今年死んだアイツらの供養についての覚書|ここは物ではないものたちの墓場
突然ですが
今年死んだアイツらの供養しまーす
今年死んだアイツその壱 物欲
1.物欲はどこから物欲か
これだけモノで溢れかえった世の中で、無名の凡人が「俺の物欲は死んだ」などと胸を張って叫んだからといって、だからどうということもない。ちょっと痛いだけである。まあ実際のところ、当然ながら全てが全て死んだわけではなく、ただ最低限の食料品と、最低限の生活用品と、少しの本、それくらいへの欲はまだまだ健在である。じゃあ物欲死んでなくね?しかしモノで溢れる現代日本においては「消しゴムが欲しい」とか「ティッシュが欲しい」とかいうのをいわゆる「物欲」に含めて良いものか甚だ怪しい。垂れる鼻水を拭うために、新品ピカピカのティッシュペーパーを欲することを、我々はふつう「物欲がある」とは呼ばないだろう。「欲」とさえも呼ばないかもしれない。我々は「欲」という言葉の代わりに、「必要」という言葉を使う。「物欲」があるのではなくて、「必要」があるのである。エエ、ティッシュが「欲しい」ことは「欲」じゃないんですか?そいつらが我々の欲する前に、「必要」とやらの不思議な力によって、天から降ってくるとでも?
2.一億総肥満社会
それはさておき、物欲は「形あり、自らの中に取り込めるものを欲する」という点で食欲の延長であると思っているので、現代社会は食いしん坊バンザイもいいとこだ。食いしん坊は、人より多く食わねば満たされぬという点で、基本的に人より多くの苦痛に蝕まれる存在であると思う。しかし現代社会における大抵の食いしん坊は、まあ、幸せそうだ。何故なら、彼らは欲求すれば大体手に入れることが出来るから。欲求して手に入れられない食いしん坊はさぞかし辛かろうが、そもそもそういう奴が食いしん坊に成りうるのか?毎日うな重食ってた時期が忘れられませんみたいな、過去の栄光にしがみつくというやつか?まあ、いいや。とにかくかくかくしかじかで、欲求はあらゆる苦痛の原因となりうると悟ったので、まずはモノから欲求しないことにした。で、わりかし成功した。そう、モノもな、じっと見ておるとな、ゲシュタルト崩壊して、崩壊したところの割れ目から、モノ自身に宿る欲求されたい欲求共がじゃな、外に流れ出てくるのじゃ。モノから欲求されたい欲求を引き抜いたらただの冷たい質料、ただのガラクタなんじゃ。2020年はそれに気づいただけでも大きな収穫であった。
3.欲求されたい欲求
人が欲するから作るのではなしに、作るから人が欲する、欲されるために作る、欲されようとして、わざと、欲されるように、他人の頭を180度捩じり回してでも彼らから欲求の目を向けられたい、もっともっと欲求されたい、だから欲求されるような形を作って我に与えよと、欲求されたい欲求共の声が聞こえる。それに従って人は作る。そういった構造に寒気がしてきた。ウーン、経済活動に向いてない。人はもう、人の欲求に応えてはいない。欲求の欲求に従っているだけだ。人の手は最早、欲求されたいと叫ぶ形なき者共に形を与えるための道具になってしまった。人の手は欲求されたい欲求共の奴隷と化した。今在る人の手が生み出すものは全て、欲求されたい欲求の、形を得た姿である。店頭に並ぶコップは、「人に欲求されたいコップ」である。マネキンが着ているシャツは、「人に欲求されたいシャツ」である。勿論そのマネキンも「人に欲求されたいマネキン」であるし、マネキンをここまで運んでくるトラックも「人に欲求されたいトラック」、またトラックのタイヤも「人に欲求されたいタイヤ」なのだ。畜生、どこへ逃げても欲求されたい者共が道を塞ぐ。欲求されたい欲求共の奴隷と化した我々の為すこと、我々が生産やら消費やらと言い表すところのそれは、欲求されたい欲求共の命ずるがままに形を与え、欲求されたい欲求共の命ずるがままに価値を与え、欲求されたい欲求共の命ずるがままに涎を垂らして欲求する行為だ。いやはやそんなわけで、人間のお店やさんごっこにはとんと飽きてしもうた。この世に存在する全ての磨かれた丸いもの、整えられた四角いもの、飾られた三角のものに、一体何の意味があるというのだろうか。欲求は常に人間よりも一枚上手である。人間が欲求を従えていると考えているときこそ、まさに欲求に従わされているのであるから。
今年死んだアイツその弐 人の理性に対する信頼
オイオイお前「物欲」の項が書きたいがためにこのテーマをこさえただろう。既にその壱だけで1800字を超えておるぞ。仕方がないのでこれから先は端的に述べようと思う。個々の人間がどうであるかはさておき、普遍的な人間に対しては、彼らのうちに信頼に値する理性など無いということで決着をつけておこう。理性という点のみを考えれば、人間はいくらでもヒトになれるし、さらにずっと前の分岐の段階にまで遡って、それから改めてサルになりなおすことだって出来るのだ。欲す、即ち、為す。理性に見限られた人間は、総じてこうする。2021年は、もっともっと頑強な理性を備えた人間になろう。
今年死んだアイツその参 たのしいにんげんせいかつへの憧れ
一度たのしいにんげんせいかつを見限ってしまえば、実に穏やかな日々が待っている。万人がたのしみを目指して苦しみもがいている時に、我々は苦しまなくて済むからである。
今年死んだアイツその肆 両中指の指紋
あまりにも皮が剥けすぎて死んだ 来年は戻ってきますように
今年死んだアイツその伍 マイナポイント
セブン銀行ATMで申請しようとしたら暗証番号3回間違えてロックされたからもういいです(怒)