珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

安い女の家計簿と退屈への備えについての覚書|武器の貯蔵は十分か

安い女

  • 家賃 30000 ※ネット料込み
  • 水道光熱費 6000 ※冬場は+2000
  • 通信費 7000
  • 生活費 20000 ※食費、生活用品費、娯楽費等
  • 医療費 3000  
  • 交際費 0
  • 合計 66000

 

暇だな!食うか!

 コスパの良い限界フリーター白黒れむです。白黒ははぐろって読みます。上記のリストを見れば分かる通り、私を養うためには7万もあれば十分らしいので、今の手取りでもう1人、給料天引きの諸々が無ければもう2人私が養えるということになる。養われる側の私になりたい。労働は養う側の私に任せて。週2で5時間くらいは働いてあげてもいいから。ただもう少し現実に即して考えれば、退屈は最強の金食い虫なので、養われる専門の私が月に7万で済むとは思えない。水道光熱費が増えるのは言うまでもなく、本の消費ペースも数倍になるだろうし、読書の傍らで飲むコーヒーや食べるお菓子、おつまみの量もそれまでの比ではないだろう。退屈はとにもかくにも金が掛かるのだ。退屈するのも楽じゃない。

 

体力× 知識△ 度胸× お金△

気楽に退屈出来るような人間こそ、現代的な幸福に与ってるのだろうなと思う。正確に言えば「退屈だと感じた時に対価を必要とするアクションを気軽に起こせるような」人間である。ある人が退屈だからゲーセンでも行くかなと考えたとして、それならばまず何より「ゲーセンに行くための体力」が必要だし、場合によっては「ゲーセンで遊ぶための知識」や「ゲーセンで遊ぶ度胸」なんかも要るだろうし、当然「ゲーセンで遊ぶためのお金」だって不可欠だ。こういったものを何も持ち合わせていない、或いは持ち合わせが極端に少ない人間は、退屈を恐れる。退屈は概して苦痛である。苦痛を紛らわす手段を持っていないのだから、退屈はある種の恐怖となりうる。反対にそれらの持ち合わせが多ければ多いほど、退屈を恐れる必要がなくなる。退屈だと感じたら、持ち合わせが詰まった袋の中をゴソゴソかき回してその場に相応しいいくつかのものを取り出し、上手いこと組み合わせ、組み上がったそれを軽い気持ちで起動すればいいのだ。とはいえ、例えば「ゲーセンに行くための体力」が有り余っていても「ゲーセンで遊ぶためのお金」を持っていなければ意味がないし、「体力」「お金」はあってもヤンキーの兄ちゃんが怖いとかナントカ言って「ゲーセンで遊ぶ度胸」を持っていなければ「体力」「お金」をゲーセンで遊ぶために使うことは出来ない。世の中の人たちは息を吸うように退屈を潰すけれど、その時に己がどれだけ多く持っているかということ、そしてそれらをどれだけ多く支払っているかということを、自覚している人は少ない。

 

いざという時の資産をコツコツ貯めてこなかったから

退屈は時に、労働のストレスより恐ろしい。退屈を潰すために自らが支払えるものの少なさを自覚させられるからである。どうにも暇だが何かをする体力が微塵も残ってないとか、お金がないとか、道具がないとか、仲間がないとか、勇気がないとか、そもそも何をすればいいか分からないとか、「何かをする」ことへの興味さえ持てないとか。それでいつも、「おっ、寝ることくらいなら出来そうだぞ」といって、最もお手頃な選択肢ばかりを選ぶ。暇潰しに寝ることは別に悪いことではないのだが、なんというかこう、ゲーム内に用意された詰み防止の救済策に毎回縋っているような、それありきでやっているような……とにかく、毎度毎度そればかり選んでいるのは自分でも本当にどうかと思う。自分は退屈を紛らわす手段になりそうなものをどのくらい持っているのか。そしてそれらを一体どのように組み合わせれば有用になり得るか、最後に組み合わせたそれを一体どのように動かせば、こんなわけわからんことをつらつら書かずに済むような人生を送れるのか。ハーァ労働はいやだ。退屈に苦しむのもいやだ。お金があって欲望がぽこじゃが生じるのもいやだし、勿論お金がないのもいやだ。私の周りには中庸だけがあればいいのに。

 

これだけ書いといてアレですけど

積ん読本が20冊くらいあるから結構忙しいはずなのに結局寝てる

 

 

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