珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

幻のヒーターと12月の寒い日についての覚書|存在《ある・ない》って結構ガバガバなんだな

まやかしのまやかしのまやかしのまやかしの

人が幸せを手に入れるとき、それ即ち幸せについて考えるのをやめたときだ。人が1杯のコーヒーについて考えているとき、その考えられたコーヒーはどこにも存在しないコーヒー、まやかしのコーヒーである。目の前にある1杯のコーヒーをじっと眺めながらそのコーヒーについて考えているときでさえ、考えられたコーヒーは目の前のコーヒーのそっくりさんというだけで、決してこの世には存在しないコーヒーなのだ。考えられうる幸せはまやかしだと思う。何かが考えられている限りにおいて、考えられている全ては永久にまやかしである。そのまやかしをそっくり写し取って実際目の前に置いてみたところで、それは不出来なまやかし、まやかしの劣化コピーまやかしのまやかしなどという不名誉on不名誉な称号を与えられるだけだ。世界が平和について考えるのをやめたとき、初めて世界平和は訪れるのだ。

 

真実の労働ってなんだよ

ウウ、指が痛いのと手がかじかんでるのとでうまくタイピングできない。頭もかじかんでるから書く話題が出てこない。ウウ。今夜は休みのはずだったのだが、急遽出勤になった。お金が増えるぞ~~~ヤッタ~~~。私はいつも労働と金のことを考えている。考えられた労働はまやかしで、考えられた金もまたまやかしである。労働の価値は限りなく低く見積もられ、金の価値は限りなく高く見積もられる。とはいえ、現に労働に勤しんでいるときであっても、人は目の前の労働をじっと見つめながら、目の前の労働のそっくりさんを脳裏にこさえているだけなのであって、そこに真実の労働は不在である。「真実に忠実な労働」と「真実の労働」は、オーストリアとオーストラリアくらい違う。

 

さむ~い

いやもうほんとにさむい。何か適当なことを書いて文字数を稼ごう。《ここで寝落ち》 去年、あまりの寒さに耐えかねて、可愛い暖炉型のヒーターを買った。にも関わらず、電気代が跳ね上がるのを恐れて1度も使っていない。それどころかダンボールから出してすらいない。 けれども、「私の家には可愛い暖炉型のヒーターがあって、使おうと思えばいつでも使える」という安心感、いや無敵感、そのお陰で今冬も乗り切れると思う。私は自室にいつも、可愛い暖炉型のヒーターの幻を見ている。出そうと思えばいつでも出せるなんて、実質出してるのと同じでしょ。幻のヒーターはスペースも電気代を食わないので良い子だ。あ~、幻のヒーターあったけえなあ。

 

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