珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

存在性の運動不足についての覚書|腕を前から上にあげて大きく有給を勝ち取る運動から

深刻な運動不足

肉体は動いている。存在性が動いていない。私の存在性は「限界フリーター」というところから一歩も運動していない。「限界フリーター」という存在性が運動を起こさない限り、「限界フリーター」という存在性が押し付けられた私という存在も、「限界フリーター」以上のところに上れやしないし、以下のところに下れやしないのだ。私の存在性はただいつもそこにある。「そのようにして」あるのではなく、「ただ」あるのである。立ってもいないし座ってもいない、寝転んでもいないし浮いてもいない、ましてや走っていないし歩いてもいない、真の意味で何の運動も―― 静止という運動・・・・・・・ さえも――していない状態で、「ただ」そこにあるのだ。これを運動不足と呼ばずして何と呼ぼう。究極の運動不足に陥った存在性、その存在性に紐付けられている私という存在、この2年間で一歩たりとも動いていない私。日に日に存在の肉は縮こまり、存在の骨は細くなる。存在性の運動不足を解消してやらない限り、私という存在の運動不足も永久に解消されない。

 

存在性を相手のゴールにシュゥゥゥーッ!

要するに、存在を規定するところの「限界フリーターというところから一歩も動こうとしない存在性」……長いので縮めてフリーター性とでもしよう、そのフリーター性を動かしてやらない限り、その人の人生ずっと限界フリーターのままですよ、ということだ。聞いてますか白黒さん。正社員になりたければフリーター性を正社員性の方角に向かって歩かせなければならないし、自由人になりたければ自由人性の方角に向かって歩かせなければならないし、大統領になりたければ大統領性の方角に向かって歩かせなければいならないし、プリキュアになりたければプリキュア性の方角に向かって歩かせなければならないのだ。ここで存在性が行うべき運動は、変わる運動である。フリーターから正社員へ、自由人へ、大統領へ、プリキュアへ、変わる運動をしなければならないのである。

 

零歩一歩

ところで人は不思議なことに、「私が変わる」という言葉の代わりに「環境が変わる」という言葉を使いたがる。職場が変わる=環境が変わる、住所が変わる=環境が変わる、ライフスタイルが変わる=環境が変わる、これらの等式自体に間違いは無いのだが、それ以前に本人が変わっていることを忘れないで頂きたい。それは紛うことなき運動、この世で最も過酷な運動、変わる運動によって変わったところのあなたがいるのである。自発的にしろ強制的にしろ、あなたが変わる運動を起こした結果、職場や住所やライフスタイルが変わったのだ。あたかも舞台の書き割りが変わるように変わったのではなく、あなたの存在性が変わる運動によって変わったのだ。勿論、場合によっては不満不平が伴う運動もあるだろう。それでもまずは、運動に取り掛かった自分を褒めてやるべきだ。有り余る熱意を持って1歩も走らなかった方よりも、ぶうたれながら1歩走った方がエライ。五十歩百歩とは似たり寄ったりの云いだが、零歩一歩は天と地ほどの違いがあるのだから。

 

ぽぽぽ

ところで私、白黒れむ、の存在性ならびに存在の運動不足をどうするかという話に戻らせて頂くのだが……アーアー自分で答えを出しているじゃないか。変わる運動によって変わった当人が置かれる場所、職場や、住所や、ライフスタイル。思い切って仕事を探す?全く知らない土地に越してみる?好きなことで生きていく?存在性が必死に首を横に振る音が聞こえる。そんなに動きたくないんかお前。いいか、変わる運動なんかしなくても、食後にこれ一粒飲むだけで存在性がみるみる変わるようなサプリメントが有ったら苦労しないんだ。こんな運動しなくても、これ一本飲むだけで存在性に火をつけてくれるような、そんな燃焼系飲料が有ったなら、我々はこんなに苦労しなくて済むのだからね。

――今週のお題「運動不足」

 

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