珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

面白そうなものに限って指の隙間からぽろぽろぽろぽろ落ちていく覚書|時間は虚無に向かって流れる

最近面白い本について

カール・マルクスの『哲学の貧困』が面白すぎてページを捲る手が止まらない。これはタイトルから露骨に分かる通り、プルードンの『貧困の哲学』に対する批判書……と呼ぶにはあまりに生ぬるい、この際「自信満々でベネッセに送った俺の答案が赤ペン先生に隅から隅まで全否定されて返って来た件」とでも表現しようか。とにかく、私のような経済学に疎く、また同情しやすく甘ちゃんな性分の人間にとっては、批判の妥当性等を考慮しても、読み始めて数ページでプルードンが可哀想になってくることだろう。まだ冒頭しか読んでいないが、本文のかなりの割合がプルードンの著作から引用した箇所で占められており、それを髄の髄まで舐めしゃぶるように批判し尽すマルクスの姿勢を見て、学者の世界は恐ろしいなと思った。正直、バカで良かった。あまりにも引用が多いので、この1冊で『貧困の哲学』のみならず他の経済学者の書物も同時に読めたも同然だ。めちゃくちゃお得ですやん。

 

一期零会

こういう学術的な書物を読んでいると、上にもサラッと書いたが、当然参考文献や引用文献が山ほど載っている。で、その書物のタイトルや概要を眺めながら「ほーん面白そうやな」と思う。もしその書物が現在も手に入る、或いは大学図書館等で借りられるものであれば、是非とも読んでみたいと思う。そんなことを考えながら、考えているうちに、私はその書物のことを綺麗さっぱり忘れる。ウン。これでよかった。これでよかったんだ。私はその書物のことを忘れた方が幸せだし、その書物も私に忘れられた方が幸せなんだ。来世はもっと余暇時間のある人間になろう。

 

33-4

「時間による制約」って本当に「時間による制約」なのか?不足しているのは本当に時間か?努力とか、根性とか、覚悟とか、そういったものの不足によって私は数々の素晴らしい本を読めていないのではなかろうか?なるほど、文字が読めるだけじゃ本にはありつけないらしい。小学生の頃は、学校の図書館と、町立の図書館と、近所の本屋と、ちょっと遠くにあるTSUTAYA、それが本の世界の全てだったものだが……年をとったら、本の世界がずっとずっと広がって、それで、本にかけられる時間がずっとずっと減った。なんでやねん。大人になって、読める漢字も増えたし、(多分)賢くなった。それで、本にかけられる時間がずっとずっと減った。なんでやねん。本を買うお金も増えたし、買える本の選択肢も増えた。それで、本にかけられる時間がずっとずっと減った。なんでやねん。読みたい本がいつも33冊あるとして、読書に使える時間はいつも4冊分くらいだ。なんでや!

 

12月の議題決まりました

金も体力も根性もない底辺限界フリーターが時間を捻り出す方法についてです。

 

 

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