珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

人間嫌いの人間がベルトコンベアの上を流れていく覚書|みんなが好きな人間って現実態じゃなくて可能態の方なんじゃないの

どうもサルです

思えば、少し前までは労働行為が、というよりも出勤そのものがユーウツで、客が多かろうが少なかろうがユーウツの程度に大差は無かったのだが、近頃では労働行為よりもむしろ「人間を視界に入れること」がユーウツで仕方がない。店の自動ドアが開くたびに血圧が急上昇するのを感じる。オエッ。私は月に何回バックヤードのゴミ箱を蹴り飛ばせばいいんだ?私は週に何回事務所で舌打ちと悪態を垂れ流せばいいんだ?私は日に何回憎しみと怒りで鼻の血管が張り裂けそうな思いをすればいいんだ?まあ飲食店の時短営業とかナントカで、「見た目は大人、それ以外全てサル」みたいな連中がめっきり減り、私の精神の平穏に一役買っている。世界の平穏と引き換えに。びっくりするくらいスケールが大きいな。世界の平穏、それにたくさんの人々の生活、安心、未来等々と引き換えにだ。勿論「たくさんの人々」の中に私も含まれている。1年後2年後、私はちゃんと手にバイトを持っているのかな?ウーン、もう今この瞬間が平穏ならなんでもいいや(大の字)

 

どうもおバカな人間です

無性に人を見たくないのは、あらゆるメディアが毎日毎日「おバカな人間」について書き散らしているせいもあるかもしれない。ほら見ろ人間とは、いかにおバカな生物であるか。いや、これまでおバカでない人間がいただろうか?いちいち取り上げることでもあるまいて。とにかく、昨今ネットを覗けば「こんなおバカな人間がいました」という報告と、それに対する匿名の怒りばかりが氾濫していて、このままだと「人間嫌いの人間」がどんどん量産されることになるだろう。「人間嫌い」というとなんだかアイテテという感じがしないでもないが、要するに人間に対する嫌悪感、猜疑心、不信感、警戒心、バスの座席に座っている時ですら「隣に座っているコイツが何をしでかすか分からない」みたいなバチバチの気分に陥ることだ。人が普通に街を歩けるのは、赤の他人に対する無自覚の絶対的信頼があるからだ、といった文章をどこかで見て、ははあ成程なと思った記憶がある。「今から私は街を歩こうと思う、途中で何十人という人間とすれ違い、何人もの人間が私の後ろをついてくる形になるわけだが、彼らが私に危害を加えることは無いだろう」という、赤んぼのように純粋な信頼である。

 

どうも一般市民です

近頃のニュースを賑わしている存在は、滅多にお目にかかれない奇人変人極悪人の類よりむしろ、「そこら中にいるおバカ」である。このまま「そこら中にいるおバカ」に関するニュース……いや、ニュースと呼ぶにはあまりにお粗末な、「公園でキモい形の虫を見つけた」くらいの取るに足らない「発見報告」で世の中が溢れかえることを、私はアホなりに危惧している。というのも、あの程度の「おバカ」ならわざわざ警察の手を借りずとも、我々一般市民が数人束になれば、わりと簡単に取り締まれそうだと思わんかね?包丁を振り回している人間相手に団結して立ち向かおうという一般人はそうそういるまい。けど酔っ払ってマスクをせずに喚いている2、3人の若者くらいなら、我々一般人でも、取り締まれそうだと思わんかね?マスク警察とか自粛警察とか言って言葉遊びしているうちはカワイイものだ。一般市民が「警察」と化してしまったら、もう手の付けようがない。あれらの「発見報告」は単なるお知らせや見せしめや反面教師といった類ではなく、一般市民の一般的な正義感を余計に煽っているようにしか思えないのだ。エラいさんvsエラいさんの争いに一般市民が巻き込まれることを戦争と呼ぶのなら、一般市民vs一般市民の争いにエラいさんが巻き込まれることを世の中は何と呼んでいるのだろう。

 

どうも恥です

珍しく真面目なことを書いてしまった。私が時事問題にあまり触れないのは、まず①自宅にテレビがなく、②新聞も(全くではないが)大して読まず、③ニュースは専らネットからであり、④それゆえに偏った情報を見ている可能性が否定できず、⑤偏った情報を元にいろいろ書くと大恥をかく可能性が非常に高い からである。つまりは、私が「なんかどこもかしこも毎日毎日『そこら中にいるおバカ』の『発見報告』ばっかやってんなあ」とげんなりしているのも、私がそういう記事ばかり無意識に選んで読んでいるためである可能性が大いにあって、あれ結局この記事を公開することで大恥かくんじゃないでしょうか?あー、あー、この記事無かったことにしてください。ハイやめやめ。

 

 

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