてるんだ?」ということを考えずにはいられない、純真な悪魔の純真な疑問を許しておくれ。

 

無い≒有る

家を出ればストレスでボロボロになり、家に帰れば虚しさでボロボロになり、休日は丸々寝ていることしか出来ず、ただただ毎日ボロボロになっていく自分を眺める段階から先に進めない自分にも、こうしてブログを書いたりとか、面白い実況動画を見るとか、ぬいぐるみに囲まれてごろごろするとか、そういったボーナスステージが与えられていて、ひと匙のボーナスを匙ごと舐めしゃぶりながら、かろうじて生きる楽しみを得ているのだ。仮にそんな私からパソコンを奪い、スマートフォンを奪い、本を奪い、ぬいぐるみを奪い、その上仕事となけなしの貯金まで奪ったならば、残った私は一体どのようにして今日を過ごすのだろう。仕事が奪われた分、労働のストレスが無くなって喜ぶ?イヤイヤ、その代わりなーんにも無いんだぞ。なーんにも。大好きなコーヒーを淹れることだって出来ないし、今の貧乏メシさえ贅沢品になって手が届かなくなるだろう。それでもなお無くなったストレスの方が喜ばしいと思われるのなら、もう今すぐにでも転職することをお勧めします。話を戻すが、そのようななーんにも無い状態に追いやられたとき、さて今日は何をしようかなとかどこへ行こうかなとか、何時間寝ようかなとか何時間起きていようかなとか、そういうことを考えることが出来る自信が無い。かといって、ストレスと虚無感てんこ盛りの状態で泥水 コーヒーを啜りながらさて今日は何をしようかなとかどこへ行こうかなとか、何時間寝ようかなとか何時間起きていようかなとか、そういうことを考える余裕があるかと言われると、まあ、これも無い。つまり私の生活、ひいては人生とは、正真正銘そこになーんにも無かろうが、ストレスや虚無感のオマケ付きハッピーセットでそこに何かが存在していようが、大した差は無いわけだ。

 

他人目線の「有る」は何の基準にもなりやしない

「現代的な苦痛こそほぼ無いが他にもなんにも無い」「現代的な苦痛こそ有るが楽しみなども色々ある」、究極の選択と言えなくもないが、現代日本社会においては多くの人が後者のやり方で生きている。前者はひとつの選択肢というよりむしろ後者のやり方からドロップアウトした人間がやむなく進む道といった方が正しかろう。労働ストレスや人間関係、出世問題といった現代的な苦痛が無いかわりに原始的?な苦痛、食べ物が無いとか、暖が無いとか、衣類や家が無いとか、そういう苦痛には晒されるわけだし。ところで噂によると、「現代的な苦痛は大いに有るが他にはなんにも無い」という地獄同然の世にも恐ろしい第三の道が存在しているらしい。正確には、「そのような道があると思い込んでいる人の頭の中に」存在しているらしい。そんな第三の道に迷い込んでしまったとある人物をよく見てみよう。彼の家にはイカした洋服がいっぱい有るし、車も持っている。最新のパソコンも有る。犬も飼っている。我々の目にはそう映る。けれども彼にとっては「なんにも無い」のだ。他人から見れば明らかに「色々有る」、けれども肝心の当人からすれば「なんにも無い」。朝は苦痛の巣窟を目指して歩き、夜は抜け殻の屋敷に向かって歩く。家に帰れば、布と、鋼板と、箱と、動くふわふわが彼を迎える。なるほど大いに有ってなんにも無い。

 

パソコンが「有る」ことに今日も感謝だね

私はパソコンを持っているのでこうやってブログを書いたり実況動画を見たりしているわけだが、もし私がパソコンを持っていることを認識出来なくなって、ただ金属製の板が2枚くっついたパカパカする物体としか思えなくなったら、そこにパソコンは「無い」のだろう――いや本当にそうか?ウウンそうじゃないな、全然そうじゃない。私はブログを書いたり実況動画を見たりするので、パソコンを持っているのだ。それで、もし私がブログを書いたり実況動画を見たりすることを「楽しみ」と認識出来なくなったら、最早そこにパソコンは「無い」のだろう。

 

 

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