珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

勤労のための「学問」全てを捨てて戦う女についての覚書|勤労デスロードSHOW

勝てば官軍負けても官軍

贅沢な悩みが欲しい。贅沢が欲しいのではなく、贅沢な悩みが欲しい。人から呆れられるほどの贅沢な悩みが欲しい。思えば、私の人生における贅沢な悩みのピークはポケモン新作はブラックを買うかホワイトを買うか」で大いに迷っていたあの頃だったのかもしれない。購入の前提として、自宅にニンテンドーDSを持っていて、新作ソフトを買う金があり、ゲームをプレイする時間がある。そうした前提だけでも既に贅沢なのに、目の前にはどちらに進んでもおよそ満足出来るであろう2本の分かれ道があって、いずれの道の先も満足で溢れているというのに、それでもなお1グラムでも多くの満足を貪ろうと、損得の羅針盤が小刻みに揺れるのを血眼になって見つめている。これは贅沢ですね間違いない。ただ、今はそういう物質的な意味での贅沢な悩みではなくて、例えるなら「小説家になるか画家になるか」とか、「天国に行くか浄土に行くか」とか、「真理を観るか根源へ至るか」とか、そういう非物質的な意味での贅沢な悩みが欲しいのだ。お前ほんと贅沢なやつだな。

 

こ、国民の義務~

痩せこけた土地の上に建てる惨めな悩みはもうたくさんだ。私は立派に肥えた大地の上に胸を張ってそびえ立つ、豊かで堂々たる悩みに囲まれていたい。悩みが無いなら無いに越したことはないとか言って、結局悩むことは国民の義務なんだろう。納税教育勤労苦悩だ。ひでえラインナップだな。それはさておき、私は自分の中の一体何を指して「痩せこけた土地の上に建てる惨めな悩み」と呼んでいるのだろう。アルバイトだけで人生の時間を使い果たしそうなことか?金を貯めることばかりに取り憑かれて金を払って得るものの楽しみを忘れそうなことか?体内でストレスが限界バトルしていることか?或いは答えが出ない悩みに自身の存在のリソース全てを費やしていること、体力気力の全てを使ってやっていることがただただ毎日悩んでいるだけであること、それ自体が惨めなのか?「悩みについて悩んでいることが悩み」みたいなアレか?悩みの無限回廊やめろ!仮に悩みのステージをワンランク上げるために死ぬほど苦労したとしても、またワンランク下に転がり落ちるのは一瞬なんだろう。私の中に「惨めな悩み」が存在するのではなくて、私そのものが「惨め」で、それ自体が「悩み」なのだ。グゥ。

 

無くならないものがほしい

さて、前段落で十分に考察及び反省したので、これ以降の本文では単純な悩みについて悩むことはやめよう。「悩みとは?」=「私とは?」だ。そんなおもんないことについて考えるのはやめよう。ああそうそう、非物質的な意味での贅沢な悩み、これが欲しいという話だった。才能、思想、信条、そういったものの中でもとりわけ素晴らしいもの共を集めて目の前にいっぱい並べて、「さーてどれにしようかな」と考える楽しみが欲しいのであった。そのために必要なのが……そうだね、まず学問だね。その他だと修行、練習、訓練、言葉は違えどそれらもみんな同じことだ。今日の晩ご飯にステーキを食べるか寿司を食べるかという選択も素敵だが、今の私はそれよりも文を食べるか絵を食べるかという選択、聖書を食べるか経典を食べるかという選択、カントを食べるかゲーテを食べるかという選択、感覚を食べるか直観を食べるかという選択がしたいのだ。ステーキも寿司も最高だけど食ったら無くなるし、体内で消化されれば最終的にウンコになる、けどこいつらはどんなに食っても無くならないしウンコにもならない。食えば食うほど増えていく。消化すれば消化するほど美しいものになっていく。

 

未来は真っ黒でも資格欄は真っ白な限界フリーターの遠吠え

私が欲するところの学問の前には、それに敵対する「学問」が常に立ちはだかっているせいで、私はなかなか前に進めないでいる。国民の義務たる勤労、の中にほぼ実質「義務」として収納されているところの「学問」、あいつらが親の権力を盾に私の人生へズカズカ踏み込んでくるのを食い止められずにいる。勤労に活かすための「学問」、勤労に有利な資格を取るための「学問」、立派な勤労にありつくための「学問」、グロースハックにコミットするサステナブルかつフレキシブルな「ラーニング」。ええい、お前らはお呼びでない!勤労とズブズブの「学問」連中はお呼びでない!書きながら気づいたのだが今年でフリーター歴5年になる。5年!道理で正社員を目指すための「学問」とか、資格を取るための「学問」とか、ましてや大学に入りなおすための「学問」とか、そういう類の「学問」への興味が日に日に薄れていくわけだ。たとえ、お前は現代人に必要なそういう類の「学問」から逃げていると、負け組だと、弱虫だと、いくら罵られても大したダメージは無いと思う。無いはずなのだが、それでもやはり世間体とかそういうものを完全に捨てきれなくて、「私は私がやりたい学問よりも『学問』を優先してやるべきなのでは?」というモヤモヤによって、贅沢な悩みにありつくことすらままならないのだ。

 

既に自分の内にあったっていう

今更勤労に費やす熱意も無いので、いくら私に勤労の存在を前提とした「学問」の義務がのしかかろうとも私はもっと素朴な学問の方がやりたいんじゃい、でも世間体も捨てきれないんじゃい、という最近の悩み。この期に及んで勤労のために「学問」する気はない、むしろ学問のために勤労をするのだ、と胸を張って言いたくとも言えないという悩み。「学問」を取るか、学問を取るかという悩み。ええと、これっていわゆる贅沢な悩みと違うんですかね。

 

ね。

 

 

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