珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

いずれ私のパンになるお金、いずれ私のパンになる客についての覚書|おパン様は神様です

あり、がたい 

実際問題、滞在中にどれだけやりたい放題やらかした客がいたとしても、そいつが帰り際に滞りなくきちんと代金を支払ったのであれば、その時点で「ありがとうございました」の発生を回避することは出来ないのだ。この金に免じてここ数時間の出来事は全て水に流してやる。ついでにお前さんもいつかガンジス河辺りに流してやる。「ありがたい」のはお前さんの金であって、お前さんではない。お前さんはちっともありがたくない。いやしかし、「ありがたい」の語源を考えてみれば、「有り難し」、すなわち「めったにない」ということであって、お前さんのような出禁一歩手前の客なんかめったに来るもんじゃない。そう、「めったにない」という意味で言えば、そのクソ客も「ありがたい」存在なのである。クソ客がこちらに支払った金は「ありがたい」が、クソ客それ自体は「有り、難い」。いやいやほんと、ねえ、旦那様は、実に「有り、難い」お客様でございました。今後とも、どうぞご贔屓に。ところでご存知ですかな、「屓」という漢字は「尸」に「貝」と書きまして、アラアラ、「しかばね」という字が含まれておりますねえ。またご贔屓頂いたあかつきには、旦那様のことも貝の尸みたいにして差し上げますねえ。

 

だって「お金はありがたいものである」という世の中を作り上げたのは人間じゃないの

底辺フリーターたる私にとっては、「ご利用ありがとうございました」という文言はどうにも持て余す。なんというか、あまりにも高貴で、高潔で、高尚すぎる。それは奉仕の精神で編まれた身体の、慈しみで満たされた口から出る言葉だ。「『ご利用』、ありがとうございました」ですって!私のごとき粗野で下賎でしかし馬鹿正直な者の口に合う言葉は、「お金をくださりありがとうございました」だ。ありがとう。ありがとう。あなたが、あなたたちがお金を払ってくれるから、私は来月もパンを買い、パンを食べ、自分の身体という最愛の我が子を養ってやることが出来る。ありがとう。本当にありがとう。こういった具合に、古今東西どこかのお話の中において、通行人からパンを恵まれた貧しい老婆がするように、相手の手を握って、涙を流しながら、何度も何度も頭を下げるのだ。まあとにかく、「ご利用」「ご来店」「ご愛顧」などに対して感謝の心を抱けるほどよく出来た人間ではないが、「いずれ私のパンになるお金」に対しては、いくらでも感謝してやろうと思う。

 

おパン様

「いずれ私のパンになるお金」は「パン屋でパンと交換する」ことによって最終的に「パン」になるのだから、客は私にパンをくれたも同然だし、なんなら客そのものがパンと言ってもよい。金を支払ってくれる客がいる限り私はパンにありつけるわけで、客=金、金=パン、ならば客=パンだ。何も間違っちゃいない。その場で支払われた代金が「いずれ私のパンになるお金」とするならば、それを支払った客は「いずれ私のパンになる客」とでも言おうか。そうそうお客様は来月、私のパンになるんですよ。具体的な日付を言えば来月の25日、その日が休祝日だったら直前の金曜日、にあなたが私に振り込まれて、あなたは私のパンになるんです。勿論私だけのパンではなくて、ここにいるスタッフ全員のパンになるんです。それどころか、店に置いてる新聞を配達しに来るおじさんのパンにもなるし、うちの店で使うボールペンはたのめーるで買ってるから、たのめーるで働いてる人たちのパンにもなるんです。そう考えると、お客様が今日支払った2000円ちょっとのお金で、日本中の数え切れないほど大勢の人々にパンを与えることが出来るんです。聖書には、5つのパンと2匹の魚を5000人に分け与えるイエスの話が載っているのをご存知でしょうか。いやもうほんとにね、実質それなんです。

 

「お客様のお金」で生きてるぼくら、「お客様」に殺されるぼく

義務から生じる「ありがとうございました」ほど、干からびていて、イガイガしていて、苦くて、酸っぱくて、舌を傷つけるような言葉もあるまい。「今日はお金いっぱい使ってくれてありがとうございました!いやーマジで嬉しいっす!これ来月の俺の給料になるんすよね!お客様のお金でニンテンドースイッチ買います!」くらい言ってのけた方がまだお口の健康に良い。頭の悪いホストか何か?それ以外の、例えば真心とか、優しさとか、愛想とか、そういうものから出てくる「ありがとうございました」はオマケくらいに思っておけばいい。いやむしろ、「ありがとうございました」という言葉そのものをチップとすればいい。感謝をするかもしれない側の人間は、自分が「ありがたい」と思わなかったら相手が誰であろうと「ありがとうございました」なんて言わなくていい。本当に「ありがたい」と思ったならその気持ちをなんべんでも伝えていいし、今は機嫌が良いから言っとこうとか、今日は口内炎が痛いから言わないでおこうとか、それくらいの気持ちでもいいのだ。で、感謝をされるかもしれない側の人間は、大金を払ったとしても「ありがとうございました」のチップを期待してはいけない。貰えたときは大いに喜んでよろしい、ただし貰えなかったとしても嘆いたり怒ったり傷ついたりしてはならない。

 

「感謝したいこと」がこんなんでいいの

こんなくだらないことを書き散らしているこの瞬間にも、世界中で、肚の底から無味乾燥な「ありがとうございました」を吐き出し続けることによって、口の中をズタボロに傷めている人が大勢いるんだよなあ。

 

今週のお題「感謝したいこと」

 

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