珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

「お願いします」の機能不全についての覚書|灰は灰に、塵は塵箱に

「お願いします」が3枚……来るぞ遊馬!

ふと顔を上げたら、「お願いします」で締められた異なる種類の張り紙が3枚並んでいた。なんだかものすごくお願いされた気分だ。通りすがりの者に対してちょっとお願いしすぎだと思う。よく見ればあっちにもこっちにも「お願いします」の張り紙がある。いやまったく、「お願いします」で溢れかえる世の中になったものだ。「マスクの着用にご協力お願いします」「入店時のアルコール消毒をお願いします」「体調不良の方のご来店はご遠慮くださいますようお願い致します」。この辺りは仕方ない。そういう世の中なんだもの。少し意識してみると、街中は本当に「お願いします」だらけであるということに気づいた。自販機横のゴミ箱曰く、「ゴミの分別にご協力お願いします」。喫煙所曰く、「喫煙はこちらでお願いします」。コインパーキング曰く、「改造車の入庫はご遠慮願います」。工事現場の看板曰く、「御理解御協力お願い致します」。なるほど街の喧騒とは、人と、ビルと、「お願いします」で出来ているのだな。

 

お願いしますっつってんだろ!!

世の中に溢れる「お願いします」を私の基準でざっくり2つに分けようと思う。1つ目は「お願い」されて初めて人々がそれを認識するような状況における「お願いします」、2つ目はほとんどの人々が「お願い」されるまでもなくそれを認識している中で、わざわざ「お願い」されないと分からないごく一部のアホに向けた「お願いします」である。具体例を挙げると、「この先工事中につき迂回お願いします」という看板は前者である。このような場合においては、迂回を「お願い」されて初めて人々が「ああ、迂回しなくちゃいけないんだな」と認識する。この先が工事中であることも、それによって迂回すべきであることも、その道を通るほとんどの人びとにとっては「お願い」されなきゃ分からない。一方で、「ゴミはゴミ箱へお願いします」という張り紙は後者である。ゴミはゴミ箱へってそんなん当たり前やんと思う人が多くを占める一方で、「お願い」されなきゃ分からんような人々も(残念ながら)ゴロゴロいる。そして(非常に残念ながら)「お願い」されなきゃ分からんような人々は、(非常に残念ながら)「お願い」されたって分かりゃしないのが大多数というのが現実である。今まさにポイ捨てしようとしていた人が、「ゴミはゴミ箱へお願いします」という張り紙を見て、「おっとゴミはゴミ箱へ入れなきゃならんのか」と認識を改めてゴミ箱へ入れ直すかと言われたら、ウーン。この、「お願い」される前から既に正しい認識を持っている人ほど「お願い」をよく見て実行するし、誤った認識によって「お願い」の対象となっている人ほど「お願い」を見ないし実行もしないというあべこべ構造は、一体どうすればいいんだろうな。

 

数量限定、在庫限り

「願」という感じの成り立ちを調べてみたら色々な説があって少々迷ったのだが、いくつか見た中から1番詳細で説得力もあるなと思った説を引用させて頂く。

形声文です(原+頁)。崖・岩の穴から湧き出す泉」の象形(「みなもと」の意味だが、ここでは愿(ゲン)に通じ(同じ読みを持つ「愿」と同じ意味を持つようになって)、「きまじめ」の意味)と「人の頭部を強調」した象形(「かしら(頭)」の意味)から、きまじめな頭を意味し、そこから、自分の主張を曲げず、ひたすら「ねがう」を意味する「願」という漢字が成り立ちました。

きまじめ。なるほどね。確かに不特定多数に向かって「お願い」をする張り紙クンはきまじめだ。……イヤイヤそうじゃないだろう。不特定多数に向かって「お願い」をする張り紙を掲示しようと思いそれを実行するような人物はきまじめだ。「ゴミはゴミ箱へお願いします」という張り紙も今となってはただの形式や習慣や義務やとりあえず貼っとけみたいな気持ちで掲示しているだけかもしれないが、ずっとずっと遡ればそれを最初に実行した人物がいるはずなのだ。彼ないし彼女は間違いなくきまじめだ。そういうきまじめさがぞんざいに扱われるのは本当悲しい。その「お願いします」を考えついて実行するまでの時間、張り紙や看板にかかった費用、そこに費やされたきまじめ。業者に頼んで作るならまだしも、思いついたその場でチラシの裏にペンで書いてテープでペタリと貼っただけなら総額1円にも満たないかもしれない。けれどもそこに費やされたきまじめのことを決して忘れてはいけない。きまじめはお金に換算出来ない。きまじめそれ自体は目に見えないし触れないけれど、無限にあるわけじゃないし、タダで出せるわけでもない。「きまじめな人」のきまじめが、あたかも海の水や砂漠の砂であるかのように思われてはならない。

 

ゴミはゴミ箱へお願いします

正当な理由と権利に基づいた「お願いします」が正当な理由と権利に基づいた「お願いします」として100%正常に機能するにはどうしたらいいんだろうなあ。正常に機能していない「お願いします」は無秩序を生み出すし、逆に機能が過ぎる「お願いします」は相互監視的なある種の恐怖を生みかねないしなあ。「お願いします(切実)」でも「お願いします(威圧)」でもなくて、もっとシンプルイズベストな「お願いします」それに呼応したシンプルイズベストな「お願いされました」が上手に成立する世の中であってほしいものだなあ。

 

 

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