珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

とある無心論者、その無心論についての覚書|心無くせば全て解決

入れられるのが仕事のうちなら切られるのも仕事のうち

限界単純労働に身を投じる上で重要なのは、如何にしてスイッチを入れるかではなく、如何にしてスイッチを切るかである。通勤の時点でいつでもスイッチを切れるような体勢を整えておく。職場に着いた瞬間からもうスイッチを切る。そして始業時刻と同時にブレーカーを落とすのだ。ハイ、これでもう何が起ころうとも私は無心。ハイ無心。よって、心配、苦心、傷心、心労、そんなものとは無縁である。なにせ、心が無いのだから。無い心は配れないし、苦しみようもない。同様に、心遣い、熱心、真心、良心、そんなものとも無縁である。なにせ、心が無いのだからね。客が何をしでかそうと客から何を言われようと、その場に応じて「かしこまりました」と「左様でございますか」と「申し訳ございません」のうちいずれかのカードを切れば良い。限界単純労働者たる我々が目指すべき労働とは、それすなわちマニュアルを100%体現することだね?そのマニュアルとはすなわち、完璧ということだね?で、その完璧なマニュアルに心はあるか?無いだろう?無心になるまでがマニュアルの体現だ!限界単純労働者の諸君、無心たれ!

 

心にこそ予備が必要だな

現実においては故意に無心の状態を作り出すのは非常に難しい。むしろ不慮の事故によって何ら下準備のない状態からスンッと心が無くなるような、あの最も憎むべき現象にばかり見舞われている。私が、自分の意志でスイッチを切りブレーカーを落としたのではなく、何かしらの外部犯によって勝手にスイッチが切られ、勝手にブレーカーを落とされるのである。酷い時には私の中の様々な部分がまだ立派に稼働している状態でいきなりブレーカーを落とされる。そんなわけで、私の中の考える部分と、我慢する部分と、冷静な部分が飛んだ。ついでにここ数時間の記憶も飛んだ。この後買い物に行く気力も飛んだ。家に帰ってからやろうと思っていたことへの意欲も飛んだ。温めていたブログのネタも飛んだ。予備?バックアップ?そんなものはない。私の中のある部分が故障したからといって、予備機へ切り替えるとかバックアップを作動させるとか、そんなハイテクなことが私ごときに出来るわけないだろ。東証でさえ出来なかったんだぞ。

 

心のなくなり方について

ついでなので、無くなった心を補充することと、失くなった心を探し出すことと、亡くなった心を生き返らせることについて少しだけ触れよう。「無くなった」ってのはそう、日常生活で「牛乳が無くなった」とか「ティッシュが無くなった」とか言うように、いつか使い切ることが前提なのだから、予め覚悟は出来ているだろうし、補填も比較的容易である。「無くなった」心はその後で楽しいことをしたり、美味しいものを食べたりするなどして補充してやればいいのだ。「失くなった」ってのは不幸と自己責任の間の子みたいなもので、単に運が悪かっただけかもしれないし、自分の不注意に主な原因があるのかもしれない。それは見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。使って無くなった1万円と、使ってないのに失くなった1万円とじゃ訳が違う。そう簡単に補填出来るものでもないが、案外そのへんに転がってるかもしれない。「亡くなった」ってのは……そう、死んだってことだ。生き返らせるって、どうやってやるのさ。知らないよ。

 

無心チャレンジ

ここからは体験談。無心チャレンジに見事成功すると、客を相手に自分でも驚くくらいスラスラ言葉が出てくる。そう、 マニュアル通りの言葉・・・・・・・・・・ がスラスラ出てくる。脳裏に掛けたカンペボードの内容をそのまま読んでいるような不思議な気分で、接客ってチョロいなって思う。一方無心チャレンジに失敗するとどうか。無くしきれなかった心がその反動からか口からスポンと飛び出してくるような感覚に襲われて、その今にも飛び出さんとする心が、文字通り心のままに大声で客を罵倒しようとするもんだから、それを必死で押さえつけて無理矢理飲み込もうとしているせいで、どんな客を相手しても「ン゛ア゛ア゛ア゛ン゛ヌヌ゛ヌヌヌ゛ヌヌヌ゛ヌヌヌヌ゛ヌ゛ マ゜ッ」って感じ。

 

 

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