珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

可愛い20万歳児と晩ご飯のおかずについての覚書|まったくむしゃむしゃしますよ

星だと思ったら星じゃなかった話のつづき

shirokuro-044.hatenablog.jp

晦日の夜、仕事で家を出る時間の少し前に、コンビニに行った帰りの道。赤みがかった夜空に鈍色の雲がぷかぷかと浮かんでいた。おや、こんな真夜中の空に、あんなはっきりと雲が見えるのは珍しい。そう思いながら空を眺めて歩いていたら、雲の隣に、ひとつ星があった。煌々と輝く大きな星であった。私は慌てて立ち止まって空をぐるっと見渡した。雲はある。星がない。あの星以外に、ひとつも星がない!恐らくは私の視力の悪さ故にあの星しか見えなかっただけなのだろうが、でも星が、夜空に星がひとつしか視えない!やった!やった!ただひとつの星だ!ただひとつの私の星はここにあったのだ!ワーイ!クッソテンション上がったので、家に帰ってすぐに編集画面を開いてキーボードを軽快に叩いた。おーいあの時電柱にひっついていた白い悪魔見てるか!ただひとつの私の星は2020年最後の空にあったぞ!ざまあ味噌漬けたくあんポリポリだぜ!!

 

 - - - - - -ここまで2020年 - - - - - -

 - - - - - -ここから2021年 - - - - - -

 

人に理性はありましたか

 えー、2020年。2020年の総括ですね。2020年は一言で表すと、「人間やめたくなる年」であった。個人的にも、社会情勢的にも。何故人は、人自身が生み出した「素晴らしきもの」によってかようにも苦しまねばならぬのかと。人の苦しみは人類総出演の一人芝居である。手ずから発明した毒に「幸福の薬」と名前を付け、それをなんの迷いもなく自分で飲み干した直後、「体が痺れる!息が苦しい!なぜだ!」と泡を噴いてのたうち回り、今しがた自分で飲んだ怪しい液体のせいだとは露ほども思わずに、この苦しみを天の裁きか何かだと思い込んでいるのが人だ。人の苦しみは天の裁きじゃねえ、人の業だ。割を食うのはいつだって人類史の末端にいる人間だ。過去の人間はたくさんの「素晴らしいもの」を生み出してくれた。それらは真実、「素晴らしきもの」だ。そしてそれら「素晴らしきもの」が、「素晴らしきもの」ままで、末端に生きる我々を苦しめるのだ。

 

人間の可愛い盛り

これだけじゃあんまりなので、たまには人のことをよく言おうではないか。2020年は「人間やめたくなる年」であると同時に、「人間が可愛く見える年」でもあった。人間、可愛い。要りもしないものをこれでもかと作ってみたり、それを人前にズラリと並べては架空の必要性について熱弁してみたり、形なきものに名前を与えて形にしてみたり、あらゆるものに付けられたただの記号に難癖つけてみたり、心のままに皿ごと貪ってはゲロ吐いてみたり、ああしますと言いながらこうしてみたり、自分が垂れ流した汚物を赤の他人に始末させてみたり、好奇心で自分の首をキュッと締めてみたり、それが原因で死んでみたり、とにかく、人間とは、我々の目に付かないあちらこちらで突拍子もない行動を取るもので、四六時中ヒヤヒヤさせられるのだが、彼らはいつだって我々の予想と期待を悠々超えてくるものだから、そういうところがねえ、可愛い。あら、お宅のところの人間ちゃんもそうなの?やっぱり、20万歳くらいの人間の子って、どこもそういう感じよね。

 

ぼくらは食べてもおいしくないよ

実際、あらゆる人間に手がかからなくなったらどうなのだろう。たいへん物分りよく、利口で、素直で、真面目で、正直で、慎み深く、思慮分別に長け、慈しみの心に満ちて、放っておいても一人でのびのびすくすく成長していくような、まるで手のかからない地球の子として、人間が生まれたら。きっともうそれは人類ではない何かだ。人間より上の生き物だ。我々のモモ肉とかムネ肉がいつかそいつらの食卓に並ぶかも知れないところの、ピラミッドの頂点に位置する最上級生物だ。なるほど我々は、我々によく似た形の生き物の肉をステーキにしなくてもいいように、敢えて手のかかるように、敢えて 成長しない・・・・・ ように出来ているのかもしれない。最上位に君臨する完璧な人類が、一段階下のそうでない人類を唐揚げにして弁当に詰めなくてもいいように。もし世の中に、普段はモーと鳴いて太陽の下でのんびり草を食んでいるような、試食した神様曰く焼いておいしい煮ておいしい人型の生物がいたら、我々はそれを食っただろうか。なんでも世界のどこかでは普通にサルを食っているらしいし、一昔前の日本でもサルを食っていたらしい。牛はモー、猿はウキーで済むけれど、人間の鳴き声って表現するの大変そう。

 

2021年は客と喧嘩しなくていい年になりますように

現実に接する全ての人を、「手のかかる子ども」くらいに見ておくのが、人だらけの大地で穏やかに過ごせるコツなのかもしれない。もしくは「晩ご飯のおかず」。前者は「現生人類ちゃんはまだたったの20万歳だし仕方ないわよ、1番手のかかる頃よ」で済むし、後者ならば「次会ったらお前のこと天ぷらにして食ってやるから覚えとけよ」で済む。はあ。2021年は料理を勉強しよう。

 

 

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