珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

精神の疲労なるものの気まぐれに怯える覚書|原則定字退社のホワイトなブログです

栄養ドリンクなんかいらんかったんや

限界フリーター、差し当たって精神の疲労さえ回復させておけばあとはどうにでもなることに気がついた。接客業にしてはやたら走り回っている方だと思うが、「ちょっと活動量の多いバイト」の域は出ないだろうし、自分が感じているほど肉体が疲労しているとは思えないのである。好きなスポーツで1日中体を動かした時の疲労感と、クッソ退屈な職場でボーッと突っ立っているときの疲労感は、明らかに後者の方が大きい。現にバイトの終わり際で私が考えていることといえば、「疲れたなあ」ではなく「はよ帰りたいなあ」ただそれのみである。前者が「働くのは良いけど動きたくない」に近いのに対し、後者は「動くのは良いけど働きたくない」に近い。動くのは良い。HPはまだ残っている。ただMP(メンタルポイントもしくはモチベーションポイント)が空なので労働魔法が使えない。労働とは、MPを消費してゴールドを得る魔法の云いである。

 

精神疲労ガチャ

ところではてな、精神の疲労とは?恐らく誰もが経験していて、恐らく誰もが知っているにも関わらず、どうにも説明のつかないアレ。沈めても沈めても真上に浮かんでくる枝切れか、飛ばしても飛ばしても真下に落ちていく紙飛行機のような、自分の意志では到底ままならない何か、それが精神の疲労である。また、浮かぶ枝切れだって目を離した隙にいつの間にか沈んでいることがあるし、ヤケクソで放り投げた紙飛行機がスイスイと宙を泳いでいくことだってあるように、思いもよらず沈没したり浮上したりするのも精神の疲労である。妙に気分良く出勤したのに勤務開始10分でアホみたいに疲労したり、疲労MAXで出勤したのに動けば動くほど何故か疲労が取れていくこともある。あれは一体何なんだ?

 

友情<精神の疲労<超えられない壁<金

肉体は「疲労して然るべきプロセス」を経て疲労している。肉体を使用したら使用しただけ疲労する。どんなに屈強な人間でさえ、いつかは疲労するのだ。精神にも無論「疲労して然るべきプロセス」はあるのだが、それ以上に運やランダム要素が強すぎて、然るべきプロセスなどあって無いようなものだと思う。私の場合、然るべきプロセスによって限界まで到達した精神の疲労があっても、商店街のくじ引きで1万円分の商品券が当たろうものなら実働8時間分のストレスなど空の彼方に吹き飛んでしまうことだろう。金は精神の疲労より重いのである。その一方、商店街で学生時代の友人にばったり出くわしたとしても精神の疲労は無くならないどころか、早く帰りたい気持ちに水を差されるのと会話の煩わしさで更なる疲労を抱え込むことになるだろう。精神の疲労は友情より重いのである。ところで我々はしばしば、「吉報を聞いて体の疲れが吹き飛んだ」というような表現をする場合がある。勿論、それはあくまで精神の回復に引きずられるように肉体が回復したように錯覚するだけであって、言うまでもなく消耗した肉体が直接回復したわけではない。「凶報を聞いて体まで重くなった」という場合も然りである。ここでは肉体と精神をキッチリ分けて考えるのであしからず。ここまでをまとめると、個人差はあれど使ったら使った分だけ増加し、休めたら休めた分だけ減少するのが肉体の疲労で、予期せずして急激に増えたり減ったりするのが精神の疲労。肉体は良くも悪くも素直なことだ。

 

おっあと少しで1500字じゃーん

「精神の疲労とはなんぞや」という疑問の答えが全く見えないまま1448字まで来てしまった。これは労働で言えば定時の5分前である。そんな時間から大きくて面倒で厄介でいつ終わるか分からない案件に着手し始める物好きはそうそういないだろう。というわけで私も定 で上がることにします。お疲れさまです!

 

 

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