珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

寂々たる諦めと永遠の素数についての覚書|”89606”は割り切れない

諦め屋の負けず嫌い

自分のことに関して言えば、聞き分けがよく、諦めが早く、何でも容易く割り切りやすい性格だと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。いや、歳を取るにつれてそうでもなくなってきているらしい。質の悪い話である。歳を取るといことは、諦めがつく物事が増えていくことだと思っていた。素質とか、才能とか、適正とか、夢とか、憧れとか、そういうこととの距離が少しずつ遠くなっていって、「そうか、もう歳なんだな」でふんわり諦められる、それが歳を取っていくことだと。諦めることに対して自分の中の感覚がどんどん鈍くなっていって、初めには柔らかな痛みを伴っていても、次第に薄れて、終いには痛みを感じなくなっていくのだ。歳を取ることは優しい麻酔だ。優しいけれど、この世で最も残酷な麻酔だ。あんなに必死になって追いかけていた物事を諦めるのに、痛みが伴わないなんてそんな話があるもんか。痛いのが当然だ。痛くなくちゃいけないんだ。それなのに、「そうか、もう歳なんだな」と笑って呟くだけで、ロクな痛みも無しに綺麗に諦めがつくなんて、そんな麻酔、ヤベエ代物に決まってる。まったく神様は俺たちに一体何を打ち込んでやがるんだ。ろくでなしの麻酔医もいたもんだな。

 

麻酔ガンギマリですね(とほほ)

ここまで言うからには私には何かでっかい夢があって、しかもそれが自身の年齢によってぼちぼち諦めにゃならんような事態に出くわしているのだろうと思われるかもしれないが、そういうわけではない。「仕事行きたくないよー」で1日が始まり、「仕事疲れたよー」で1日が終わり、また「仕事行きたくないよー」で1日が始まって、それをしばらく繰り返したのち、「何もしたくないよー」で休日が始まって、「何もしなかったよー」で休日が終わり、振り出しに戻って「仕事行きたくないよー」……どうやらこの円環にずっぽりはまって抜け出せなくなっているらしい自分が、どうにかもがいて抜け出そうと試みているその悪足掻きを、「そうか、もう歳なんだな」で諦めそうになっていることが恐ろしいのである。エッマジかよ。諦めるのかよ。諦めんなよ!諦めたらお前……この先何十年も「『仕事行きたくないよー』→『何もしなかったよー』」をやり続ける羽目になるんだぞ。いや待て、よく考えたらお前はよう、そもそも歳がどうとか以前に、そういう悪足掻きを1度でもしたことがあったか?無いだろう?1度も挑戦していないことを、試しに1度やってみる前に、もう諦めをつけてしまうのか?ウーンご尤もだけどねえ、奥さん、だからそれが、「試しに1度やってみる前に、もう諦めをつけてしまう」ことが、「そうか、もう歳なんだな」という麻酔の副作用なのよ。

 

自分について考えすぎると身を滅ぼすぞ

自分ではしょっちゅう「人生」について考えているつもりだったが、実のところはただ「暮らし」について考えているだけであった。「暮らし」について考えて、その中で自分を慰める時は、決まって自分よりももっと不安定な橋を渡っている人々のことを思い描く。朝から1日働いて、夜にその日分の給料を得て、その大半をネカフェか何かの宿泊代に使って、残りの小銭でメシを食って、朝になったらまた働きに出るよう暮らしを送っている人々を。そういう人たちのことを考え――いや、そういう人たちを ほんの数センチ高い足場に立って見下ろす・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ことで、「自分はまだこの『ただ繰り返す毎日』に意義を見出す余地が有る」と慰めながら生きているのだ。帰る部屋があって、そこに私物が沢山あるのはいいことだ。思いのままに私物を増やしたり減らしたりする自由があるのはいいことだ。私物を置いておく空間、わりと好き勝手に増やせる自由、それらは今後何かしらの意義を見出すためにも必要なものだと思う。不可欠とまでは言わないけど。少なくとも一般的な現代日本人が、「無」から何かしらの意義を見出すことは難しかろう。そういう意味で私には十分な意義を見出す余地がある上に、なんとまあ、威張れる額ではないが貯金まであるのだ。これだけの好条件のもとで自分の周囲から何ひとつ意義を見い出せなかったら、それただの怠惰ではないか?そうじゃなけりゃ、どんだけ麻酔効いてんだって話ですよ。

 

人生が下手ですね

話を戻すが、「仕事行きたくないよー」で1日が始まろうがそれはこの際どうでもいい。肝心なのは、「仕事終わったから自分にとって意味のあることするよー」で第二の1日が始まって、「自分にとって意味のあることしたよー」で第二の1日が終わり、それと同時に『1日』が終わることである。「仕事行きたくないよー」で始まった第一の1日を、「仕事疲れたよー」で閉じてしまわないように注意深く心がけることである。ちなみに私の現状を申し上げると、「仕事疲れたよー」で閉じてしまわないように心がける余り、もう何十ぺんも見たはずの面白い動画を飽きもせず眺めて寝オチして目が覚めてから後悔に襲われたり、手軽に快楽を摂取しようとして美味しいお菓子をパクパク食ってそのまま横になり目が覚めてから後悔に襲われたりしている。「自分にとって意味のあることするよー」が下手すぎるんだよなあ。

 

1、2、11、22、4073、8146、44803、89606

私はまだ、「仕事行きたくないよー」で始まり「仕事疲れたよー」で終わる1日の集合としての人生に、落ち着いた気持ちですとんと身を預けられるほど割り切れないんだ。かといってどうやって意義を見出せばいいのかもさっぱり分かりゃしないけど。それでも絶対に割り切れて欲しくない。1と、自分以外のものでは決して割り切れて欲しくない。永遠に素数でありたいんだよ。とはいえ白黒れむってアレ、数字に直したら89606じゃん。89606の約数って8つもあるらしいですよ。クッソ割り切れとるやん。はーつっかえ。一方、89603素数だから1と89603の2つしか無いらしいですよ。白黒れみに改名するか。

 

 

f:id:shirokuro_044:20201102121323p:plain